王座は譲らず……復活作『CROWN ROYAL』ついにリリース! 【Part 3】

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王座は譲らず……
高らかにキングを宣言する復活作『CROWN ROYAL』ついにリリース! 【Part 3】

 


『CROWN ROYAL』

2001年02月26日発売
BMGファンハウス BVCA-21079 2,548(tax in)

1. IT'S OVER feat. Jermaine Dupri
2. QUEENS DAY feat. Nas & Prodigy(Mobb Deep)
3. CROWN ROYAL
4. THEM GIRLS feat. Fred Durst(Limp Bizkit
5. THE SCHOOL OF OLD feat. Kid Rock
6. TAKE THE MONEY AND RUN feat. Everlast
7. ROCK SHOW
 feat. Stephan Jenkins(Third Eye Blind)
8. HERE WE GO 2001 feat. Sugar Ray
9. AHHH feat. Chris Davis
10. LET'S STAY TOGETHER(TOGETHER FOREVER)
 feat. Jagged Edge
11. AY PAPI feat. Fat Joe
12. SIMMONS INCORPORATED feat. Method Man

 





 

Part 1Part 2からの続き】

――Run、あなたの本の話をしてください。

RUN:
俺の本は『The Way To Spiritual Abundance』という題名で、繁栄、安泰、健康について書いたものだ。本格的な自己支援のための書で、ラップ本としては異質だな。


――Jay、あなたも本を出すのでは?

JAM MASTER JAY:
あぁ、俺も本が出るんだけど、これはRun-DMCのツアー中の出来事とか、俺の体験を書いたもので、俺なりの賛否両論がまとめてある。要は、裏話ってやつだな。


――読者の興味を引きそうな、注目すべき内容はありますか?

JAM MASTER JAY:
とにかく、頭を冷やしておけって本さ。初めて女の子たちが叫びながら俺を追いかけてきた日からこっち、俺は普通であること、頭を冷やしておくことをモットーにしてきた。俺にはこうやって、いろんな場所へ行ける仕事がある。その仕事はスポットライトの中だけじゃなくて、外でも続いてるんだってこと。それと、やりたいことが何であれ、成功の可能性はあるんだってこと。


――DMC、あなたはマンガに取り組んでいるとか?

DMC:
あぁ、今ちょうどマンガに取り組んでるところなんだが、まだ何もバラしたくないんだ。レコード業界の口が軽いとしても、こっちはハリウッド並みだぜ! 俺はラップを始める前から人の絵を描くのが好きだったんだが、しばらくそれは棚上げしてた。で、ある日、突然目覚めちまって、今(マンガは)進行中というわけさ。インスピレーションに満ちていて、勉強にもなって、エキサイティングで、視覚的にもバッチリで、科学的で、新たに大いなる地平線を開拓するものになるだろうよ。Star Warsとかポケモンとか、この20年に愛されてきたものを全部ひっくるめて1000倍したような感じ。しかも、全編オリジナルだ。


――そのマンガがうまくいったとして、そちらに全力投球するのは可能なんでしょうか?

DMC:
簡単さ。3つ数えてるうちにできちまうよ。これまで会った人たちも、完璧だって言ってくれてる。面倒なことはしたくない。ラップトップを用意すりゃ、あとは手堅く、もう目をつぶってたって大丈夫。なにも俺が9~5時で働かなきゃならないわけじゃない。マンガは金儲けのための単なる思いつきとは違うんだ。5歳から年配の人まで楽しんでもらえる良作だぜ。キャラクター商品の可能性とかはあるにせよ、とにかくマンガのコンセプトとか色々考えてると、気分は劇場へと進んでいくんだな。既に脚本にも手を付けてるんだけど、今のところはマンガの製作段階。これなら全世界のオーディエンスと触れ合う道具になるだろうから。


――Run-DMCの音楽に本にマンガ……これだけ様々な企画が共存し得るんでしょうか?

DMC:
マンガに関しては、音楽で言えないことをマンガで言えるというのがある。年齢なんてただの数字でしかなくなって、何だろうがやりたいと思えばマンガでそれを発散するってわけだ。まあ、物議を醸すというか、一部憤慨する人もいるだろうが、俺の本の一番の目的は「俺もたまにそう思うことがあるよ」と感じてもらうことでね。

多くの人は現実を生きる、つまり“keep it real”を実践しているつもりでも、本来やるべきことを実はやっていない。俺が自分の本や人生を通して訴えているのはそういうことなんだ。自分が父親になったり減量したり結婚したり、あるいは歌や女房を通して体験したり、教会へ行った時に体験したりしたことさ。教会本来の役割を求めて俺はそこへ行き、そしてたくさんのことを学んで、今それを活用している。今となっては世界が俺の教会だ。

Chuck D2pacBiggieの死について、あいつらは殉職じゃない、殺されたんだと話していたが、俺たちが必要なことを山ほどこなして、しっかり取り組んでいかない限り、同じことは繰り返されるだろう。たまたまあの2人は誰もが尊敬する神様みたいな存在だったが、スポットライトの当たっていないところでも、まだまだ同じようなことは起こっている。今もどこかで音楽を作っている彼らのような人間が、また殺されることのないようにしっかりやろうじゃないか。俺は何度も講演したよ。次の世代を担う連中を相手にな。俺が手綱を譲る時がきたら、その扱いを心得たキッズがちゃんと育っているようにって。


 レコード会社はビビッてるが、しまいには
 インターネット上で商売するようになって、
 名称を変えるハメになるんだろうよ

――他にはどんな企画が進行中ですか?

JAM MASTER JAY:
今、俺はMillenium Maxってグループを手掛けてるんだ。このアルバムにもそこら中に顔を出してるよ。あと、Somebody InkってのはRunの甥っ子で、Runもちょっと参加している。Russellも自分の甥っ子たちとアルバムを作っていて、当然ながらRussell絡みの連中は総出でそのアルバムを手伝うことになるだろう。

俺は映画のプロデュースもしているんで、大半はこれに時間を奪われることになりそうだ。今回のアルバムがひどく遅れたもんで、映画をプロデュースすることになっていた俺は、危うくヤバイ状態になるところだったよ。金も用意できてるし、キャストも揃ってる。『Frank Forever』ってタイトルで、これが最高なんだ。そんなところかな、俺の近況は……。グループのプロデュースはいつもやってることだし、シンプルで時間もかからないが、映画のプロデュースとなるとずっと要求されるものが多くてさ。慣れてないっていうのもあるしね。スタッフもクールな連中ばかりで、脚本も最高なら、キャストもバッチリ。準備は万端だ。



――劇場公開を望んでいるんですか?

JAM MASTER JAY:
劇場用だよ。Russellが手配してくれることになってる。金の用意はできてるんだ。予算もいい感じでね。俺が撮れば世間は欲しがるだろう。Russellも力を貸してくれてることだし。サウンドトラックもドープなものになるぜ。いくつか俺が用意してるのもあるしな。家庭用映画なら何本か撮ってるし、これだな、俺が目指すのは……。映画のプロデュース。


――“家庭用映画”と言った時、思わせぶりに笑ってましたね?

JAM MASTER JAY:
だってほら、最近は誰でも映画を、それもしょうもないものをどんどん作ってるじゃないか。俺のもしょうもないものになるって意味じゃないぜ。とにかく俺は、前々からやってみたかったことに挑戦できるのが嬉しいんだ。既に自分ではうまくいってる気がしてて、その家庭用映画ってのは笑えるんだ。最近は何でもかんでもデジタル化していて、みんなデジタルで撮影して映画に見せかけようとがんばってるが、製作にかかってる金と見返りに俺が受け取るであろう金を思うと、つい顔がほころんじまうんだよ。何人か才能のあるライターを見つけてあって、いずれも他人のリライトをやってたような連中なんだが、本当は監督志望なのにチャンスをもらえずにいたところに、俺がチャンスをくれてやったんだから、それこそポジティヴだろ。


――ところで、Legends Of Hip-Hopのツアーはどうでしたか?

JAM MASTER JAY:
場所によっちゃ、他の町よりずっと出来のいいところがあったな。ロサンゼルスの出来には俺は不満だった。床屋に行ってて会場には来なかった俺の従兄弟なんかは、スゴかったって話だけ聞いて大成功だったものと思ってるが、俺にはそういう実感はない。あそこでは他の連中のパフォーマンスは観なかったんだが、人から聞いた話だと、俺たちがステージに上がるまで雰囲気がかなりキツかったらしい。ツアー全体のノリはホットだったんだよ。ただ、たまたまあの町(L.A.)ではそうじゃなかったということだ。ホットじゃない町ってのは、俺は馴染まない。なんか、感じが悪かったらしいんだよな。みんな何かに義理を感じてでもいるようだったって声もあった。俺としては自分が何かを生み出したとは思ってなくて、13歳の頃から(ラップが)好きでやってきただけで、ここでまた楽しくやりたいって思っただけなんだけどね。

実際クールでさ。最初は俺とEPMCとSlick Rickって考えてたのが、しまいには変更になって……、Whodiniが入ったのが当初のラインナップだったんだ。Whodini、EPMC、Slick Rick、そして俺たち。最後は、俺たち、Kurtis Blow、Sugar Hill Gang、そしてWhodiniだ。Kurtis BlowとSugar Hill Gangには大いに刺激されたよ。あいつらとの仕事はすごく楽しかった。それが、ちょっとおかしなことになって、少々辛辣なフィードバックがあったというわけ。ずっとじゃなくて、その時だけだけどね。



――あらゆる場所をツアーしてきたあなた方ですが、完璧なノリの場所というのはありますか?

DMC:
完璧なノリかい? デトロイトだな。俺たちにはあそこが一番だ。デトロイトにはとにかく究極の愛がある。俺たちが行くと、みんなAdidasやらスニーカーやらを買うんだぜ。端から端までそう。あの町全体が今でもそんな感じなんだ。もっとも、ヒップホップなノリってことでいえば、どこでもそうだよな。ヴァーモントにもレバノンにも行ったが、みんなマジだったよ。

ヒップホップは世界を牛耳った……それは大企業も周知の事実だし、だからこそ大勢のラッパーが「俺もレコード契約を取って、認められるために何かやらなくちゃ」と考えるようになったんだ。俺たちだけのものじゃない。どこのキッズも――大学生も労働者も――みんな同じことで悩んでいるのさ。競争からくるプレッシャー、いじめ、セックス、ドラッグ、両親。Nasが言ってることは全部、ネブラスカのキッズにも共感できること……そいつの近所にも同じような敵や味方がいるってわけだ。Nasの狙いは的中してるんだよ。

キッズはなにもドラッグをひけらかす内容のレコードを作ってるラッパーに共感してるんじゃない。同じように苦労してる点や、そいつのフッドの現状に共感してるんだ。場所によってその傾向が強いとか弱いとかいう問題じゃなくて、それほどあからさまになっていなかったり、一般的じゃない場所もあるというだけのこと。そういう比較をしようとは思わない。


――みなさん、インターネットに興味はありますか?

DMC:
(L.A.の)コンヴェンションセンターで、その件についての大きな会議に出たばっかりなんだ。MTVやLAUNCHの代表と一緒にな。金になるって点では、アーティストに有利ではあるが、努力が必要なことに変わりはない。やっぱり市場を相手にするわけだから。今まで俺はずいぶんレコードを作ってきたが、1作発表して何枚か売れればそれだけ儲かるというやり方だったのが、今では好きなだけ発表することも可能になった。「で、どう売るんだ?」という声もあるだろうが、それはプロモーションの話でさ。ファンベースさえ出来上がっていれば、向こうから出向いてくれるものなんだよ。で、そのファンベースを確立する術として、インターネットは最高だ。それが自分たちの商売なのに、ってレコード会社はビビッてるが、しまいにはレコード会社もインターネット上で商売するようになって、何になるのか知らないが名称を変えるハメになるんだろうよ。

インターネットで美味しい思いをしようという連中は後を絶たないだろうし、利用者もどんどん増えるだろうから、あとは管理の問題だ。レコード会社がまず商売ありきなのと同じように、インターネットの世界だってまず商売ありきになっていくに違いないんだから。一方、「これが次のビッグアーティストだ」っていうんじゃないにしろ、とりあえず聴いてもらえるという意味合いは充分あるわけで、創り手にとってはポジティヴなことだ。インターネット上でレコードレーベルをやれたら、アーティストである俺なんかは資本を増やすチャンスも増すわけだし、それがフェアな商売ってもんだよな。



 名声や富を売り物にする連中にとどめを刺す
 のは 「ノー」のひと言。 「え? どうかしてん
  じゃない?」 ぐらいのショックを受けるはずだ

――VH1の特番、『Behind The Music』について教えてください。

JAM MASTER JAY:
片っ端から暴露されてるよ。汚い話も全部! 汚い話が揃わないと、あそこには呼んでもらえないからな。


――つまり、観ると何がわかるんです? あなた方について世間が知らないこととは?

RUN:
俺は家にこもってばっかりいて、家にいるのが好きだってこと。俺は自分ちで子供や女房と過ごすのが大好きなんだ。あと、暖かいのが好きだから、外が暖かい時でも暖房を入れる。快適さにはこだわるよ。清潔さにもとことんこだわるから、そのためならホテルの部屋に一泊3000ドルだってかける。買ったばかりのリムジン――ベントレー2000にしても、とにかく快適さの追求だ。見せびらかすってのとは違って、別に誰にも気づかれなくたってかまわない。ただ気持ち良く過ごしたいだけ。だいたい、俺の部屋もホテルの部屋も誰の目に触れるわけでもないもんな。見事な大理石とか、清潔なバスタブとか、部屋を眺めてひとりで悦に入るのさ。メイドには日に2回掃除をさせている。色は明るいのをたっぷり。たまんないね。

DMC:
あなた方について世間が知らないことは何か、だって? 近いうち、まあ、ツアーが終ってからだが、そのうち全然違う類いの音楽が俺から届くことになるぜ。音楽に関してさらに異なる次元の意識を開拓できたらなぁ……。俺としてはミュージシャンに、作曲する人になりたいんだ。だから、それなりの成長も遂げていかないといけない。今、俺が手を出している題材は、若い連中が喜ぶかもしれないようなやつだ。「こりゃドープだぜ」とか言ってさ。まぁ、中身は俺には無理なもの、らしくないものにはなりっこない。ただ、ラップしてる内容は俺自身とは限らなくて、自分のひとつの見せ方でしかないんだけどな。

マンガ本に取り組んでることについても、神様はこれで俺に何を教えようとしてるんだろうと考える。「アートの才能をおまえに授けたんだぞ。思慮と想像力を。おまえらしさを損なうことなく、その才能を磨くがいい」ということなんだろう。今、俺にはバンドがあって、スタジオに入れば「曲、覚えてきたよな?」と、通しで1曲やれてしまう。ハーモニカあり、バンジョーあり……と、Doobie Brothers系の音楽を俺はやってるんだ。それをちゃんと形にできたら、そしてみんなにも俺のことをわかってもらえたらと……。スタジオを離れて7年、何も飲まなくなって7年だというのに、世間は相変わらず昔のあの男を俺に期待している。あいつは死んだんだよ。俺がNasと一緒のレコードに顔を出したら衝撃だろうな。俺はあくまで急進派でなきゃいけないってわけだ。「これが俺だ、俺のやってることだ」とね。

あの最初のレコードは、あれは俺が実際に暮らしてた世界であって、無理に別世界に暮らそうとしてたわけじゃないんで、そこはわかってもらわなきゃいけない。クリエイティヴな観点から言えば、俺はとにかく現役でいたいんだ。完成してしまいたくはない。あと、自分に嘘をつかずにやっていきたい。そうすれば、みんなに対しても誠実でいられるから。



―― その点、『Crown Royal』の制作は納得のいくものでしたか?

DMC:
とても。7年前、体のことで俺は医者に「飲みつづけて死ぬか、きっぱり止めるか、ふたつにひとつだ」と言われた。2年前にはその医者から声のことで話があった。あいつらが(自分たちのレーベルの)ProfileをAristaに売却するってことになっちまった時は、俺はAristaに出向いて「俺はこの話に乗れない」ってClive Davisに直訴したんだぜ。そしたら「金のことを考えろ、キャリアのことを考えろ」って。俺もそれは考えたさ。でも、自分が満足できなきゃ話にならない。

完成したアルバムは、見事な、素晴らしいアルバムだ。金儲けのために作ったアルバムは俺を幸せにできないだろう。幸せでいることが金になるのが本当なんだ。成功して億万長者になってる人はみな、そのサクセスストーリーを読んでみると、納得して好きなことをやって幸せになって、それで何十億も稼いでるんだよな。俺もそろそろ未踏の地に踏み込んで、せっかくの財宝を活用しないといけない。死んだ後で、「昔ラップしてた人ね」なんて言われるだけじゃ、たまんないよ。今回のレコードについて言われたことで最悪なのが、その「昔はラップしてたのに」ってやつでね。俺がやったのは歌入れだったし……ライムを書くってことすら今はやってない。書いてるのは曲だ。


――今の自分をどう思いますか? 自分のイメージはどう変わってきていますか?

DMC:
どこへ行こうが、DMCさ。このグループの発端から、俺はただ腕を組んで立ちはだかってるだけ。Runがソロになったって、視覚的には俺もいなきゃダメってわけだ。キツイよな。とんでもなくキツイ。爆弾と拳銃を山ほど抱えて、RunとJayとAristaを人質に、『Hostage』のSamuel Jacksonばりに「口のきき方に気をつけないと、てめぇらブッ飛ばすぞ」とかやったら、どうだろう。みんな、勝手に考えた成功の方程式に当てはまるものを俺に求めてくるが、俺が提供できるものをそのまま受け入れてくれない限り、成功はあり得ないんだよ。百害あって一利もないようなものを世に出してどうする? 俺は自分を理解してるが、世間は俺という男をわかってない。わかったつもりでいるだけだ。なんとかわかってもらうしかない。「金」とか「テレビ番組」なんて言い出したやつは試験に失格だ。

Russellとも7年を経て腰を据えて2度話し合い、やっとわかってもらった。このアルバムの差し止めなんてあり得ない。俺はとにかくRussellに自分の考えを聞いてもらいたかったんだ。ここ7年間の俺の生活をね。カミさんは「あんたがラップを止めたら、支払いはどうすんのよ?」なんて言ってるが、明日のことは心配してもしょうがない。どうしてこんなにすっきりしてるのかって? 一番は、息子が「パパが決めたことなら、僕はリスペクトするよ」と言ってくれたことでね。金を基準に物事を決めるのが有益だと人は考えるものだ。だから、財力や名声や富を売り物にしようという連中にとどめを刺すのは「ノー」のひと言。「え? おまえ、どうかしてんじゃないの?」ぐらいのショックを連中は受けるはずだ。

あいにく、大きな成功を収めている天才たちは、世界中どこへ行ってもクレイジーな連中と決まっているんだよ。俺もクレイジーと思われてるのかもしれないが、俺はただ、そう思ってるあんたらが暮らす幻想の世界には暮らしていないだけだ。それが現実なのさ。事実は事実。成功は事実ではなく、ただの見解。例えばこれが競走だとすれば、ビリでゴールしても俺は勝ったと思える。勝つ見込みのないレースに出て競ったっていう、それだけでね。もしかしたら勝てるかもしれないし、勝ちたい、だからトレーニングもするだろう。だけど完走してもなお、災いは壁に貼り付いたままだ。それでも自分らしさの実感は永久に残るものだし、このアルバムで成し遂げたことも、願わくば65歳の白人のオヤジもヒスパニックの少年も「彼が決めたことだからリスペクトする」と言ってくれるようなものだと思いたいんだ。俺が幸せなら、聴くあんたも幸せになれる。その点を強調しておきたいぐらいで、あとは納得してるよ。



――DMC、あなたは聖書を完読したそうですが、どうやって、どのくらいかけて読んだんですか?

DMC:
読み始めてから終わるまで毎日読んだよ。アークの成り立ちを読むのに何カ月もかかったりしてさ。神様に「なんだってこれを俺に教えたいんです?」と問いかけたもんだ。読み直しもした。創世記から聖書を読んでいくのって、尋常じゃないぜ。ここ3回は、2~3カ月で読み通してる。


――聖書の物語で、どれが一番好きですか?

DMC:
福音書はどれも好きだよ。過去7年間の俺の身の上も、俺版のキリストの物語みたいなもんだしな。俺は生命を投げ出し、キリストも生命を投げ出した。「すべて捨ててしまうなんて、どうかしてる」と人から言われながらね。あの人が言ったことはどれも、現実を生きているつもりになっている人間が見落としていることばかり。俺たちはあの人に似せて創られ、創造すべく創造されたんだ。神が俺たちに望んでいるのはそれなんだよ。要は知恵、良識的な知恵。それが福音書だ。今ここでペラペラめくれば、大事なところはすぐ指摘できるぜ。

ジーザスをジーザスと認めないとしても、だったら誰か他の賢人が現実を悟って幻想に生きることを止め、「冒涜ではない……これは己を知ること、悟りなのだ」と宣言したと考えることはできるだろう。戦争や喧嘩の話は読んでいて面白かったよ。人生って、そういうものだよな。つまんないのはアークの成り立ちとか、そういうやつ。それでも俺は8回読んだ。すべてちゃんと把握したかったからだ。わかってなかったことがたくさんあって……カソリックの教会やシナゴーグで教わった基本的なところもそう。あれは額面どおり受け取るものじゃない。ジーザスが聖書を閉じて「私にはもうこれは必要ない。なぜなら、これはまだ知らない者たちのためにあるのだから。ここに書かれていることを、私はもうすべて知っている」と言ったが、その囁き、直感は、俺たちに既に備わっているんだよな。神にあるものは、俺たちにもある。俺たちもまた聖書を、英知の書を書いて人々の役に立たなければいけない。何事も、額面どおりに受け取らないこと。

俺は聖書の失われた書、死海文書も読んだんだ。ジーザスは自分を祭り上げて宗教を始めてほしかったんじゃなくて、ただ俺たちに自分と同じように行動してもらいたかっただけ。そこで、俺の使命とは何か? ということになるが、あるいは「ラップはしない」と宣言することが俺の使命なのかもしれない。ジーザスは孤独を恐れなかった。あの人は己の源をたどればそれは未知であると悟り、ありのままの自分を受け入れていたからだ。人が神を「神」と呼び、ひとり、またひとりと離れていったのが、終焉の始まりだった。人はそうやって、神と自分を隔絶してしまったからだ。

ツアー先で俺は、こいつらとつるみたがらないんで、からかわれるんだよ。本ばっかり読んでるから。J.W.Marriottの思想とか、片っ端からね。結果を恐れて偽善者となり、正しい行ないに撤する、というつもりは俺にはないけれど、宗教が説いているのは正にそれだよな。神に救いを求めるのは自由だが、中には力添えを必要としている人もいるんだ。俺は自分の本の中で、組織化された宗教には反対だと言っている。カソリックだのボーン・アゲイン(再生派)だの、そういうのは神の目論見とは違うんだよ。俺は聖書を8回読んで、もう1回読もうとしたところで、「いや、今度は読んだことを実体験してみようじゃないか」と考えた。読むのは何度でも読めるが、実際に体験してみないことには始まらない。エンジェルやゴーストが存在するというのも、だからなんだろう。神様も下界へ降りて実際に感じることができるようにジーザスを作りたもうたのさ。

 

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