ニュース・最新情報
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ビーチ・ボーイズのツアーに参加中のジョン・ステイモス、6歳の息子と共演
ビーチ・ボーイズの現行の北米ツアーに参加している俳優のジョン・ステイモスが、7月5日にミシガン州ロチェスター・ヒルズで開かれた公演で、6歳の息子と共演した。
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ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴ、保佐人がついたブライアン・ウィルソンの現状を語る
認知障害と診断され、保佐人(*判断能力が低下した人をサポートし、意思を尊重しながら同意権や取消権等を行使する人)がつくことが決まったブライアン・ウィルソンの現状について伝えた。
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ブライアン・ウィルソン、新ドキュメンタリーの予告編公開
来月、アメリカで劇場上映されるブライアン・ウィルソンの新ドキュメンタリー『Brian Wilson: Long Promised Road』の予告編が公開された。
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ブライアン・ウィルソン、最も好きなアルバムは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
ブライアン・ウィルソンが、これまでで最も好きなアルバムに、ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)を挙げた。
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ビーチ・ボーイズ、『サンフラワー』&『サーフズ・アップ』期の未発表音源108曲を含む5CDボックス・セットがリリース
ビーチ・ボーイズの16枚目と17枚目のアルバム『サンフラワー』(1970)と『サーフズ・アップ』(1971)期の音源を収録したボックス・セット『フィール・フロウズ:サンフラワー&サーフズ・アップ・セッションズ1969-1971』がリリースされた。
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ブライアン・ウィルソン、ゾンビーズと1968年に焦点を当てたツアー開催
これまでに『Pet Sounds』(1966年)、『The Beach Boys’ Christmas Album』(1964年)をフィーチャーしたツアーを行なってきたブライアン・ウィルソンが、今度は1968年に制作した音楽に焦点を当てた<Something Great From ‘68>ツアーをこの夏、北米で開催する。
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クイーン、デニス・ウィルソン未完の曲をレコードストア・デイにリリース
▲デニス・ウィルソン『Pacific Ocean Blue』クイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラー、フー・ファイターズのテイラー・ホーキンス(Ds)が、元ビーチ・ボーイズの故デニス・ウィルソンの未完の曲にそれぞれのパートを入れ完成させたものをレコードストア・デイにリリースする。
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ボウイ、キンクス、スモール・フェイセスら60年代音源がCDに
アーティストたちの1960年代のライブ音源やセッション音源を集めた“ROCK OFF”シリーズより、デヴィッド・ボウイ、スモール・フェイセス、ザ・キンクス、バッファロー・スプリングフィールドらのコンピレーション盤が発売された。
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ビーチ・ボーイズ、Q&Aセッションで6年ぶりにブライアン・ウィルソンとリユニオン
今月末、米ラジオ局SiriusXMか開催するQ&Aセッション・シリーズ『Town Hall』で、ビーチ・ボーイズの創設メンバー、ブライアン・ウィルソン、マイク・ラブ、アル・ジャーディンに、デヴィッド・マークス、長年のメンバー、ブルース・ジョンストンの5人が一同に会すことが明かされた。
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キース・ムーン、ビーチ・ボーイズに「加入したい」と手紙で直談判
ザ・フーのフロントマン、ロジャー・ダルトリーは以前、バンド・メイトだったキース・ムーン(Ds)はビーチ・ボーイズの大ファンで、「もしビーチ・ボーイズに加入できるチャンスがあったら、キースはザ・フーをやめていただろう」と話していたが、キースは実際、ビーチ・ボーイズへ手紙を送り、彼らのドラマーにして欲しいとお願いしていたそうだ。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
カール&ザ・パッションズ、ザ・ペンドルトーンズを経て、ザ・ビーチ・ボーイズとして地元のマイナー・レーベルからデビューしたのが1961年。メンバーはウィルソン三兄弟に従兄弟のマイク・ラブ、ハイスクール時代の友人アル・ジャーディンの5人である。次男デニスの提案により、西海岸で流行っていたスポーツをテーマにしたオリジナル曲「サーフィン」が作られ、全米75位のヒットになる。翌'62年にはキャピトルから「サーフィン・サファリ」で再デビューをはかり、'63年には「サーフィンUSA」が全米3位と大ヒットを記録しブレイクする。
その後順調にヒットを飛ばし、'64年の対ビートルズ戦でもリーダー、ブライアンの音楽的な目覚めによって勝ち組に残る。が、その後ブライアンはツアーを辞め、スタジオ・ワークに専念することになった。そして作られたのが名盤『ペット・サウンズ』である。しかしあまりにも内向的で、限り無くスピリチュアルなこのアルバムは、一般のファンとキャピトルの上層部には失敗作とみなされ、その後のバンドの停滞を示す最初の兆候となった。
'66年のシングル「グッド・ヴァイブレーション」で全米No.1をとった後、バンドはヒップな時代に突入したロックの需要からは見放され、ヒット・チャートから縁遠い存在となっていく。彼らは活路をイギリスを中心としたヨーロッパに見出し、ライブ・バンドとして評価を高めていった。
ブライアンがドラッグに溺れバンドと関わりを持たなくなった時代に活躍したのは、代わりに加入したブルース・ジョンストンやデニス、カールである。'67年から'69年にかけてのアルバムでは地味ながらリラックスした雰囲気の中、彼らメンバーの音楽的成長が着実に進んで行く。'70年ブラザー・レコードに移籍し発表されたアルバム『サンフラワー』は久々に豊潤な音楽センス溢れる眩しい作品となった。しかし当時人気はどん底で、内容に反し151位止まりという悲惨な成績だった。
その後、黒人ミュージシャンを迎え入れてバンド名を変えてみたり、オランダに長期滞在してレコーディングを試みたり様々な試行錯誤を続けるが、'74年突如リバイバル・ブームが起こり初期ベスト・アルバムが全米1位を記録する。すかさず精神状態が最悪のブライアンをレコーディングに引っ張り出し、過剰な復帰キャンペーンのもと『15ビッグ・ワンズ』を発表。その結果久々のヒット作となるが、次作'77年の『ラブ・ユー』をプロデュースしたのち、ブライアンは再び沈黙に入った。 以降バンドはアメリカ屈指のライブ・バンドとして手堅く「偉大なるワン・パターン」を演じる道をとるしかなかった。カリブー移籍後のアルバム群も初期の栄光を背景にしたカリフォルニア・イメージを積極的に取り入れ、メンバーもその役割を楽しんでいるように見える。
'83年のデニスの死を乗り越えたバンドは、'88年、映画『カクテル』の挿入歌「ココモ」が、「グッド・ヴァイブレーション」以来何と22年ぶりの全米No.1を記録。その年ブライアンも初ソロ・アルバムを発表するなど、ファンにとっては嬉しい年となった。 しかし'98年、前述のカールの病死によってバンドは空中分解をする。現在ビーチ・ボーイズの名を語っているのはマイク・ラブとブルース・ジョンストンの2人。アル・ジャーディンはバンドとは袂をわかち、自分の息子やブライアンの2人の娘たちと「ビーチ・ボーイズ・ファミリー・アンド・フレンズ」を結成した。
- 関連リンク
- オフィシャルサイト(レコード会社)
ライブ・コンサート・チケット
- 受付終了
ビーチ・ボーイズ
公演日
2016年3月26日(土)会場
大阪府: Billboard Live OSAKA
- 受付終了
ザ・ビーチ・ボーイズ
公演日
2016年3月23日(水)会場
東京都: Billboard Live TOKYO
- 受付終了
ザ・ビーチ・ボーイズ
公演日
2014年3月28日(金)会場
東京都: Billboard Live TOKYO
- 受付終了
ザ・ビーチ・ボーイズ
公演日
2014年3月27日(木)会場
大阪府: Billboard Live OSAKA
- 受付終了
ザ・ビーチ・ボーイズ
公演日
2013年3月26日(火)会場
東京都: Billboard Live TOKYO