【連載】Vol.074「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」
マリア・マルダーが巨匠二人に捧げる素晴らしきステージ!“ドクター・ジョンとアラン・トゥーサンは私の素晴らしき音楽仲間だった、エーメン!!”
▲マリア・マルダー&ハー・レッド・ホット・ブルジアナ・バンド
マリア・マルダーのステージを初めて味わったのはもう40数年前のことだ。彼女は1970年代前半からソロとして活動を続け、多くの仲間たちとレコーディングし、そしてツアーに出たり…。アルバムは優に40枚を超す。そんなマリアのレイテスト・アルバム『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』を僕は夢中に聴いている。これは1930年代後半から活動した女性ブルース歌手ブルー・ルー・バーカーのトリビュート作品集である。既にご存知かと思うが61st Annual GRAMMY AWARDS“ベスト・トラディショナル・ブルース・アルバム”にノミネートされた。実に秀逸な出来栄えだ。
▲CD『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』 from Mike’s Collection
そんなマリアに僕は初めてのインタビューを行った。業界チックな話しをしちゃうと、2~3日の公演がある時は、大体2日目以降が取材日となる。初日は楽器のセッティングやサウンド・チェックなどで必要以上に時間がかかるからだ。今回のマリア・マルダーのBillboard Live TOKYOでのステージは6月8日と9日。通常だと9日がインタビュー日となるが、この日
は僕は他の仕事とダブル・ブッキングとなり泣く泣く予定変更をお願しなければならなくなった。そこをBillboard Live TOKYOスタッフ・関係者の方々のご尽力で何とか初日サウンド・チェック前にインタビューとなった。でも最終決定はマリア自身が決める…。マリア本人から直接“OK”が出たと連絡を受けた前日、僕は一人喜びに沸いた。
6月8日午後、リハーサル前の貴重な時間を貰いマリア・マルダーへインタビューを行った。
▲マリアと筆者
Q:マリアさん、日本へようこそ。もう10回目くらいですね。
A:まず今日は私にとってとても悲しい日だってことを言わなくちゃならないわ。泣いちゃうわね。ドクター・ジョンが昨日亡くなったから…。私のファースト・アルバムを作ろうとしていた1970年代前半から私は既にドクター・ジョンの大ファンだったの。ワーナー・ブラザーズでアルバムを制作中、WBから誰と一緒に演りたいかって聞かれたんで、ライ・クーダー、ドクター・ジョン、デイヴィッド・リンドレーといったマイ・ヒーローを挙げたの。そのドクター・ジョンはアルバムでピアノを弾いてくれて、その他にいろいろと良いアイィデアを出してくれたわ。彼はただのピアノ弾きじゃなくて、プロデューサーでもあり、すごくクリエイティヴな人だったの。ある日、彼がスタジオにやって来てこう言ったのよ、(ドクター・ジョンの声色で)「キミにいい曲があるんだけど」。彼は持参したカセットを聴かせてくれたの。そこにはブルー・ルー・バーカーの「Don't You Feel My Leg」が入っていた。「とっても可愛い曲ね、じゃあこれ演りましょう」。自分で作曲してなかったから、いつも面白い作品を探していたの。ファースト・アルバムに「Don't You Feel My Leg」を収録。
▲CD『maria muldaur』 from Mike’s Collection
勿論「Midnight At The Oasis」が大ヒットしたことは誰もが知っているわよネ。だからグラミーにノミネートされたり、ローリング・ストーン誌の表紙になったり、そしてこの曲は何百万枚も売れたの。でも当時あるDJがこう言ってくれたの、「“Don't You Feel My Leg”は“Midnight~”以上にリクエストがくる。ネクスト・シングルにするといいよ」。でも結局シングル・カットはされなかったけど。とにかく、あれから何年も経っているけど、ブルー・ルーのトリビュート・アルバムを完成したの、41枚目ヨ。私はほぼ毎年1枚のアルバムを作っているの。毎回新しい題材なので、バンドも演奏するテンションが上がってとても良い感じなの。「Don't You Feel My Leg」は私のヒット曲と共に最近は毎回のようにセットリストに加えてます。ショーの終わりの方で演やるんだけど皆がとても喜んでくれるの。ブルー・ルーと彼女のご主人のダニー・バーカーは私のお気に入りミュージシャン。ダニーは素晴らしいジャズ・ギタリストでキャブ・キャロウェイ、ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイのバックも務めたの。二人は何十年にも亘ってニューオーリンズの音楽コミュニティーから愛されてたの。私は彼らに会う必要があったのネ、二人の曲を私のベスト・セラー・アルバムで歌わせて貰ったわけだから。私たちは何年もの間良き友だったんだけど、悲しいことに彼らは1990年代に亡くなったのです。
▲CD『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』ブックレット/フロント・カバー
彼らの音楽魂を継承する意味でニューオーリンズで3年前にダニー・バーカー・フェスティバルが開催されたのよ。ダニーのおかげで、伝統的なニューオーリンズのブラス・バンドへの大きな関心が生まれたのも確か。彼は多くの若手ミュージシャンにいろんなことを教えていたの。伝統が途絶えないよう、ダニーはリバース・ブラス・バンドほか多くのブラス・バンドを指導したのです。そのフェスのスタッフからダニーの奥さんのトリビュート・ライヴを演って欲しいという依頼が来たの。60分2セット。即OK!でもブルー・ルーの作品は3曲位しか歌ってなかったの。私のバンドのピアノ奏者クリス・バーンズが調査して、彼らが何十曲も書き下ろしそしてレコーディングしているのを知ったの。そういう楽曲の多くが、ちょっと下品で猥褻で気の利いた滑稽な曲だったのよ、「Don’t You Feel My Leg」みたいにね。興味深いことに、彼らはニューヨークでも長いこと過ごしているの。あの当時はああいった内容の歌はとてもショッキングだったはず、今とは違うから。でも、とても滑稽で粋で「わあ、すごくいいじゃない!」。ニューオーリンズに行って、とても良いバンドを組んでショーを演ったんです。終演後オーディアンスがグッズ・コーナーに集まって「今日やった曲はどのCDに入っているの?」。そうだ、今歌った楽曲を1枚のアルバムにしようとその時決心したの。曲を整理するのにちょっと時間がかかったけど、去年の6月に凄いバンドを立ち上げたんです。ハーリン・ライリー、デヴィッド・トーカノウスキー、クリス・アドキンスらのトップ・プレイヤーを集めてスタジオ入り。こうして完成したのが『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』。
▲CD『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』バック・カバー for Mike’s collection
Q:何度も何度も聴きたくなってしまうアルバムです。
A:今日でもバーカー夫妻の作品はとても意味ある内容だと感じさせるのです。ブルースの女性たちって、社会に何が起こっていても、自由に自分たちを表現するの、自分たちのセクシャリティーとかについて。ぶりっ子の内容じゃなくて、現実なのよ。アメリカで大々的な“MeTooムーブメント”があったの、Mike、あなたは知ってる?男たちが女性にセクハラしてるってことが表面化したんだけど、それは今に始まったことじゃなく昔からあったんだけど、それが最近になってようやく全部吐き出されたの。私は思ったの、80年前からブルー・ルー・バーカーはそれを先取りしてたんだ!彼女は「Don't You Feel My Leg」の中で♪アンタは私をダンスに連れて行ってグラス一杯のワインを奢ることは出来る。でもアンタのこと分かってる、何か下心があるんでしょ、アンタはダンスして楽しい時間を作ってと言うけど、私が貰ったのは○○○○、なんてこった♪って歌っているの。彼女のメッセージはこういうこと、“私を高級レストランに連れて行ってご馳走してワインを奢ったからって、私の扱いを心得てるってことじゃないのよ”♪アンタは私の許可なく私の足に触れることは出来ないの♪ってこと。だからこの曲の裏には意味があるの。このアルバムはグラミーにエントリーされた。でもグラミーには何度もノミネートされたけど、賞は未だもらってないの(笑)。
Q:74年“Record Of The Year”、01年“Best Traditional Blues Album”、05年同、10年“Best Traditional Folk Album”。そして前回…。
A:でも諦めてないわ!
Q:今年のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバルにも出演しましたね。諸事情により観に行けなかったのが残念です。
A:NJAHにはこの4月に出演、とても刺激的だったわ。あのフェスは以前にも出たけど、今年はニューオーリンズの素晴らしいバンドを従えてのステージということでとても特別なステージだったの。とにかく皆が歌詞を気に入ってくれたわ。ダニー・バーカーはビリー・ホリデイと共演したって言ったでしょ。私がこのアルバムのためにいろいろ調べて分かったんだけど、ビリー・ホリデイが【一番影響を受けたのはブルー・ルー・バーカー】と語っていたの。初耳だったわ。2000年以降に生まれた若い子たちもビリー・ホリデイは知っているけど、ブルー・ルー・バーカーのことは誰も知らない。このことも『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』を作った理由の一つ。ブルー・ルーは何十年も前に時代を先取りして、かつ最高のジャズ・シンガーの一人ビリー・ホリデイが彼女の影響を最も受けたっていうんだから、私は、この素晴らしいアーティストが忘れられないように、光を当てたかったの。
Q:「Don't You Feel My Leg」は3度レコーディングしていますね。デビュー・アルバム、92年の『Louisiana Love Call』、そして最新アルバム。
A:そう、3度目ネ。だって皆がこの曲を大好きだから。ここ数年のライヴで一番の人気曲。日本じゃどうか分からないけど、アメリカでは♪さてMidnight at the Oasisを歌います♪っていうと皆拍手はしてくれる。でも♪最後にDon’t You Feel My Legを歌います♪っていうと、皆“ワー!”となるのよ。
Q:改めてドクター・ジョンを追悼したいです。14年前にハリケーン・エイド・ジャパンの記者発表の際僕はMCを務めたんですが、そこに丁度来日中だったドクター・ジョンが出席してスピーチしてくれたことを思い出します…。
A:今夜は最新アルバムから4~5曲、私の古いヒット曲「Midnight at the Oasis」「I’m A Woman」のほかにドクター・ジョンとアラン・トゥーサンのトリビュートもやるわ。アランの作品からは「Brickyard Blues」ともう一曲。
▲「Brickyard Blues」収録のCD『Waitress In A Donut Shop』 from Mike’s Collection 故・鈴木カツさんのライナーノーツが素晴らしい!
数年前アラン・トゥーサンのトリビュート・コンサート出演を依頼されたの。彼の楽曲は全て知ってると思ってたんです。「Brickyard Blues」「Yes, We Can」をレコーディングしてたし、何より彼のことは大好きだった。その時もいろいろリサーチしたんだけど聴いたことのないとってもビューティフルな楽曲を発見したの。それが今夜歌う「The Optimism Blues」。
Q:二人についてはまだまだ語り足りないようですね。
A:そうね、ドクター・ジョンは、すごく特別な人だったわ。すごくクリエイティヴで想像力に富んでいた。彼はスタジオのセッション・ミュージシャンとして活動し始めたのね。彼はあんな声だから歌えるとは思ってなかったの。で私は「歌えるわよ」って伝えたの。そしたら彼は、あのドクター・ジョンっていうブードゥー教の男の人物像を作り上げちゃったの。あまりに想像的だったから、1968年に彼のファースト・アルバムを聴いて大ファンになったの。すごく滑稽なんだけど、彼のプレイは一方で凄くソウルフルなのね。彼は1970年代に私のアルバム何枚かに参加してくれたの。
▲CD『maria muldaur』バック・カバー
1980年に私はワーナー・ブラザーズとの契約はもう無かったんだけど、彼もレコード契約が無かった時期。二人でデュオとして活動を始めたの。アメリカ中を巡ったし、ヨーロッパやヴァージン諸島でも公演した。日本には行かなかったと思うけど、私たちいろいろな所へ数年間ツアーして、一緒にレコーディングもしたわ。彼に頼むといつも特別な曲を用意してくれた。彼がピアノを弾いて私が歌うってのは、ホントに天にも昇る気分だったわ。彼のピアノはすごく創造的、彼が「Such A Night」とかのソロを弾いてたりするのを聴いてるとすごくクリエイティヴな気分になるの、そしてゾクゾクしてくるの。車を運転してる間中、彼はニューオーリンズのミュージシャン、ニューオーリンズ・サウンドについてといろいろと話してくれたわ。ドクター・ジョンとは別々に活動するようになったその後から、私は自分のピアノ奏者は絶対にドクター・ジョンのようなニューオーリンズの音が弾けなくではならないという条件を出したの。それで、ニューオーリンズ・サウンドが私の音楽により浸透していったのね。だから私は自分の音楽をブルース+ルイジアナということで“ブルジアナ・ミュージック”って呼び始めたの。ブルージーでルイジアナっぽくてファンキーなサウンド。私のバンドもレッド・ホット・ブルジアナ・バンドと名付けたの。ブルジアナは私の造語かと思ってね、「これイキなネーミング!」。でもドクター・ジョンは既に同名のアルバムを出してたの!
Q:90年の『Bluesiana Triangle』。
A:彼に電話して「ねえ、マック、ごめん、私、あなたがブルジアナ・アルバム出してたって知らなかったの、ブルジアナって凄く良い名前だと思って作ったんだけど」「どうでもいいさ、その名が広がればもっと良い」って彼は答えてくれたの。以来、私のバンドはレッド・ホット・ブルジアナ・バンド。彼はほんとに素晴らしい人だったわ。彼がアルコール依存症で苦しんでたのは誰もが知ってるけど、結局立ち直ったのよ。1989年頃だったかしら。ツアーに行った時なんか、「サウンド・チェックの時間よ」と呼びに行った時に彼が気を失っている現場を発見したらどうしようかってとても心配だったわ。でも彼はいつもちゃんとやってくれたし、何があろうと素晴らしい演奏をしてくれた。お酒もやめてクリーンになってくれて凄く嬉しかった。それからほぼ40年、ドクター・ジョンは確実に活動し素晴らしい作品を発表してきたんです。東京に来る前、ロサンゼルスのホテルで一泊したんだけど、ホテルの部屋でコンピューターを開いたら彼の死を知ったの…。今も打ちひしがれた気分。私の音楽にとって大きな部分を占め勿論多大なる影響を受けたけど、それだけじゃなく多くの人々、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンも彼のことが大好きだった。彼は多くのミュージシャンと演奏した。彼が亡くなってとても寂しいわ。
Q:偉大なるアラン・トゥーサン。彼もストーンズほか多くのミュージシャンに影響を及ぼしました。
A:アラン・トューサン、もう一人の素晴らしい人。そしてとても優しい人で、凄く才能があって、歌は詩的で、クリエイティヴなエネルギーを持ってた人ね。物腰の優しい親切なジェントルマンという感じだったわ。彼の音楽は大好きだった。彼の曲の歌詞はホントにポエトリーだったし、私は彼と知り合えて彼の音楽を歌えて幸運だったわ。ああいうミュージシャンはもういないわねえ。
Q:そして貴女の半世紀以上の長きに亘る音楽生活についてじっくりとお話しをお聞きしたいのですが、そろそろサウンド・チェックのようなのでそれは次の機会ということで。ステージを楽しみにしています、ありがとうございました!
A:時間がなくてごめんなさい。マイク、そのギターのペンダント、とっても素敵よ!!(笑)
▲マリア・マルダー&ハー・レッド・ホット・ブルジアナ・バンドと筆者
*インタビュー協力:河合千春
インタビュー後、僕は引き続きマリア・マルダー初日ファースト・ステージを楽しんだ。
オープニングは軽快なリズムに乗ってのお馴染み「I’m A Woman」。ペギー・リー1962年のヒットとして知られるナンバーをマリアは60年代後半から得意としていて、74年リリースのセカンド・アルバム『Waitress In Donut Shop』収録。シングル・カットされ74~75年にかけて人気を呼びBillboard誌HTO100では75年3月1日付8日付の2週12位を記録した。マリアはタンバリンでリズムをとりながら颯爽と歌い上げる。
▲『Joel Whitburn Presents The Billboard HOT100 The Seventies』75年3月1日付 from Mike’s Library
「日本にやって来る直前、ニューオーリンズ出身のアメリカの宝、ドクター・ジョンが亡くなったことを知りました。とても悲しいです。さらに数年前、ニューオーリンズ出身の偉大なるピアノ奏者、アラン・トゥーサンもこの世を去りました。続いては二人をトリビュートしてアランの作品、ドクター・ジョンがレコーディングに参加した“Brickyard Blues”」。このナンバーもセカンド・アルバム収録。マリアはフィンガー・スナップしながらじっくりと歌い、レッド・ホット・ブルジアナ・バンドのクリス・バーンズ/KBD & クレッグ・キャファロー/GTRはコーラスも担当。観客が手拍子で盛り上げる。ドラムスのアダム・グッドヒューも敏腕ぶりを発揮。
▲CD『Waitress In A Donut Shop』 バック・カバー
「アラン・トゥーサンの作品をもう1曲披露させてください。彼はポインター・シスターズの「Yes We Can(Yes We Can Can)」やグレン・キャンベルの「Southern Nights」ほか沢山の名作を書き下ろしています(6月23日のKOTES and YANCYのライヴでこの曲を切々と歌うYANCY、そしてKOTEZのブルース・ハープに僕は感動させられた)。
▲アランのCD『Southern Night』 from Mike’s collection
アランのトリビュート・コンサートのためにいろいろ彼の作品を歌いました。その中で初めて出会ったアランの私にとっては新しい楽曲、でもオールドな作品を今度は歌います。“I Got After Rhythm and Blues”」。
ということで3曲目は邦題“陽気なブルース”こと「The Optimism Blues」。アラン・トゥーサン78年のアルバム『Motion』から。ミディアム・テンポの実にダウン・トゥ・アースな味わいのナンバー。僕らをまるでアメリカ南部にいる気分にしてくれる。
▲CD『Motion』 from Mike’s Collection
「今度は最新アルバムから歌います。1930年代、40年代、50年代に活躍したニューオーリンズのブルー・ルー・バーガーへのトリビュート作品です。私のファースト・アルバム制作中、ドクター・ジョンが“マリア、君のために素敵な曲を用意したよ”(マリアはドクター・ジョンの声色で場内をわかす)。彼は小さなカセットを取り出して、『Don’t You Feel My Leg』を流してくれたんです。実に可愛い曲!私たちは直ぐにこの曲をレコーディングしました。ブルー・ルーの夫、ダニーは素晴らしいジャズ・ギター・プレーヤーで、キャブ・キャロウェイ、ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイらのバックも務めました。ビリー・ホリデイが最も影響されたアーティストがブルー・ルー・バーカーだったのです」。
ということで最新作『Don't You Feel My Leg: The Naughty Bawdy Blues Of Blue Lu Barker』から「Leave My Man Alone」。ブルー・ルーが48年に録音。ミディアム・テンポのブルース、3人編成のレッド・ホット・ブルジアナ・バンドも実に良い味、特にローリングするキーボードがあの時代を見事に蘇らせている。
続いても最新アルバムから「Loan Me Your Husband」。ブルー・ルー49年の録音、夫のダニー・バーカーの作品である。マリアは椅子を浅めにシッティングしてこのブルーなブルースをしっとりと歌う。クレッグ・キャファローのギターがジャジーな味を出している。
6曲目の「Cajun Moon」はマリアの78年の『Southern Wind』そして92年の『Louisiana Love Call』に収録されていたナンバーでJ.J.ケール74年の作品としてよく知られる。マリアの言う通りファンキーなスワンプ・ミュージックが噴出している。
▲CD『Louisiana Love Call』 提供:Blues Ginza
続いての「Please Send Me Some One To Love」はマリアの11年アルバム『Steady Love』収録のブルース。マリアが曲前でレイ・チャールズの従兄と紹介したパーシー・メイフィールド50年の大ヒット、Billboard誌R&Bチャート1位を記録した名曲である。クレッグのギターがぐっと前面に出てくる。マリアのシャウターぶり、ブルース・ウーマンぶりを発揮した素晴らしいステージに圧倒だ!
▲CD『Steady Love』 提供:BSMF RECORDS
8曲目は再び最新作から「Never Brag About Your Man」、ブルー・ルー39年の録音。マリアとバンド全員がシッティングでのステージング。しっとりとしたブルージーなサウンドはまさに1930年代後半の雰囲気だ。
「続いては女性への助言といえる曲です。エリック・ビブが私のためにこの作品を書き下ろしてくれたのです。若い女性がベッシー・スミスのもとにやって来ます。ベッシーは男女関係についていろいろアドバイス。クイーン・オブ・ザ・ブルース、ベッシーが彼女の元へやってくるのを夢見ていて、男と女の関係についてすべて教えてくれます。カウンセラーや自己啓発本は不要。ベッシー・スミスの歌を通して、ブルースから多くの知恵を身につけることが出来るのです。今ベッシー・スミスは天国にいますので、私から皆さんへ伝えます」。
ということで続いては「Bessie’s Advice」。マリアが2004年にエリック・ビブ、ロリー・ブロックと発表したアルバム『Sisters & Brothers』収録のナンバー。ジャジーなタッチのモダンな展開の作品だ。
▲『Sisters & Brothers』 from Mike’s Collection
▲同 バック・カバー
マリアはセカンド・アルバムをとても気に入っているようで、続いての「It Ain’t The Meat It’s The Motion」はその“ドーナツ・ショップのウエイトレス”から。99年の『Meet Me Where They Play The Blues』にも改めて収められていた。オリジナルは50年代初頭に活躍したR&Bグループ、ザ・スワローズ。彼らの51年シングル「Eternally」B面ソングである。ジャズ・ファンにはベニー・カーター楽団の演奏で知られる。アップ・テンポのとてもハッピーなサウンド展開だ。
▲CD『Meet Me Where They Play The Blues』 from Mike’s Collection
そして大ヒット「Midnight At The Oasis」。ファースト・ソロ・アルバム『Maria Muldaur』(オールド・タイム・レイディ)収録。シングル・カットされBillboard誌HOT100、74年6月1日付で6位を記録した。往年のヒット・ソングにオーディアンスは聴き惚れる。
▲『Joel Whitburn Presents The Billboard HOT100 The Seventies』74年6月1日付 from Mike’s Library
ファイナルは「Don’t You Feel My Leg」最新作の
タイトル・ソング。ブルー・ルー・バーカーの名作である。彼女は48年に録音している。
▲CD『Don’t You Fell My Leg』(Delmark盤) from Mike’s collection
ライヴならではのグルーヴ感を強く感じさせブルージーに仕上げてくる。エンディングはジェームス・ブラウン・スタイルでキメテくれた。
僕は感無量で満足感で一杯、“クイーン・オブ・ルイジアナ”、マリア・マルダーの素晴らしいステージだった!!!
▲セットリスト for Mike’s collection
*参考文献:「BLUES & GOSPEL RECORDS 1902~1942」
「BLUES RECORDS 1943 to 1970」 from Mike’s Library
☆☆☆☆☆
【ライヴinfo】
◇シェリル・リン
1970年代後半のディスコ・シーンを語るうえで決っして忘れることのできないアーティスの一人がシェリル・リン。あの頃、それまでのブラックでファンキーなディスコ・サウンドが段々とホワイトでポップな方向へ向かう中、これに逆行するようなファンクなテイストでソウルフルにシャウトする女性シンガー、シェリル・リンが登場した。彼女の「Got To Be Real」はBillboard誌R&Bチャートで1位。同誌HOT100でも12位を記録する大ヒットしゴールド・シングルに輝いた。セカンド・ヒット「Star Love」はちょっとポップになったけどこれまたR&Bチャートで16位だった。80年代前半、当時のマイ・ラジオ番組“ディスコ・ジャングル”(MRO)で「Shake It Up Tonight」はヘヴィー・ローテーション、シェリルの81年のヒットでR&Bチャート5位を記録した。そして83年には「Encore」で再びR&Bチャート1位となった。その少し前にルーサー・ヴァンドロスとのデュオ・ソング「If This World Were Mine」で彼女の“歌の上手さ”を立証していた。また「Got To Be Real」はジャパニーズ・ディスコ・スタンダードの一つとなり、彼女の存在は我が国ではとてつもなく大きくなった。もう何度彼女は来日公演を果たしていることだろう。僕もシェリルのステージを10回以上…。そんなシェリル・リンが日本に帰って来る!!この夏、ホットなステージで僕らをディスコ・フィヴァーさせてくれることだろう。Let’s have a Boogie Party with Cheryl Lynn!!
*2019年8月15日 Billboard Live TOKYO
ファースト・ステージ 開場17:30 開演18:30
セカンド・ステージ 開場20:30 開演21:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11577&shop=1
*2019年8月17日 Billboard Live TOKYO
ファースト・ステージ 開場15:30 開演16:30
セカンド・ステージ 開場18:30 開演19:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11578&shop=1
*2019年8月19日 Billboard Live OSAKA
ファースト・ステージ 開場17:30 開演18:30
セカンド・ステージ 開場20:30 開演21:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11579&shop=2
◇THE WEIGHT BAND
1968~9年、僕らの前にダウン・トゥ・アースなサウンドを得意とする二つのアメリカのバンドが登場した。僕は当時とても仲良くして貰っていたYAMAHA渋谷店のお姉さんとそのアーティストのLPをよく聴いた(冷や汗)。その二つのグループとは、CCRことクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル、そしてザ・バンドだ。両者は、とてもユニークなグループ名で僕は注目した。間もなくCCRはヒット・ソング・グループとして頭角を現した。一方ザ・バンドはボブ・ディランとのツアーでも知られたが、後で判明するのだが何といってもロニー・ホーキンスのバック・バンドだったということに僕の心を擽られた。そんなザ・バンドに興味を持った切っ掛けが「The Weight」だ。ミディアム・テンポだけど実にグルーヴ感溢れるダイナミックなサウンドはまさにアメリカの“土”を感じさせた。今でもザ・バンドの代表作だ。余談だがこの曲を我が国でいち早くカバーしたのがゴールデン・カップス。ライヴで故デイブ平尾があの独特の歌い回しでシャウトするステージが僕の脳裏を走る…。
前説が長くなってしまったが、そのザ・バンドの名曲「The Weight」をグループ名にしたのが8月に日本にやって来るTHE WEIGHT BANDである。ザ・バンドの後期のメンバーだったジム・ウィーダーが2013年にニューヨーク州ウッドストックで結成した。同地生まれのジムは70年代前半からプロのミュージシャン(ギタリスト)として活動を始める。80年代はロビー・デュプリーのバンドに加入。その後リヴォン・ヘルム・オールスターズに参加し、85年からはザ・バンドのツアー・メンバーとして活躍。93年のザ・バンドのアルバム『JERICHO』での演奏でファンの注目を浴び、99年のザ・バンドの活動停止時までメンバーを務めた。
そのジムが中心のTHE WEIGHT BANDは、昨年アルバム『WORLD GONE MAD』をリリース。故レヴォン・ヘルムが生前ザ・バンドのために残した未発表曲とボブ・ディランやグレイトフル・デッドのカバー等も楽しめる素晴らしい内容だ。この作品集は来日直前の8月21日にスペシャルなボーナス・トラック「The Weight」のライヴ・ヴァージョンを加えて“来日記念盤”(VIVID SOUND CORPORATION/VSCD3965)として我が国のファンの前に登場する。
▲CD『WORLD GONE MAD』 提供:VIVID SOUND CORPORATION
来日ライン・アップはジム・ウィーダーを中心にブライアン・ミッチェル、アルバート・ロジャース、マイケル・ブラム、マット・ゼイナーという凄腕揃い。加えてリトル・フィートのポール・バレアー&フレッド・タケットという二人のギタリストもステージに立つ。アメリカン・ルーツ・ロックをしっかりと味わえるLIVEに胸が膨らむ。
*2019年8月29日 Billboard Live OSAKA
ファースト・ステージ 開場17:30 開演18:30
セカンド・ステージ 開場20:30 開演21:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11521&shop=2
*2019年8月31日 9月1日 Billboard Live TOKYO
ファースト・ステージ 開場15:30 開演16:30
セカンド・ステージ 開場18:30 開演19:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11522&shop=1
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