【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話010「プレスリリースって…」
レーベルやマネージメントから「リリースを送るのはどのタイミングがいいですか?」「どんなものでしたら掲載してもらえますか?」といった相談を受けることがままある。
リリースというのは、アーティストにまつわる情報をまとめ、関連した写真等とともにメディアに情報を提供するもの(行為)のこと。「ニューシングルが出ます」「MVが公開されました」「これが新しいアーティスト写真です」「ライブスケジュールが発表されました」「こんなグッズを作りました」…アーティストにまつわる様々な情報がBARKSにも寄せられるわけだ。それ自体はとてもありがたいことで、言ってみれば、それらを掲載するだけで音楽サイトっぽいメディアがあっというまにできあがる。
でも、これって…意味あるんだろうか。
今や、求める情報はいくらでも入手できる時代だ。なんなら第一報をアーティスト本人がポストすれば、フォローしているファンには瞬時にしてその情報が伝わる。そこから網の目のように拡散されていく。あらゆる人が双方向に繋がり、さまざまな情報が共有・伝播されていく。
コラム004「メディアの役割ってなんじゃろか」で語ったことだけれど、BARKSは「まだ見ぬ未来のファン」に向けて情報を届けたい。でも、興味ない…それ以前に存在すら知らない音楽ファンが、どうであればそのアーティストの記事に触れてくれるのか。無理難題ではあるけれど、そこに知恵と労力を払わなければ僕らの存在意義がない。
実は、記事を作るにあたってとても大事なポイントがある。中学の時に習った5W1Hだ。
レーベルやマネージメントから寄せられてくるリリースの多くが、「When:いつ」「Where:どこで」「Who:だれが」「What:何を」の4Wしか情報が入っていない。「○○が△月△日に□□でライブをします」とか「○○が△月△日に新曲を出します」とか「○○のMVが△月△日にYouTubeでプレミア公開されます」とか。もちろんファンにとって非常に重要なニュースなんだけど、単に「事実の告知」にすぎない。であれば、ファンはオフィシャルから入手するのが最も速く確実で、しかも間違いがない。
BARKSが欲しいのは、残りの「Why:なぜ」と「How:どのように」だ。「なぜそのタイミングでライブをやるのか。どういう内容で?どういう気持ちで?どのように?」「その新曲はどういう背景で作られたの?なぜこんな曲に?込められた思いは?」と。
「Why:なぜ」と「How:どのように」の部分にこそ、アーティストの思いやこだわり、そこに至るまでのストーリーとか思いの丈とか、その人の血や肉や汗や涙や、怒りや憂いや悲しみ笑い…そんな伝えるべきキラキラと輝く大事な大事な熱量が隠されている。そこに人間性が現れるし、アーティストとしての自尊心や葛藤など、人間臭い部分が染み出してくるわけで、そのような要素がリリース記事に足されてこそ「事実の告知」から「伝えるべき血の通った記事」に変わるのだと思っている。
そして、そのような息吹が記事から漂えば、そして記事につけられたタイトルからもその気配が香り立てば、「ん?」「なんだろ、面白そうかも」と、目に止めてくれるかもしれない。「こいつ面白いこと言ってんな」と気にしてくれるかもしれない。BARKSがやるべきことはそういうことにほかならない。
だから、リリースの相談を受けると、枝葉の情報=1W1Hが欲しいとリクエストする。たった一言のコメントがあるだけでも、その内容に輪郭が伴ってくる。
…とまあ、ずいぶんと偉そうなことを言っちゃったけど、たった一枚のアーティスト写真がその「1W1H」を雄弁に語ったりもするんですよね。やっぱりね、アーティストの写真とか発言は、何よりパワー絶大なのです。
ということでアーティストの皆さん、これからもBARKSをよろしく。
文◎BARKS 烏丸哲也
◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ
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