【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話035「LuckyFes'25」

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2024年10月18日、<LuckyFes'25>(2025年8月9日~11日@国営ひたち海浜公園)が開催4年目にしてLuckyFMとBARKSの共催で開催されることが発表された。長く生きているといろんなことが起こるけれど、これほどエキサイティングな環境がBARKSに舞い降りてくるなんて、文字通り夢のような出来事だ。これまで歩んできたBARKSの事業レベルとは桁違いのビジネス・影響力・可能性・感動・興奮がやってくる。このエポックな事象をうまく伝える言葉が見つからないけれど、なにはともあれ武者震いが止まらない。

BARKSが2000年4月に日本初の音楽メディアとしてスタートを切った時は、インターネットの人口普及率は4割にも満たない環境だった。あれから24年、長いようで短く感じるのは、あまりにドラスティックに時代が変貌し、価値観がひっくり返るパラダイムシフトがいくつも起こったからだ。

この変貌ぶりは今さら言及することでもないけれど、たった24年で新聞も読まず、雑誌も買わず、テレビも見ない時代になり、そもそも生活範囲内でしか機能しなかった口コミが、国境を超えて世界中にリーチされる時代になった。今では、元来最も強い影響力を持つ口コミがマスコミをまるっと飲み込んで、個から個へダイレクトに影響を伝播させることが当たり前となった。

音楽業界もそのあおりを真正面から受けた。レコーディングされた音源を1枚でも多く販売するために機能してきた音楽業界だったけれど、レコードであれCDであれデータであれ音楽を購入することはなくなってしまった。すべての音楽はクラウドにある。もはや「音楽を所有する」という行為は「レガシーな伝統文化」にすぎなくなった(いやもちろんグッズという立ち位置はありますけど、原盤ビジネスというよりIPビジネスよね)。

今を思えば2000年代後半、音楽業界は新作音源やミュージック・ビデオのネット上での取り扱いに業を煮やしていた。ファンを増やすためには聴いてもらう機会を増やす必要がある。でもタダで聴かれたら音楽が売れない。販売時は「ミュージック・ビデオ」と呼ばれ、ネットに置かれると「プロモーション・ビデオ」と呼ばれたりもしたが、両者の分水嶺が不透明だった。当時は「いくら観られてもいいように」と、ミュージックビデオにストーリーを持ち込んで、途中で音楽を分断してみたりセリフやサウンドエフェクトを重ねてみたりと、くり返し聴く音源として機能しないような小細工すら現れた。

様々な試行錯誤が繰り広げられたけれど、結果、クラウドに置かれた音楽は「宣伝すること」と「聴いてもらうこと」と「収益」が三位一体となり、そのまま同一化された。たくさん聴かれることが収益となり、その行為が宣伝となる今のビジネス構造は、音楽のあるべき健全な姿に収束したのかもしれない。

とはいえ、「どうやって新たなファンを獲得するか?」というテーマは、手つかずのままだ。SNSがあればファンサービスには事欠かないけれど、ファン未満の人々・未来の音楽ファン・まだ出会っていない潜在層に情報を提供できるのは、今もなおメディアが担う重要な役目だ。

そして、新たな音楽との出会いの場となり最も最先端なプレイリストが渦巻く、底知れぬパワーを発揮するのが音楽フェスだ。フェス文化が活況となり、今ではフェス自体がメディアとなった。音楽フェスというとてつもないエネルギーが発せられるリアル、そこにその様子をひとりでも多くの音楽ファンに届けることに注力した音楽メディアが手を組むのは必然であり、欠かせぬ仕組みだと私は思っている。

音楽業界がライブやフェス、イベントなどに活路を見出す環境下において、<LuckyFes>は「巨大音楽フェスの一角」として、「多くの人々の憩いの場となるテーマパーク」として長き歴史を刻み続けることになる。そんなスタートを切るエポックな取り組みが、LuckyFMとBARKSの共催だ。

一緒に夢を見る仲間や音楽関係者、新たなエンターテイメントをクリエイトしていくアーティスト、そして音楽を愛する企業・団体も含め、いろんな方々との新たな出会いにワクワクしながら、最高にエキサイティングなフェスを生み出していきたい。みなさん、お力を貸してください。めんどくさいこと、だれもやりたがらないこと、でも凄そうなこと…そんなとてつもなく面白そうなことが大好物なあなたと仕事がしたいです。

文◎BARKS 烏丸哲也


◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ
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