――4月21日に発売されるソロ・アルバムは順調に仕上がっていますか?
ジーン・シモンズ(以下:ジーン):まだ曲順も決まってなくて毎日変わってるし、編集もしてる。長くなったり短くなるものもあるかもしれない。
――すごくバリエーション豊かで、いろいろなタイプの曲が入っていますね。
ジーン:そうだね。しかもタイトルがいいだろ? 『アスホール(Asshole)』だよ。
――これはラジオでオンエアできないのでは?
ジーン:アヒルとか犬の鳴き声の音で“ピー”が入るだろうね。羊でもいい(笑)。でもスポーツなんかでは「アスホール!」とか言うだろ。
――ソロ・アルバムとしては、26年ぶりですが、こんなに時間が空いてしまったのは?
ジーン:オレは忙しかったんだよ、ずっと。KISS、玩具関係、シモンズレコード、11バンドもプロデュースしたし、ライザ・ミネリのマネージングもした。映画やTVにも出たし、本も書いた。あとは、女の子とも何人かとちょっとあったし(笑)。どれも時間がかかるんだ。お客さんのニーズに応えるために、オレはそれらをすべて完璧にやりたいんだよ。
――今はそれらから開放されて時間ができたから?
ジーン:いや、時間ができたからやったっていうんじゃなくて、忙しいのは変わらないんだけど、欲求を感じてるんだ。来年には『Gene Simmons BOX Set』もリリースする予定だ。たぶん100曲以上の未発表曲を入れることになる。
――それはKISSの楽曲ってこと?
ジーン:いろいろなものさ。アルバムと同時期に『Speaking In Tongues』というDVDも出る(註:日本発売未定)。これは去年オーストラリアで男と女と金とセックスについて講演をして、それを収めたものなんだ。音楽のパフォーマンスは一切ない。楽屋でのショットとかは入ってるけどね。女の子の話は重要さ。だって女の子がいなかったらどうしたらいいんだい? 生きられない。でもいつも一緒ってのも困る。一緒に暮らすことになると自分は殺されるけどね。寝てる時に。
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▲1978年発表の1st ソロ『Gene Simmons』
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――今回のソロ・アルバムと26年前では作る時の意識の違いっていうのはありましたか?
ジーン:良い質問だね。26年前のソロっていうのは、エース(・フレーリー)とピーター(・クリス)がおかしくなったことの反動でできたものだった。アルコールとドラッグでね。かなりひどい状態だった。それでエースとピーターはバンドを抜けてソロをやりたいと言い出したのさ。ソロを作ることは別にかまわなかったけど、バンドもやってほしかった。でも彼らはKISSを辞めてソロをやりたがったんだ。ある意味でそれはスマートなやり方だったのかもしれない。だったら、全員でソロをやろうという話になったんだ。
――それではバンドの問題は解決しなかったんですね。
ジーン:ソロもやったということで一応の満足が得られて、それからKISSのアルバムも何枚か続いた。でも、いったんそうなるとダメなわけで、最終的には二人ともバンドを辞めてソロになった。でも成功は収められなかったんだよ。それで、それから15年間は彼らをKISSには戻さないことにした。一切クスリも酒もやめてストレートになるまでは。それで彼らは戻ってきたけど、4、5年でエースもピーターもまた、辞めてしまった。彼らの意思でやったことなんで、何も言わないけどね。
――今度の来日も彼らは来ないのですね。
ジーン:彼らが辞めてもショーは続けなければならない。残念ながら、彼らは今度の来日コンサートには出られないよ。さっきの質問の答になってるかな(笑)?
――では、26年前はつらい気持ちでソロ・アルバムを作ってたんですね。
ジーン:そうだね。自分が立ち上げたKISSというバンドはどうなっていくのかという不安の方が大きかった。その頃、シェールと一緒に住み始めてたんだがそれもダメになった。彼女と付き合うことで“ハリウッドに身を売った”と他のメンバーは思ってたようだし。だから、あのソロアルバムにはいろいろな人が入っているんだよ。マジで作るんじゃなく“どうせ作るなら楽しんじゃおう”って感じで、金をかけてパーティにしてしまおうと思ったのさ。イギリスのオックスフォードに皆を飛行機で呼んでね。ボブ・シーガー、ドナ・サマー、ジョー・ペリー、リック・ニールセン、ヘレン・レディ、ジャニス・イアン、グレイス・スリック達さ、ほかはもう忘れてしまったよ。
――今回はそんな気持ちはなかったんですね。
ジーン:今回のソロ・アルバムはそういうものじゃなくて、自分の信じられるものをやりたかった。自分で書けない時は最高の人と競作しようと思った。だから、フランク・ザッパの曲を基にして「ブラック・タング」という曲を作ったり、ボブ・ディランと「ウェイティング・フォー・ザ・モーニング・ライト」を一緒に書いたりしたんだ。残念ながらジョン・レノンはもういないからね。もし生きてたら絶対に電話してたよ。
――30年間ロックを続けられたのは、あなたの中のどういう衝動ですか?
ジーン:オレは一人っ子なんで、そのことが大きいかな。ある時に1,000万ドルの小切手を手にしたことがあって母親に電話したんだ。彼女はオレに「それはすごいこと。で、この後それをどうするつもりなの?」って訊いたよ。オレはその考え方にシビれたんだ。大金や成功を獲得したら一瞬はそれを喜べばいい。でも次の瞬間には、それで次はどうしようかということを考えなけりゃならない。金も賞も、もらってしまえば昨日のことになってしまう。今何をするかってことでしか、人間の本当の価値はわからないんだ。そういうことさ。場末のバーで「オレは昔KISSにいたんだぜ」ってなことになってしまうのがオチだからね。 ――走り続けるのがロックなんですね。ソロ・アルバムもその延長にあるんですね。
ジーン:『アスホール』は、オレの前に進む気持ちが表われててよくできたレコードさ。ファンはオレ以上に良いと思ってくれるかもな。
――’77年の初来日コンサートを観て、それ以来ずっとKISSのファンです。素晴らしい音楽を聞かせてくれて感謝しています。
ジーン:オレの方が感謝したいくらいさ。ステージに上がって夢を分かち合えるのは、みんなのおかげさ。オレは子供の時にアメリカにやってきて英語も喋れなかった。ほんの小さな子供だったんだ。それが世界っていう遊び場をもらえて好きなことができる。その自分の気持ちを考えたら、オレの方がありがたいと思ってるよ。
取材・文●森本 智
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