HJリム、超ロングの黒髪をなびかせ颯爽とベートーヴェン「ピアノ・ソナタ」を熱演

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ピアニストなら誰もが挑戦してみたいであろう、クラシックの歴史の中でも永遠の金字塔と言われる、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ」。HJリムは、このピアノ・ソナタ全23曲を24歳(現在は25歳)の若さで全曲レコーディングし、「ベートーヴェン全集」として欧米デビューを果たしたツワモノだ。日本では、その第1集と第2集が発売されており、この後、11月、12月と残す2枚のリリースが控えている。その第2集の発売日と重なった10月10日(水)、HJリムが銀座のヤマハホールにて、日本で初となるコンサートを開いた。

超ロングの黒髪をなびかせ颯爽とステージに現れた彼女。客席に向ってお辞儀をしながら見せた笑顔は、ジャケット写真で見せるキリッとアジアンクールビューティーなイメージとは正反対にチャーミング。しかし、持っていたハンカチをポイッとピアノの脇に放り投げ椅子に座るや否や、先ほどの可愛らしい25歳の女性とは別人格にスイッチするかのような真剣なまなざしに切り替わった。

当初、プログラムの一曲目は「ピアノ・ソナタ第31番 作品110」だったが、直前に彼女の意思により、二曲目に予定されていた「ピアノ・ソナタ第23番 作品57“熱情”」と入れ替わった。右手と左手が会話しているかのような指さばきにも見惚れるが、指先だけではなく、体全体で表現している彼女の演奏はダンスを見ているようでもある。直前に曲順を入れ替えた意図はわからないが、そのときの気持ちを最優先し、素直に演奏に感情をぶつけるタイプの演者であることはすぐに伝わってきた。

クラシックというと多くの人は「難しい音楽」と捉えがちだが、彼女の演奏を聴いていると、自由に、聴こえたままに自分の感情とピアノの旋律を重ね合わせれば良いのだと思えてくる。楽譜がわからなくても、クラシック音楽やベートーヴェンの知識がなくても、彼女が体中で表現するエンターテインメントに身をゆだねるだけで充分なのだということに気付かされる。どうして彼女の演奏はそういう聴き方ができるのか、謎は休憩前のトークセッションで解けた。


「この年齢で、なぜベートーヴェン全曲を録音したのか」という多くの人の疑問に答えるという形で、彼女はベートーヴェンという人物、偉大なる作曲家に対しての熱い想いを語った。

「彼の人生が鏡のように映し出されているのがこのピアノ・ソナタ」と、ピアノ・ソナタを自分のモノにするために必要なのはベートーヴェンという人物を深く知ることということで、彼女は彼が残した書簡や、彼について書かれたあらゆるものを調べた。もちろん曲ができた背景なども。「もしかしたら、自分自身のことよりもベートーヴェン自身への理解が深いかもしれない」というほど、彼自身にのめりこんだ彼女だが、それはまるで役者が役作りをするときのような手法だ。結果、「彼を通して自分も見えてきた」という。

彼女はそうやって、作曲者であるベートーヴェン自身に深く触れ、彼が生きた時代、その背景にあるものを知った上で、独自の解釈でピアノにぶつけた。それは楽譜をそのままなぞるように弾きこなすのではなく、彼女がベートーヴェンの媒介となるということだ。彼女が時を越えてベートーヴェンの想いを代弁する。だからこそ、単なるクラシック音楽の枠を超え、まさに今そこにベートーヴェンが居て、想いを語っているような錯覚を抱かせるくらい、訴求力の強い演奏となる。

彼女が弾くピアノの旋律と同じように、流暢な英語でまるで女優のように表現力豊かにしゃべる彼女。トークセッションの後半には、「何か質問はありますか?」と、客席からの質問にも気さくに答える。

休憩を挟んだ後半は、「これほど難しい曲はない」と彼女も言うほどの難曲「ピアノ・ソナタ第29番 作品106“ハンマークラヴィーア”」。しかし、技巧も表現力も備えた彼女の腕にかかると、聴いているほうは、それほど難しさを感じない。彼女自身がしっかりこの曲を解釈して弾いているからこそ、伝わってくるときも柔軟に心の中に染み入り、彼女が言う後半の宇宙的なイメージが素直に脳裏に広がる。彼女は、神のように崇拝されているベートーヴェンの人間的な喜怒哀楽を生々しくピアノで表現することで、ベートーヴェンをもっと身近に感じさせてくれるだけでなく、その偉大さにも改めて気付かせてくれた。

本編も素晴らしかったが、遊び心もあふれた3曲のアンコールで、彼女の本質がさらに見えたような気がした。こういう演奏をたくさんの人が聴けば、小難しくとらえられがちなクラシック音楽も、すごく楽しい音楽だと知ってもらえるのではないか。活き活きと、ユニークに、自分の表現で自由にピアノを操る彼女の弾き姿を見ているのも終始楽しく、作曲者の想いの深いところまでも連れていってくれる彼女の演奏に完敗した夜だった。

photo:Ryota Mori

<HJリム、ベートーヴェンを弾き、語る>
2012.10.10@銀座 ヤマハホール
プログラム:
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」
ピアノ・ソナタ第31番 作品110
ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」

H.J.リム『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集 第2集 確固たる個性の形成/自然』
2012年10月10日発売
TOCE-90236 2,500円(税込)
CD1 ソナタ第1番 作品2-1、 ソナタ第2番 作品2-2、 ソナタ第3番 作品2-3
CD2 ソナタ第15番 作品28「田園」、ソナタ第21番 作品53「ワルトシュタイン」、ソナタ第22番 作品54、ソナタ第25番 作品79

H.J.リム『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集 第1集 英雄的思想/永遠に女性的なもの-青春』
2012年09月12日発売
TOCE-90234 2,500円(税込)

◆HJリムオフィシャルサイト
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