王座は譲らず……復活作『CROWN ROYAL』ついにリリース! 【Part 1】
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2001年02月26日発売 1. IT’S OVER feat. Jermaine Dupri
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Run-DMCがLAUNCHのスタジオに現れたその日、スタッフは上へ下への大騒ぎだった。何だかんだ言ったって、この3人が’86年に発表し、その後のヒップホップの路線を永久に変えてしまったあの画期的なアルバム、『Raising Hell』の衝撃を覚えていない者はいないのだ。 Aerosmithの“Walk This Way”をRun-DMCがカヴァーしたハイブリッド版がヒットし、ラップという名称で知られていた実験的ジャンルが、稼げる巨大産業へと転じたのが15年前になるとは驚きだ。あの驚嘆すべきクロスオーヴァー・ヒットがまいた種から育った「ラップ/ロック」なる副次的ジャンルのすべてを、当の3人組はあれからずっと見守ってきた。本人たちに言わせれば、その時に感じたことを自然にやったまで、ということになるのだが、それがLimp BizkitやKornといった新たな才能の先駆けとなったのは確かだし、そんな新進気鋭のスターたちにしても、ラップの租である彼らを凌ぐところまでは未だいたっていない。 待望の復活アルバム『Crown Royal』がようやくリリースされるにあたって、この驚異的な才能に恵まれたパフォーマーたちは、見たところ相変わらず若々しく、徹底して謙虚かつ軽快に、そしてあくまで内省的に、LAUNCHのR&B/ラップ担当編集者であるBilly Johnson Jr.との長編インタビューに臨んだ。
――「キング・オブ・ラップ」ではなく「ロック」を名乗ることにしたのはなぜですか? DMC: ――“ラップ vs. ロック”という考え方については、どう思っていたんですか? DMC: ――ギターを使ったり、Aerosmithのようなロックバンドとコラボレートしたりと、あなた方はその実験性で常に他のラップアーティストと一線を画してきましたが、サウンドの独自性という点についてはどう考えていたんですか? RUN: ――“Walk This Way”のパフォーマンスは大変でしたか? DMC: ――Limp BizkitやKornといった最近のグループについてはどう思います? いわゆるロック/ラップと呼ばれる新しい副次的ジャンルのことですが。 RUN: DMC: それと、音楽のジャンル分けも気に食わない。前に受けたインタヴューで頭に来たことがあるんだが、俺がグラミーを1部門とったことについて、そいつは「うれしいでしょう。認められたんだから、これで満足しなくっちゃ」と言いやがった。俺は「それは向こうの都合だろ。ラップアーティストのR&Bアルバムが一番売れたんなら、賞をもらうのが当然じゃないか」と言ってやった。 俺たちはLuther Vandross、New Edition、Anita Bakerと争ってAMA(American Music Award)に5部門ノミネートされたことがあるんだが、あの時こそ認められて然るべきだったんだ。でも受賞に至らなかったのは、力を持ってる連中がカルチャーを傍目から眺めて「あいつらをあいつらの場所から出しちゃいかん。しっかり見張っておこう」ってことになったからさ。俺は確かにラップをやってるが、ミュージシャンであり、コンポーザーなんだぜ。Time誌をめくればJay-ZとKornの比較が延々続いてるが、ラップに関して俺が何より胸をときめかせてたこと、期待してたことは、言うまでもない、いつの日か俺たちがJames BrownやFunkadelicのようにNo.1になるってことだ。理屈は同じさ。 ――Kid RockやFred Durstと『Crown Royal』で共演してみて、感じるものはありましたか? JAM MASTER JAY:
――今回のレコードは、あなたが全編プロデュースしたんですか? それとも、共同プロデュースですか? JAM MASTER JAY: ――メタルとラップの融合を“ヒップホップ”に分類してよいと思いますか? JAM MASTER JAY: 一方、ヒップホップミュージックというものは、形式というかスタイルというか、音楽の響きを指して言うものであって、もちろんそれもヒップホップの傘下にある。ただし、ヒップホップは絵とかダンスとか、そういうのが全部込みになってるんだ。ビートやブレイクビートに乗せてラップする、それが元来のヒップホップサウンドだ。元になるブレイクビートはロックンロールの曲から取ってくる。全曲通しで聴かないで最初のほうだけ流し、ドラマーのファンキーなノリが出てきたりバンドがめちゃくちゃ盛り上がってきたり、曲の中のそういう美味しいところだけ使うっていうのがヒップホップの創り方なんだ。 ネタの一部がたまたまロックンロールの曲だというだけだから、ギターの入ったビートに乗せてラップするのもヒップホップには違いない。“Walk This Way”なんかは、曲名も知らないうちからしっかりヒップホップの曲だと思ったぜ。Eminemはたぶん、ヒップホップ寄りの白人なんだろうし、かたやLimp BizkitやKid Rockは、ロックンロール寄りなんだけれども、やってるのはロックンロールに乗せたラップってことなんだろうよ。“Peter Piper”はヒップホップのレコードだ。“Rock Box”は俺がロックンロールに乗せてラップしていたが、やっぱりヒップホップだ。問題は肌の色じゃない、やってる内容を問われるのがヒップホップのあり方さ。Suger Hill GangがChicの“Good Times”でやったやつ、あれは今ひとつヒップホップじゃなかった。ディスコものに乗せてラップしてただけ。あいつらがレコード契約する前にやってたことはヒップホップだったんだがな。いざスタジオに入ったら、どこぞの担当ディレクターやらレコード会社の社長やらがバンドを雇い、そのバンドが演奏して歌って……みたいな。 俺たちの場合、唯一の違いは、うちのバンドにはR&Bをやってほしくない、ロックンロールをやってほしいと考えたところにある。“Sucka MCs”はそれだから、まんま生のヒップホップになった。それがヒップホップってものなんだよ……俺たちにとってはな。 ――ヒップホップの進化に誇りを感じますか? RUN: ――Elvisのような気分になることは? あなたが死ぬとか、ヒップホップのルーツが滅びるのはファンが許さない、というような…… JAM MASTER JAY: 俺たちにElvis的なものを求めようとしても……ヒップホップが相手じゃ比べようがないぜ。こいつはカルチャーであり、アートなんだから。グラフィティあり、ブレイクダンスあり、そしてラップあり。そのラップだって、ネタはロックンロールあり、R&Bあり、ジャズありと、きりがない。ひとりの人間がやってるわけじゃないから、ヒップホップのほうがいくらか根強いものがあると思うんだ。そいつが好きでたまらないという新世代が、また出てきているしな。 例えば、うちの13歳になる息子なんか、ヒップホップしか知らないぜ。俺たちからしてみれば、それも前向きな動きだ。何しろ、俺たちの同朋が今となっては力を持つようになっているんだから。ヒップホップ育ちの同朋が、だよ。次の世代に至っては……まずR&Bありきという人生ではなくなっている。彼らにとってはまずヒップホップありきだ。しかし、だからといってヒップホップが一般的な社会でも第1位の扱いを受けるとは限らない。今や、ありとあらゆる類いの人間に受け入れられるようになってはいるが、俺たちだって「Ebony」とか「Essence」「Jet」といった雑誌からインタヴューされたことは今だかつてないんだから。俺たちと膝を突き合わせて話したこともないんだ。 ’80年代からの20年間で、俺たち黒人社会においてヒップホップは間違いなく大きな存在になったし、良い意味でも悪い意味でも話題にはなったよ。しかし、「Spin」だの「Rolling Stone」だのがある中で……「The Source」が生まれたのは、「Right On」だか何だかの雑誌がヒップホップに然るべき愛情を注いでくれなかったからでさ。押さえ付けようとすればするほど生き残るのが世の常だが、特に俺たちみたいな人間――つまりブラック・アメリカンのことだが――にとっては、さっきも言ったように息子の世代が大人になって力を持つようになる頃には、あいつら次第で状況を変えられるってことを意味してるんだ。現状を見る限り、ヒップホップは息の長いものになりそうだ。ここまでで20年。このカルチャーからは実に大勢のスターが生まれていることだし。
――最近のアーティストは以前にはなかった好機に恵まれている、と思いますか? RUN: ――ブラック系のラジオは当初からサポートしてくれましたか? JAM MASTER JAY: ――そんな体験も、パイオニアとしては当然だと思いますか? DMC: ――リスペクトといえば、AdidasはRun-DMCに今も変わらぬリスペクトを表しているのでしょうか? JAM MASTER JAY: Adidasは相変わらず俺たちを愛してくれてるが、俺たちのほうが彼らを愛してると思うんだ。応援もしてくれてるし、いくらか分け前ももらっちゃいるが、こっちとしては分け前を一番多くもらわないと納得いかない。町によっちゃ、Adidasなんかちっとも見かけないようなところでも、俺たちが行ってプレイすると5000人の客のうち2500人は何かしらAdidasのものを身に着けてくることがあるんだぜ。今夜の俺のショウだって、普通だったらまず見ないようなAdidasものを山ほど目にすることになるだろうよ。今夜は“My Adidas”をキメてやろう。あれをやらないと、大騒ぎになるからな……。 てなわけで、とにかく俺たちのほうは大いに愛情を感じてるのさ。ヒップホップのレコードを作るようになる前からそうだった。単純に、ReebokやNikeが台頭してきた頃だったから、逆に俺たちは世界で一番ヒップな人間みたいな気がしたよ。みんなに「なんでReebokじゃないんだ? なんでNikeじゃないんだ?」って聞かれるようになって……そこから生まれたのがあの曲だったんだ。何もAdidasが俺たちに「1曲書いてくれ」って言ってきたわけじゃない。彼らは俺たちをサポートしてくれてるし、請求書の払いには役立ってくれてるさ。けど、本当はもっと俺を評価するのが筋ってもんだと思う。 ――Adidasのどこがそんなにドープだったんです? DMC: 【Part 2に続く…】 |










