『CROWN ROYAL』 2001年02月26日発売 BMGファンハウス BVCA-21079 2,548(tax in) 1. IT'S OVER feat. Jermaine Dupri 2. QUEENS DAY feat. Nas & Prodigy(Mobb Deep) 3. CROWN ROYAL 4. THEM GIRLS feat. Fred Durst(Limp Bizkit) 5. THE SCHOOL OF OLD feat. Kid Rock 6. TAKE THE MONEY AND RUN feat. Everlast 7. ROCK SHOW feat. Stephan Jenkins(Third Eye Blind) 8. HERE WE GO 2001 feat. Sugar Ray 9. AHHH feat. Chris Davis 10. LET'S STAY TOGETHER(TOGETHER FOREVER) feat. Jagged Edge 11. AY PAPI feat. Fat Joe 12. SIMMONS INCORPORATED feat. Method Man | Run-DMCがLAUNCHのスタジオに現れたその日、スタッフは上へ下への大騒ぎだった。何だかんだ言ったって、この3人が'86年に発表し、その後のヒップホップの路線を永久に変えてしまったあの画期的なアルバム、『Raising Hell』の衝撃を覚えていない者はいないのだ。 Aerosmithの“Walk This Way”をRun-DMCがカヴァーしたハイブリッド版がヒットし、ラップという名称で知られていた実験的ジャンルが、稼げる巨大産業へと転じたのが15年前になるとは驚きだ。あの驚嘆すべきクロスオーヴァー・ヒットがまいた種から育った「ラップ/ロック」なる副次的ジャンルのすべてを、当の3人組はあれからずっと見守ってきた。本人たちに言わせれば、その時に感じたことを自然にやったまで、ということになるのだが、それがLimp BizkitやKornといった新たな才能の先駆けとなったのは確かだし、そんな新進気鋭のスターたちにしても、ラップの租である彼らを凌ぐところまでは未だいたっていない。 待望の復活アルバム『Crown Royal』がようやくリリースされるにあたって、この驚異的な才能に恵まれたパフォーマーたちは、見たところ相変わらず若々しく、徹底して謙虚かつ軽快に、そしてあくまで内省的に、LAUNCHのR&B/ラップ担当編集者であるBilly Johnson Jr.との長編インタビューに臨んだ。 “Rock This Way”を聴いたときは 「何だこれ、ヒルビリーか?」って感じだった | ――「キング・オブ・ラップ」ではなく「ロック」を名乗ることにしたのはなぜですか? DMC: 俺が持ってたライム帳がきっかけだったんだ。(Def Jamの)Russell(Simmons)がいつも「Dよ、何かラップできたか?」って言うもんだから、そのライム帳からこんなのを読んでやった。“俺はラップの王様/上には誰もいない/ロクでもないMC連中、やつらは俺を閣下と呼ぶ”って。それがレコードの最後に入って、Russellたちが“ラップ”を“ロック”に変えてレコードのタイトルにした。その後、ニューヨークのシアターをいくつか回ってプレイした時に、Kurtis Blowが俺に「おまえらがロックの王様ってのは、どういうことだ?」って言ってきたっけ。 ――“ラップ vs. ロック”という考え方については、どう思っていたんですか? DMC: 俺は意識してなかったよ。ハードなレコードを作りたかったんで、ポピュラーなディスコとかR&Bのレコードに乗せてラップするつもりはなかった。となると足場を変えてロックのビートだな、と。それも、ロックのビートに乗せてラップするだけじゃなく、DJはスクラッチに入る前にいくらか元の曲を聴かせるようにした。全編ギターを鳴らしておくっていうのはRussellのアイデアだった。けど、俺は前からロックのレコードに乗せてラップしてたから、特別なことだと思わなかったんだ。 ――ギターを使ったり、Aerosmithのようなロックバンドとコラボレートしたりと、あなた方はその実験性で常に他のラップアーティストと一線を画してきましたが、サウンドの独自性という点についてはどう考えていたんですか? RUN: “Rock Box”や“King Of Rock”を作った時は、人と違うことをやろうとしたんじゃなくて、俺たちの間で流行ってたものをやっただけでね。ライムを乗せるビートを探すのも、Grandmaster Flashなどなど、諸先輩方にならったまでだ。そうやってBilly SquireとかAerosmithのアルバム『Toys In The Attick』に入ってた“Walk This Way”とかのビートに目をつけて……ギターが入るとゴチャゴチャするなんて心配はしなかった。人と違うことをやろうとしたわけじゃない。いつもやってたことをやっただけさ。 ――“Walk This Way”のパフォーマンスは大変でしたか? DMC: レコードをちゃんと聴いたことがなかったから、まず俺とRunとで家の地下室で聴いて歌詞を覚えたんだ。最初は俺たち、「何だこれ、ヒルビリーか? こんなのやらせて俺たちをダメにしようってのか? やり過ぎだぜ」みたいな感じだったんだけど、Jayと俺がスタジオにいた時に、(Jam Master Jayが)「これ、誰だか知ってるか? Aerosmithだよ! Aerosmithの『Toys In The Attick』だ。おまえらがこれをやったら最高だと思うぜ」って言い出してね。それでやってはみたんだけど、Runと俺は極端過ぎると感じてたもんで、スタジオで適当にやっつけたって感じで……そしたらJayが電話してきて、「戻って来てやり直せ。ちゃんとやればスゲェのができるはずなんだから」ってさ。次は俺たちもいくらか本腰を入れてやったよ。最初は連中が俺たちに、いかさまヒルビリーをやらせようとしてるのかと思ったけど。 ――Limp BizkitやKornといった最近のグループについてはどう思います? いわゆるロック/ラップと呼ばれる新しい副次的ジャンルのことですが。 RUN: Limp BizkitもKornもKid Rockも、生まれてこのかたずっと(ラップを)聴いてきた連中だ。ラップを体感しているんだよ。Kid Rockのことはけっこうよく知ってるんだが、やつはDJで、ギターも弾けばラップもやる。要するにみな、才能に恵まれてるってことさ。Wayne Gretzkyがホッケーをやるのと同じように、連中も好きなことをやってるだけだ。好きなことを本気でやってるから成功してるんだ。やりたいって気持ちを捨てられなかった連中なんだよ。誰もが同じように感じるわけじゃないし、人によって心に訴えてくるものは色々だろう。連中の場合、ハートに染み入るのがこれだったってこと。俺は奴らを賞賛もすればリスペクトもするよ。 DMC: (ラップとロックを組み合わせた時も)俺はただ流れに身を任せてやっただけだ。あの頃は面白かったよ。盛り上がってた。俺たちがロックに乗せてラップすれば、ジャズで実験してる連中もいたしな。James Brownとか、'60年代初期のソウルグループがヒップホップの基盤だった。音楽は進化するものだが、現状は俺の目論見と違う。とりあえず腹立たしいのは、Fred DurstにしろKid RockにしろLimp Bizkitにしろ、連中が今やってることは俺たちがとっくにやってたのと同じ……いわゆるロック vs. ラップってやつだってこと。そんなの、俺たちが大昔にやったことだろが! そこんとこが俺は気に食わないね。 それと、音楽のジャンル分けも気に食わない。前に受けたインタヴューで頭に来たことがあるんだが、俺がグラミーを1部門とったことについて、そいつは「うれしいでしょう。認められたんだから、これで満足しなくっちゃ」と言いやがった。俺は「それは向こうの都合だろ。ラップアーティストのR&Bアルバムが一番売れたんなら、賞をもらうのが当然じゃないか」と言ってやった。 俺たちはLuther Vandross、New Edition、Anita Bakerと争ってAMA(American Music Award)に5部門ノミネートされたことがあるんだが、あの時こそ認められて然るべきだったんだ。でも受賞に至らなかったのは、力を持ってる連中がカルチャーを傍目から眺めて「あいつらをあいつらの場所から出しちゃいかん。しっかり見張っておこう」ってことになったからさ。俺は確かにラップをやってるが、ミュージシャンであり、コンポーザーなんだぜ。Time誌をめくればJay-ZとKornの比較が延々続いてるが、ラップに関して俺が何より胸をときめかせてたこと、期待してたことは、言うまでもない、いつの日か俺たちがJames BrownやFunkadelicのようにNo.1になるってことだ。理屈は同じさ。 ――Kid RockやFred Durstと『Crown Royal』で共演してみて、感じるものはありましたか? JAM MASTER JAY: リリックやラップのフローに関しては、Kid RockにもFred Durstにもマジで感心したよ。FredにもKidにもそれぞれ欠点はあるが、ふたりとも俺の人生に大きな印象を残していった。俺はKid Rockの大ファンてわけじゃない……車にはあいつのCDを積んでるし、うちの子供らは俺より余計にMTVを観てるだけあってあいつのことが好きだけどな。でも、CDを聴いてみて、人それぞれに才能があるもんだと思ったよ。一緒にやってみれば、あいつはドラムも叩けばギターもベースも弾くし、DJもやっててブレイクダンスも始めたという……近所のロック少年て感じなのに、スクラッチをさせたらめちゃヒップホップでさ。色々ひっくるめて……地元でDJをやろうとしてとっちめられたっていう話なんかも、あの男への愛とリスペクトを俺に感じさせるね。あそこまでいくのに、あいつは大変な思いをしてきたんだから。あいつの印象は間違いなく強烈だ。Fredはスタジオに来て、その場でさっさと自分の持ち分を書いちまったんだが、これがまたドープでね。 問題は肌の色じゃない、やってる内容を 問われるのがヒップホップのあり方さ | ――今回のレコードは、あなたが全編プロデュースしたんですか? それとも、共同プロデュースですか? JAM MASTER JAY: 『Crown Royal』は俺がプロデュースした。Kid Rockはゲスト参加で、俺とRunと俺の相棒のRandyは全編を手掛けている。Runが俺たちと組んだのもいくつかある。けっこうヒップホップなのが出てくるんだぜ。『Crown Royal』はなかなかのヒップホップ調。ヒップホップのヴァイブ満載だ。 ――メタルとラップの融合を“ヒップホップ”に分類してよいと思いますか? JAM MASTER JAY: 俺は……、違うと思うな。俺たちはあらゆる音楽に乗せてラップする……そういう俺たちのやってるカルチャーがヒップホップなんだ。だから、何に乗せてラップしようが、それはヒップホップカルチャーの一部ということにはなるんだろう。ヒップホップカルチャーに根ざしている、と。 一方、ヒップホップミュージックというものは、形式というかスタイルというか、音楽の響きを指して言うものであって、もちろんそれもヒップホップの傘下にある。ただし、ヒップホップは絵とかダンスとか、そういうのが全部込みになってるんだ。ビートやブレイクビートに乗せてラップする、それが元来のヒップホップサウンドだ。元になるブレイクビートはロックンロールの曲から取ってくる。全曲通しで聴かないで最初のほうだけ流し、ドラマーのファンキーなノリが出てきたりバンドがめちゃくちゃ盛り上がってきたり、曲の中のそういう美味しいところだけ使うっていうのがヒップホップの創り方なんだ。 ネタの一部がたまたまロックンロールの曲だというだけだから、ギターの入ったビートに乗せてラップするのもヒップホップには違いない。“Walk This Way”なんかは、曲名も知らないうちからしっかりヒップホップの曲だと思ったぜ。Eminemはたぶん、ヒップホップ寄りの白人なんだろうし、かたやLimp BizkitやKid Rockは、ロックンロール寄りなんだけれども、やってるのはロックンロールに乗せたラップってことなんだろうよ。“Peter Piper”はヒップホップのレコードだ。“Rock Box”は俺がロックンロールに乗せてラップしていたが、やっぱりヒップホップだ。問題は肌の色じゃない、やってる内容を問われるのがヒップホップのあり方さ。Suger Hill GangがChicの“Good Times”でやったやつ、あれは今ひとつヒップホップじゃなかった。ディスコものに乗せてラップしてただけ。あいつらがレコード契約する前にやってたことはヒップホップだったんだがな。いざスタジオに入ったら、どこぞの担当ディレクターやらレコード会社の社長やらがバンドを雇い、そのバンドが演奏して歌って……みたいな。 俺たちの場合、唯一の違いは、うちのバンドにはR&Bをやってほしくない、ロックンロールをやってほしいと考えたところにある。“Sucka MCs”はそれだから、まんま生のヒップホップになった。それがヒップホップってものなんだよ……俺たちにとってはな。 ――ヒップホップの進化に誇りを感じますか? RUN: ヒップホップの現状は好ましいと思う。金になってるというのがいいじゃないか。リスペクトを受けて、MTVも時間枠を設けざるを得なかったというのもいい。それを俺たちのフッドそのものから生み出したんだと思うと気分がいいよ。 ――Elvisのような気分になることは? あなたが死ぬとか、ヒップホップのルーツが滅びるのはファンが許さない、というような…… JAM MASTER JAY: Elvisとヒップホップの違いは、Elvisはクリエイトしていなかったという点にある。ロックミュージックは既に存在していて、Elvisはただ他より成功しただけだ。踊りとか、ちょっと毛色の違うヴァイブとか、いくらかブラックなノリをロックンロールにもたらしたってのはあるにしてもね。一方、ヒップホップはまったく新しい芸術形態だ。ブラックな味を加えたという点ではElvisもひとつの新しい芸術形態ではあったが、黒人、白人それぞれに、そういうことをやっている人間は既にいたのに対して、ヒップホップはまったく新しいものだったんだ。ドイツ語でラップする人が出てきたり、プロダクションてものを施して音楽に乗せてしゃべるっていうのは、これが初めてだった。だから滅びはしないのさ。 俺たちにElvis的なものを求めようとしても……ヒップホップが相手じゃ比べようがないぜ。こいつはカルチャーであり、アートなんだから。グラフィティあり、ブレイクダンスあり、そしてラップあり。そのラップだって、ネタはロックンロールあり、R&Bあり、ジャズありと、きりがない。ひとりの人間がやってるわけじゃないから、ヒップホップのほうがいくらか根強いものがあると思うんだ。そいつが好きでたまらないという新世代が、また出てきているしな。 例えば、うちの13歳になる息子なんか、ヒップホップしか知らないぜ。俺たちからしてみれば、それも前向きな動きだ。何しろ、俺たちの同朋が今となっては力を持つようになっているんだから。ヒップホップ育ちの同朋が、だよ。次の世代に至っては……まずR&Bありきという人生ではなくなっている。彼らにとってはまずヒップホップありきだ。しかし、だからといってヒップホップが一般的な社会でも第1位の扱いを受けるとは限らない。今や、ありとあらゆる類いの人間に受け入れられるようになってはいるが、俺たちだって「Ebony」とか「Essence」「Jet」といった雑誌からインタヴューされたことは今だかつてないんだから。俺たちと膝を突き合わせて話したこともないんだ。 '80年代からの20年間で、俺たち黒人社会においてヒップホップは間違いなく大きな存在になったし、良い意味でも悪い意味でも話題にはなったよ。しかし、「Spin」だの「Rolling Stone」だのがある中で……「The Source」が生まれたのは、「Right On」だか何だかの雑誌がヒップホップに然るべき愛情を注いでくれなかったからでさ。押さえ付けようとすればするほど生き残るのが世の常だが、特に俺たちみたいな人間――つまりブラック・アメリカンのことだが――にとっては、さっきも言ったように息子の世代が大人になって力を持つようになる頃には、あいつら次第で状況を変えられるってことを意味してるんだ。現状を見る限り、ヒップホップは息の長いものになりそうだ。ここまでで20年。このカルチャーからは実に大勢のスターが生まれていることだし。 初めてAdidasを手に入れたときは、 「愛してるぜ!」っつって棚に飾ったもんだ | ――最近のアーティストは以前にはなかった好機に恵まれている、と思いますか? RUN: Master Pの例がある。あいつが求めたのは配給だけで、レコードレーベルの恩恵など期待していなかった。自分の音楽を世に送り出したいという、それだけのことだったから、その要望を反映させた契約を交したわけだ。いわく「俺は音楽を作ってて、No Limit Recordsっていうちっぽけな店で売ってきたんだが、これからは誰か俺に代わって売ってくれないかと思ってね。これを店に並べてもらうとしたら、どれくらい払えばいい?」と。あいつは総売上げの85%を自分でキープしている。賢いやり方だと思うよ。それが無理で、契約からの上がりが少なかったとしても、最近はライヴをやればかなり実入りがあるしな。 ――ブラック系のラジオは当初からサポートしてくれましたか? JAM MASTER JAY: ブラック系のラジオが“Walk This Way”をガンガン流してたって記憶はないな。あいつら、あのアルバムの中から好きな曲を選んでかけてたよ。散々かかってたのが“Adidas”で、“Peter Piper”は今でもクラブで流れてる。俺たちに関してはいつも意見が分かれてさ。南の連中は“It's Like That”を押し、東では“Sucka MCs”を押し……“It's Like That”もヒットしたが、“Sucka MCs”のほうがでっかいヒットになったんだ。“It's Like That”は最初、西で売れてたんだけどな。そんなもんだと俺たちは思ってるよ。“Rock Box”の時は……ブラック系のラジオは“Rock Box”をかけたが、あそこじゃラップは一切かけてなかったんだぜ。けど、俺はラジオのために曲を作ってるんじゃなくて、みんなのために作ってるんだ。聴きたいものを選んで、ラジオ局に聴きたいのをリクエストするのは聴衆なんだから。 ――そんな体験も、パイオニアとしては当然だと思いますか? DMC: Bob Dylanを見なよ。彼はフォークミュージックをやっていたが、ある日突然エレクトリックギターを弾いてブーイングされた。でも、彼は本気だったから、プレイにプレイを重ね、そして今じゃ天才さ。曲も、歌詞も、生き方もそう。同じ曲を同じように演奏することすらない。そんな彼でも振り返れば……ブーイングされてもめげずに演奏を続けた過去がある。No.1であろうがなかろうが、本物はリスペクトを受けるってことさ。 ――リスペクトといえば、AdidasはRun-DMCに今も変わらぬリスペクトを表しているのでしょうか? JAM MASTER JAY: さあね。俺に言わせりゃ、俺たちのほうがKobe Bryantなんかよりずっと大勢の人間にAdidasを履かせたはずなんだが、KobeはAdidasから俺より遥かに多額の金をもらってるんだぜ! 今、新しい契約の交渉中で、これはKobe側の人間の口利きでね。俺は別にAdidasのために“Adidas”って曲を作ったわけじゃなくて、スニーカーが好きだから自分のために作ったんだ。そのうち俺をNike(の広告)で見かけることもあるかもしれないが、それは本当の俺じゃない。金のためにやったってことになる。 Adidasは相変わらず俺たちを愛してくれてるが、俺たちのほうが彼らを愛してると思うんだ。応援もしてくれてるし、いくらか分け前ももらっちゃいるが、こっちとしては分け前を一番多くもらわないと納得いかない。町によっちゃ、Adidasなんかちっとも見かけないようなところでも、俺たちが行ってプレイすると5000人の客のうち2500人は何かしらAdidasのものを身に着けてくることがあるんだぜ。今夜の俺のショウだって、普通だったらまず見ないようなAdidasものを山ほど目にすることになるだろうよ。今夜は“My Adidas”をキメてやろう。あれをやらないと、大騒ぎになるからな……。 てなわけで、とにかく俺たちのほうは大いに愛情を感じてるのさ。ヒップホップのレコードを作るようになる前からそうだった。単純に、ReebokやNikeが台頭してきた頃だったから、逆に俺たちは世界で一番ヒップな人間みたいな気がしたよ。みんなに「なんでReebokじゃないんだ? なんでNikeじゃないんだ?」って聞かれるようになって……そこから生まれたのがあの曲だったんだ。何もAdidasが俺たちに「1曲書いてくれ」って言ってきたわけじゃない。彼らは俺たちをサポートしてくれてるし、請求書の払いには役立ってくれてるさ。けど、本当はもっと俺を評価するのが筋ってもんだと思う。 ――Adidasのどこがそんなにドープだったんです? DMC: 俺からすると、みんなが持ってるのに俺には手に入らないってところがドープだったんだよ。あと、あの色。Pumaでもよかったんだけど、Adidasが優勢になったのはスエードとかゴムよりも頑丈だったからだ。色も服とピッタリだった。ストライプにあの色とくれば、「これで決まりだな」と思うだろ。Pumaは惜しいところで、どんな服にでも合うというわけにはいかなかったが、こいつは何とでも合わせられる。初めてAdidasを手に入れたときは、「愛してるぜ!」っつって棚に飾ったもんだ。 【Part 2に続く…】 |