全米ティーンネイジャーのカリスマ的存在 第44回グラミー賞4部門ノミネート!

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全米ティーンネイジャーのカリスマ的存在
第44回グラミー賞4部門ノミネート!


“天才”というものは稀ながら本当に存在するのである

デビューアルバム

『ネリー・ファータド+1!!』

2002年2月21日発売
UICW―1019 2,427 (Tax out)

1 ヘイ、マン!
2 …オン・ザ・ラジオ(リメンバー・ザ・デイズ)
3 ベイビー・ガール
4 レジェンド
5 アイム・ライク・ア・バード
6 ターン・オフ・ザ・ライト
7 トラインア・ファインダ・ウェイ
8 パーティーズ・ジャスト・ビガン(アゲイン)
9 ウェル・ウェル
10 マイ・ラブ・グロウズ・ディーパー(エヴリデイ)
11 アイ・ウィル・メイク・U・クライ
12 スケアード・オブ・ユー
13 オンデスタス
14 パーティーズ・ジャスト・ビガン(アゲイン)
(CHORONI MIX)
15 アイム・ライク・ア・バード
(ガヴォズ・マルティーニ・ミックス)



※第44回グラミー賞分析特集はコチラ

ロックもヒップホップもブラジル音楽などのワールド・ミュージックも何でもお手のものでいて、それでいて美人。そんな理想的な器用さをもったアーティストが一体本当にこの世に存在するのか、と思うかもしれないが、“天才”というものは稀ながら本当に存在するのである。

それがカナダが生んだスーパー・ウーマン、ネリー・ファータドだ。

このネリーは'78年、カナダはブリティッシュ・コロンビア州で生まれる。フィオナ・アップルが'77年、椎名林檎が'78年と、比類なき才能を持った超個性派の女性シンガーが奇しくも彼女と同世代にいるが、ネリーの才能は、例にあげた女性たちに決して負けていないどころか、それ以上とさえ思わせる魅力に満ちている。幼い頃から、彼女の家系的なルーツであるポルトガル民族音楽の影響を受けて育ち、10代の初頭にR&Bやヒップホップに夢中になりストリートでラッパーとして活動し、10代半ばでU2レディオヘッドベックなどのオルタナやポーティスヘッドなどのトリップホップに開眼し、さらには70'sのソウル・ミュージックやレゲエをも吸収した彼女は、その曲作りの手腕を10代にして評価され、20歳でメジャー・レーベルと契約。2000年秋にアルバム『ネリー・ファータド!!』でデビューする。

“女ベック”とも称され、目まぐるしいコラージュ感覚と今風の刺激的なチキチキ・ビートに満ちた真の意味で“ミクスチャー”なこのサウンドは世界中の注目を集め、'01年春にはデビュー半年未満にして“カナダ版グラミー賞”のジュノー賞で主要4部門を独占。そしてさらにシングル「アイム・ライク・ア・バード」「ターン・オフ・ザ・ライツ」が2曲続けて英米のチャートでトップ10入り。さらにはU2ミッシー・エリオットモービーといった現在のミュージック・シーンの重鎮たちがこぞって彼女を絶賛し、9月にはあのエイズとテロのためのチャリティ・シングル「ホワッツ・ゴーイング・オン」に参加。そこでは共に参加したデスチャブリトニーをも凌ぐ強烈な声のインパクトを残し、そこでも話題に。そして遂には今年度のグラミー賞4部門にノミネート。アリシア・キーズインディア・アリーとの賞レースで大きな話題となっている……。もう、彼女が天才であることはこれで御理解できただろう。

そんな彼女の魅力は、そうした類い稀な溢れんばかりの音楽性だけでない。その美貌を鼻にかけないナチュラルで飾らないファッション・センスや、<
私は鳥のようにはばたく>という歌詞に象徴される自由でポジティヴでパワフルなイメージ。これが今、アメリカの若い女のコたちの絶大な共感を得ることとなり、ネリーは今、ちょっとしたカリスマにもなっている。それは、女のコたちの悲鳴に近い黄色い声援に包まれた彼女のライヴを一度でも経験すればハッキリとわかるはずだ。

それほどの実力と実績をひっさげながら、狭義の枠にはめることでしか洋楽アーティストを測れない日本の洋楽メディアの見落としゆえに、なぜかここ日本ではいまだ知名度の低かった彼女。

しかし、このグラミー・シーズンを機に再発されるこのデビュー・アルバ ム『ネリー・ファータド!!+1』を聴けば、今度こそ大丈夫。今なら、そうした鋳型に押し込めなくとも、本物の天才がいかに桁外れに優れた存在であるかは、一聴するだけで理解できるから。

グラミーの発表がある前までにしっかりと予習して、目からウロコを落としておこう!

文●沢田太陽

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