| がっしりした、それでいて人懐っこい笑顔を見せるジャヒームは、スタッフにコーヒーを頼んだ。ジャヒーム自身のCDがラジカセから小さな音量で部屋に流れている。その歌詞に少し合わせて歌ったかと思うと「シュガーをあとみっつね」と言い「シュガ~~~」とメロディをつけて歌いだした。
「なんでもア・カペラで歌えるの?」と尋ねると、「 アイ・クド・シング・ア・カペラ・エニシング(オレはア・カペラでなんでも歌えるよ)」とメロディをつけて歌ってくれた。
ジャヒームは、暇さえあれば、歌っている。まさに「born to sing」──歌うために生まれてきたような男だ。
21世紀最初の大物R&Bシンガー、ジャヒームが、プロモーションとショウケース・ライヴのために来日した。ここ2か月ほど、R&Bファンの間でにわかに注目度があがっているシンガーだ。
折しも、デビューアルバム『ゲットー・ラヴ』は、全米アルバム・チャートで9位に初登場。アルバムからの最初のシングル「クッド・イット・ビー」は、R&Bチャートで1位、第2弾シングル「ジャスト・イン・ケース」もチャート急上昇中だ。
本名ジャヒーム・ホーランド。’78年5月28日、ジャヒームはニューヨークのお隣りニュージャージーに生まれた。2歳のときに父親を亡くした彼は二人の兄弟とともに母親に育てられた。インナーシティの母子家庭では、ティーンエイジャーたちが不良の道に足を踏み入れることも少なくない。学校にもろくにも行かず、ストリートに出ては遊んだり、悪さをしたりしていた。銃を隠し持ち、ドラッグを売ったこともある。
親しい仲間は、彼のことをジャヒームを略して単に「ジャー」と呼ぶ。そんなストリートのバッド・ボーイだったジャーが17歳のとき、人生最大の悲劇が訪れる。
母が他界したのだ。父不在ゆえに「父親像」というものを持っていなかった彼は、母に無意識のうちにそうしたものを求めていた。しかし、その母も旅立ってしまった瞬間、ジャーの心にはぽっかりと大きな穴があいた。
ジャーは「フォー・マムス」(デビューアルバム『ゲットー・ラヴ』に収録)という小曲にその想いを込める。
「ママが逝ってしまうとは思いもよらなかった。オレのすべての思い出も、明日の希望も消え去ってしまうなんて。オレは一人、強くならなければ。前に進まなければ。でも、ママが恋しい」
ジャーは悲しみに打ちひしがれながらも、必死に考えた。
「オレはもう誰にも頼らずに生きていかなければならない。もうボーイ(子供)じゃないんだ。マン(大人の男)にならなきゃいけないんだ」
ジャーは振り返る。
「子供の頃ってのは、いろいろあるさ。何が悪い事かってのもわからないからね。仲間とおもしろそうだってなれば、なんでもやってしまった。だが、年をとれば少しづつ利口になっていく。なぜ悪い事をすれば叩かれるのか。そうして、いろいろな事を覚えていくんだな。何が悪い事かを知るようになる。ガキから大人になるときに、そうしたことを悟るんだ。変わらなければならないということを。オレは、人生は短いんだ、だから今ある人生に感謝しなきゃって思うようになったのさ。そういう意味で、オレは一気に成長したと思うな」
ジャーは、不良生活に別れを告げる決心をする。ジャヒームは歩み行く道に、人生の「ストップ・サイン」(止まれの道路標識)を発見したのだ。その「止まれ」の道路標識はあたかも「もういいかげん悪さは止めて、まっとうな道に進め」と言っているかのようだった。
ジャヒームが続ける。
「オレが2歳の時父親が死んでるんで、父親のことはまったく記憶がない。二人の兄弟と母という家庭で育った。母に父親像を求めたこともあったかもしれないが、実際は父親的存在のものは、なかった。母には、いつも誰か男の人がいたんだが、その彼はあんまりオレを愛してくれなかった。子供の頃は、なんでだかわからないよな。で、その彼が(本当の)父親ではないってことがわかって、喧嘩したこともある。だがオレは、今は大人の男だと思ってる。オレは強い男だ。そして、何でもできると思ってる。なによりも大事なことは、自分が一体何者かってことを知って、自分自身を信じることなんだ」
その17歳での悟りは、ボーイフッド(少年期)からマンフッド(大人期)へのジャヒームの大きな跳躍だった。
記憶がある頃から歌っていたジャヒームは、歌の世界で生きていこうと考える。
「ルーサー・ヴァンドロス、テディー・ペンダーグラス、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハザウエイ…。みんなオレの大好きなシンガーだ。テディーP(ペンダーグラスのこと)には以前に会ったことがあるんだ。WBLS(ニューヨークのブラックFM局)主催のイヴェントかなにかだったと思う」
彼のデビュー作を聴いた多くの人々は、ジャヒームとルーサー・ヴァンドロスの共通点を指摘する。第2弾シングル「ジャスト・イン・ケース」にせよ、アルバムに収録されているバラード「フォーエヴァー」など、まさにルーサーが歌っているのではないかと思わされる。
しかし、ジャヒームとルーサーには決定的な違いがある。ルーサーはちょっとばかり女性的で線が細く、非常にナイーヴ。一方ジャヒームはマッチョ的で、強い男らしく、線が太い。ジャヒームには、さらにストリートの匂が強い。
歌手の道を懸命に目指したジャーは、ラップ・グループ、ノーティー・バイ・ネイチャーのリーダー格、ケイジーに認められ、およそ2年の準備期間を経て、2001年3月全米デビューとなった。
そのアルバムが『ゲットー・ラヴ』と題された作品である。
「オレは、双子座なんだ。だから、二面性がある。このアルバムも、『ゲットー』と『愛(ラヴ)』の二つのテーマを歌っているんだ」
アルバムに収録されたどの曲もゲットーを舞台にした物語だ。ジャヒームは、この作品でゲットーの語り部と化している。アルバムは、早くもベスト・セラーになり、彼は今年もっともホットなR&Bシンガーとして注目されている。歌手として成功した彼は、もはやゲットーで苦しい生活をする必要もなくなった。彼はゲットーから見事に抜け出したのだ。
「音楽は、あなたを救ったと思うか」と僕は尋ねた。
しばらく考えて、彼は「そうだな」と言い、こう続けた。
「いつも音楽はオレを救ってくれたと思うけど、同時に音楽はすべての人を救っていると思うな。音楽は、人の魂(ソウル)にいいんだよ。そして、音楽はソウルをオレに返してくれる。自分の体からソウルが外に出たとしても、たとえば、(体が)橋や窓から飛び降りたり、宇宙に飛び出て行ったとしても、ソウル(魂)は戻って来る。ママが料理を作ってくれる夢を見る。ママが家にいて『今日一日はどんなだったんだい』って語りかけるような夢を見る。それは、ソウルが戻って来るってことだと思うんだ」
音楽に熱中しているジャヒームの元に、母親の魂が戻って来る。音楽が母のソウルをジャーの元に戻している、というわけだ。
熱く語ってくれたジャヒームの左腕に、二つの単語の入れ墨があることに気がついた。もちろん、それは『GHETTO』と『LOVE』という単語だった。
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