| 「ファンに謝らなきゃならないんだ。前のアルバムを“Unleashed(解き放たれた)”って名付けたけど……」とSisqoは開口一番、大ヒットしたソロ・デビュー・アルバム『Unleash The Dragon』について真面目な顔で話し出した。
「 ……でも、「Thong Song」以外、なにも解き放ってなかった。この新アルバムでは水中から何もかも吹き上げさせるぜ」
Sisqo(両親にとってはMark Andrews)の2枚目の作品『Return Of Dragon』(不思議なことにタイトルのDragonから“The”が消えている)には、多くのことがかかっている。
ソロ・デビューアルバムは、新世紀初の戦利品となった「Thong Song」のヒットもあり、予想外の500万枚の売上を記録している。心を打つバラード「Incomplete」もチャートトップを飾り、アルバムの人気をより強力なものにした。
ボディポッピング、バック転を得意とするDru Hillのリードシンガー、Sisqoは、完璧なY2K仕様(プラチナブロンドの短髪、タトゥー、ピアス)のいでたちで、TRL認定の超大物スターになる目前である。事実、アメリカ中流家庭層の若者たちからの支持は絶大で、彼のMTVの番組『Sisqo’s Shakedown』は、同局の2000年度夏季/秋季、高視聴率記録番組となった。それでもまだ足りないと言わんばかりに、Sisqoは青春コメディー映画『Get Over It』で見事な役者デビューを果たし、その合い間に自分のドラマの話まで取り付けている。まあ、1年間の成果としてはなかなかのものだろう。
25歳のイースト・バルチモア出身の青年が素晴らしい生活を送っている証拠が必要だというのであれば、最近、MTVの番組『Crib』で、表には高級スポーツカーが何台も並ぶハリウッド・ヒルズのピッカピカの真新しい豪邸でくつろいでいるSisqoの姿が紹介されていた。わざわざ言う必要もないとは思うが、もし、この2ndアルバムがHansonの最新作の二の舞となるようなことになれば、Sisqo本人はもとより、多くの人間にこれ以上大金が入ってこなくなってしまう。そのプレッシャーはあったのだろうか?
「 ただ行って作っただけさ」とあっさりと答える。
「 ホットなプロディーサーがいて、ホットな曲があったんで、俺はただ行って歌っただけ。単純なことさ。基本的に1晩1曲のペースでレコーディングしたよ。曲はスッゴク気に入ってたし、やるのは楽しかった。だから、プレッシャーなんかが入り込む隙間はなかったね。プレッシャーを感じるのは他のヤツに任せとくよ。俺は楽しむのに忙しくて、そんな暇はないからさ。偉そうに言うつもりはないけどよ、俺はこの世界に入って間もないが、だてに8枚連続プラチナ・シングルを出してるわけじゃないぜ。他にそんな奴を何人知ってる? バルチモアのどっかから飛び出してきた初めから、俺はずっと“自分のモノ”をやってるんだ」
今回、Sisqoが“自分のモノ”をやる手助けをしたのは、新旧取り混ぜたアーバン・ビートのテクニシャンたちである。
サウンドの神様、Teddy Rileyが、1stシングルとなったドライヴの効いた骨太のR&B/ストリート・ソング「Can I Live」を手がけた。他にもプロダクション・チームのOne Up Entertainmentによる、かなり“Thong Song”っぽい「Dance For Me」、Mary Mary、Brandy、Usherなどを手がけるWarren Campbellが舵を取った、王道のソウルフルなバラード「Dream」、Sisqo作の「I’m Not Afraid」はAl Westがプロデュースしている。
そして、すべてをひとつの完成品へと紡ぎ上げているのが、熱く挑戦的な、ゴスペルに根差したSisqoの魂である。彼はダンサーにしては歌がうますぎるし、シンガーにしては踊りがうますぎる。
「 このアルバムの曲は、今まで聞いたことがあるようなものとは全然違うぜ」と、Sisqoは彼の特徴でもある自信満々の態度で自慢げに語る。
 ▲「多くの人は、俺のことを“1発屋”だと思ってる。もう“8発目”ぐらいだってのに。“OK、もう1発やってやるから見てな”ってな(笑)」 |
「 それが俺にとっていつでも重要なことなんだ。自分のサウンドを作り上げること。つまり、Dru Hillでもそうしていたが、今回はまたそれとは違ったモノを作り出すことが俺にとって大切なんだったと思う。「Thong Song」でしか俺のことを知らない多くの人は、俺のことを“1発屋”だと思ってる。これがもう“8発目”ぐらいだってのに、どうしたら“1発屋”になれるってんだ? ただ笑って言ってやるよ、“OK、もう1発やってやるから見てな”ってな」
Sisqoの経歴は多くの面で、人気スーパースターでプラチナ獲得ラッパーのWill Smithを思わせる。2人とも東海岸の中規模サイズの町から出てきて(Smithはフィラデルフィア出身)、ソロで音楽/演劇のキャリアに進む前にグループ/デュオとして音楽的成功を収めている。Smithのラップはどちらかといえばユニークさが売りで、Sisqoの真面目なソウル・スタイルとは違うかもしれないが、SisqoがSmithを手本にしていることは間違いないだろう。
「 Will Smithに1ドルを50セントだと思って扱えと言われた」とSisqoは言う。
「プロとしてやビジネス面という意味で、彼は俺にとって大きなインスピレーションなんだ。彼の仕事はタイトで、キッチリまとまってる。うちの連中は彼のとこの連中と話しをして、アドバイスをもらったりしてるよ。俺は彼と同じ道を辿ってはいるが、俺自身のやり方でなんだ。より人の踏み込んでない道を選んで行くよ。Robert Frostのようにね」
Sisqoにとって、Will Smithのような世界的知名度を獲得するための初の重要ステップのひとつは映画『Get Over It』出演だった。
「 演技ができるっていうのを見せるために、映画に出る必要があった。でも、緊張したよ」と認める。
「 俳優のキャリアとしては良いスタートだったよ。あの映画をやったお陰で、ちょうど撮り終わったところだけど、もう1本Disneyの映画(『Winter Dance』Cuba Gooding Jr.共演 )の話もきた。俺が演じた役は両方とも普段の自分とはまったく違ったんで、不思議な感覚だったね。挑戦だったよ。でも、それでより大きな素晴らしいプロジェクトへの扉がたくさん開かれたんだ」
そのプロジェクトのひとつは現在、TV界のベテランであるBob NewhartとNickelodeonの番組『Keenan & Kai』のKeenanと共に撮影に入っているコメディドラマのパイロット版だ。
「 あんまり中身をバラしたくないんだ。番組内番組だよ。自伝っぽいのは確かだけど、ヒネリが効いてる。Sisqo役ってわけじゃないけど、バルチモア出身の男の役さ」
Sisqoはソロとして有名になる前は、’96年にサウンドトラック・アルバム『Eddie』収録の「Tell Me」でデビューしたDru Hillのメンバーとして成功をつかんだ、ひとりのバルチモア出身の青年でしかなかった。Dru Hillはこのデビュー曲を筆頭に、2枚のプラチナ・アルバムから生まれた記念すべき大ヒット「In My Bed」「How Deep Is Your Love」など、ヒット・シングルを次々と生み出していくことになる。しかし、その陰で4人のバルチモアの友人たちは厳しい時期を過ごしていた。
「 おう、近頃のグループで俺らみたいな経験をしてる奴らはいねぇよ」とSisqoは振り返って言う。
「 とにかくビンボーだった。レーベル(Def Jam/Universal合併以前のIslandに所属)からは日当も出なけりゃ、サポートもなし、プロモーションもしてくれない。だって、ショッピング・モールでのサイン会に行っても、レーベルからは誰も来ないんだぜ。自分たちでバッグからポスターを取り出してサインしてたんだ。小さなクラブのドサ回りで、テーブルほどの大きさしかない汚いステージにも立ったさ。時にはビンボーすぎて食いモンを買う金さえないもんだから、ラジオ局に行ったときにそこに置いてあるものを食べまくってたよ」
やがてこんな状況は土壇場を迎えることになる。Dru HillがIslandを訴え、示談で決着がついた。しかし、2ndアルバム制作費として前金100万ドルを受け取りはしたが、収録用の曲を1曲も録音しないうちに20万ドルを使ってしまうほどだったため、結果としてメンバーは今までの損失を回収するには至らなかった。
事態をより一層悪くしたのが、パリで2ndアルバム『Enter The Dru』のプロモーションを行なっているときの出来事だ。ひとりのストリート・ギャングが地元のクラブから逃げる途中でメンバーたちに向かい発砲したのだ。
あと少しで惨事となりえたこの恐怖の体験後、敬虔なクリスチャンであるメンバーのWoodyは、もうこんなことはたくさんだと判断し辞める決心をした。その直後にSisqoがソロ活動の計画を発表。だが、ソロでやるのは「Phil CollinsとGenesis風のもの」で、アルバムを1枚出したらDru Hillに戻ると宣言しており、グループ復活時にはWoodyも含めたオリジナルメンバー4人が揃うはずだった。一体、どうなってしまったのだろう?
「 Dru Hillで再びやるかは怪しいね」と、今となってはSisqoも認める。
「 要は、俺たちはまだお互いいい関係だけど、Woodyは家族を亡くしたし、Jazzはソロ・アルバムを出す。Nokioはプロデュースのほうをしてるんで、どうやらありそうにないってことさ」
とはいえ、『Return Of Dragon』収録の「Without You」では4人のメンバー全員が揃ってフィーチャーされている。
Sisqoにとっては、Dru Hillの不確かな未来について話すことなどあまり無い。また、プライべートについても彼の口は堅い。「Thong Song」のビデオで娘がいることを世の中に知らせたが(ビデオにカメオ出演している)、恋愛のお相手についてはあいまいにこう答えるだけだった。
「 みんなと同じように俺にだって大切な人はいるさ。まあ全般的なバランスとしてあたりまえにな」
バランスを保つといえば、彼は成功に浮かれすぎたりはしていない。チャリティーに惜しみない寄付をしていると、誇らしげに語る。
「 俺の全収入の10パーセントは特定の団体や教会とかに贈られる。それは神に与えてるんだ」
寄付してもまだ、バルチモアに家族の住む2件の家を所有しているというわけだ。3人兄弟の末っ子であるSisqoの家族との関係は成功しても変わっていないという。
「 家族は変わらず同じように扱ってくれる。それというのも、俺自身が変わってないからね。俺の性格はお袋似だけど、よく働くところは親父に似てるんだ」
Sisqoのショウビジネスの世界に進みたいという願望は当初、電気工として勤勉に働く父には簡単には認めてもらえず、応援なんかはしてもらえなかったことを認める。
「 ちゃんとした仕事に就けと言われたよ」と思い出して笑う。
「 それで、彼の望むように何個か仕事に就いたんだ。Fudgeryっていう名前のとこやピザ屋、映画館とかで働いたよ。そしたら、お袋が俺に言ったんだ。“自分の気持ちに従いなさい”ってね。いまや親父は俺の一番の大ファンだよ!」
最後の言葉として、髪をコーンロウに編んだばかりのシンガーは、自分の気持ちに従い、成功して多くのファンを獲得するための基本的なアドバイスをくれた。
「 進み続けろ。俺は問題が起こったときは、立ち止まって嘆く代わりに前へ進み続けるんだ。俺自身は自分が大成功を収めているとは思ってないけどな。なぜなら、まだ自分が辿り着きたい場所に到達していないからさ。このアルバムが落ち着く頃には、それ相応の地位を得ていたい。ということは、俺にはまだまだやることがたくさんあるってことさ」
まさにこの父にしてこの子あり、である。
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