女性アーティスト・ブームの原動力
女性アーティスト・ブームの原動力 |
『グレイテスト・ヒッツ』 2000年12月6日発売 東芝EMI TOCP-65655 定価2,548円(本体2,427円) 1.STRAIGHT UP 2.冷たいハート 3.FOREVER YOUR GIRL 4.恋するままに 5.あいつにノック・アウト 6.甘い誘惑 7.BEND TIME BACK 'ROUND 8.あふれる想い 9.THE PROMISE OF A NEW DAY 10.BLOWING KISSES IN THE WIND 11.ヴァイブをちょうだい 12.MY LOVE IS FOR REAL featuring Ofra Haza (R&B Remix) 13.CRAZY COOL 14.IF I WARE YOUR GIRL 15.MEGAMIX MEDLEY 16.CRAZY LOVE | ここ数年はJ・ポップス、洋楽ポップス問わず女性ヴォーカリストの当たり年が続いている。 それは世の中全体がミレニアム、ミレニアムと浮き足立っている一方で、同時に妙なシラケ・ムードが漂っているからかも知れない。それだけにステージ、あるいは(ビデオ)モニター狭しとハジケ飛ぶ女性ならではの華やかさ、バイテリティは一服の清涼剤的な効果をもたらす。 今にして思えば、ポーラ・アブドゥルはそんな女性ヴォーカリスト・ブームの先駆け的存在と言えるだろう。何しろ、'88年リリースのデビュー曲「ストレイト・アップ」が全米NO. 1ヒットを記録して以降、「フォーエバー・ユア・ガール」、「冷たいハート」を立て続けてチャートのトップに送り込んだ彼女のまさにシンデレラ・ガールを絵に書いたような成功は衝撃以外の何物でもなかった。その点では先輩格のマドンナや後続のマライア・キャリーに勝るとも劣らない実績を誇る。 そんなポーラがミュージック・シーン入りを果たすきっかけがまたユニーク。 チアガールの経験を持つ彼女は独自のダンス・センスをジャネット・ジャクソンやデュラン・デュランに伝授、まずはコレオグラフィー(振付け師)として脚光を浴びたことに始まる。そして、そのジャネットの薦めでついに歌手デビュー。 以来、ポーラが放った米ヒット・シングルは13曲に及ぶ。しかもその内の6曲がNO. 1を獲得しているという快挙。もっとも、さすがにヒット数ではマドンナやマライヤ・キャリーに一歩譲るものの、ポーラがミュージック・シーンに残した輝かしい実績は未だ色褪せることは無い。 ポーラはシリア/ブラジル系の父ヘンリーとフランス/カナダ系の母ロレインとの間に1964年、LAで誕生している。ロレインはピアニスト、彼女の音楽的才能は母親譲りと言えるだろう。8歳の時、ダンスのレッスンを始め、バレエからモダン・ジャズ、タップ等、スタイルに関係無く次々とマスター、その才能は早くも開花する。そして、17歳にしてダンサーの登竜門“ベラ・ルイスキー・ダンス・カンパニー”から奨学金を受ける権利も獲得している。それが全米人気バスケット・ボール・チーム、ロスアンジェルス・レスカーズのチア・ガールズの花形に大抜擢という名誉に結び付く。 ポーラが創作するダンスは瞬く間に話題となり、その名コレオグラファーぶりはジャクソンズのメンバーやジョン・マクレイン(大手レーベルA&Mの敏腕A&R)の耳に届くほどだった。 結果、ポーラはジャクソンズのラブ・コールで彼らの「トーチュアー」のプロモ・クリップ、さらにツアーで振り付けを担当することに。そして、これが好評を博し、今度は同じジャネット・ジャクソンともコラボレーションが実現する。
MTVミュージック・アワードを筆頭に数々の賞を受賞したポーラは'88年6月、シーンの注目する中、今度は自らシンガーとしてデビューを飾る。 記念すべきデビュー作『あいつにノック・アウト』はオリヴァー・レイバー、LAリード、ベビーフェイスら複数のプロデューサーを起用、アグレッシヴなダンス・ナンバーからポップス、バラードまでバランス良く散りばめたヒット・ポテンシャル志向を強く反映された内容となった。そして、ここより「ストレイト・アップ」、「フォーエバー・ユア・ガール」、「冷たいハート」(3曲とも米1位)、「恋するままに」(米3位)、「あいつにノック・アウト」(米41位)と5曲のシングル・ヒットを放ち、結果アルバム『あいつにノック・アウト』はチャートのトップを10週間キープ、そのセールスは本国だけで700万枚に及んだ。 '91年リリースの2nd『スペルバウンド』はファミリー・スタンドや米ロックの大御所ドン・ウォズにプロデュースを委ね、さらに彼女自身も曲作りに参加、より洗練されたヴォーカル作となる。加えてプリンス、スティーヴィー・ワンダー参加の話題性もあり、これまた米1位を記録する。 なお、2ndからは「あふれる想い」、「ザ・プロミス・オブ・ア・ニュー・デイ」の米1位曲の他、「ヴァイブをちょうだい」(米16位)、「ウィル・ユー・マリィー・ミー」(米19位)の4曲がシングル・ヒットしている。また、'92年には初来日公演も行なわれ、大成功を収めた。 『スペルバウンド』リリース時、ポーラの人気はピークに到達する。しかし、その後、結婚~離婚(お相手は米アクターのエミリオ・エステベス)を経験、約4年の充電期間を設けた。そして、95年、満を持して3rd『ヘッド・オーヴァー・ヒールズ』を世に送り出す。 レット・ローレンス(マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンetc)、ダラス・オースティン(マドンナ、TLC)ら豪華なプロデューサー陣を迎えた3rdは人生経験を積み重ねたことによりパーソナルな色合い濃厚なバラード志向の意欲作として注目を浴び、「マイ・ラヴ・イズ・フォー・リアル」(米28位)、「クレイジー・クール」(米58位)をヒットさせた。しかし、アルバムは米18位に止まり、いささか不本意な結果となった。 目下、ポーラは沈黙を守り、第1線から距離を置いているように映る。 ただ、過去、これだけの輝かしい実績を誇る彼女だけに、近い将来、必ずシーンにカムバックを果たすだろう。そして、今回リリースされる初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』もそんな時期高まるカムバックの布石と言えるのではないだろうか。 今やレジェンドの城に到達しそうなポーラの、さらには現在の女性アーティスト・ブームの原動力となったヒット曲の数々、これを機会に再認識しておくのも意義あることだと思う。 北井康仁/YASUHIYO KITAI |