レゲエDeeJay、略してDJ(ヒップホップで言うところのラッパー)として'92年頃からマイクを握り始め、地元奈良、京都を中心に活動を始める。 '93年にはレゲエ発祥の地ジャマイカに渡り、大きな刺激を受ける。そんな本場仕込みの影響を受けた後、'95年には当時日本最強のレゲエ・レーベルJap Jamからシングル「Japan 一番」を発売。 彼はラッパーのように強力に韻を踏み倒し、かつ意味を繋げ、ヒップホップ層からもそのスキルは一目を置かれるようになっていた。 必然的にヒップホップとの交流も盛んになり、幅広いジャンルのファン層を獲得するようになる。 | . | そんな中、ミックス・テープなのだが、あえて『Miki-FM』と名づけたテープが飛ぶように売れ、それをきっかけに多くの客演をこなすことに。 そして'98年、全国ツアーをこなし、その後約2年間の充電に入る。 そして'99年、活動拠点の大阪に当時のパートナー&プロデューサーである山本と共にレーベル大和RECORDINGSを設立。翌年、2000年には「斬る!ジャパニーズ」で遂にメジャー・デビュー。 "レゲエ・シンガー"が中心のメジャーで彼のような"レゲエDJ"というスタイルが受け入れられたことは、大きなターニング・ポイントとして、今後さらなるアーティストのブレイクに繋がるだろう。 |