【連載】Vol.065「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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I LOVEジュリー! 半世紀に及ぶ沢田研二のライヴ・レヴューを網羅した書籍『沢田研二 大研究』!!熱烈なファンによる熱い思いを纏めた待望の一冊だ!!!



僕は昔から大好きなアーティストに関する書籍を手にすると一気に読破してしまう。そう、徹夜も辞さない覚悟だ。それから少し日をおいて、今度は少しずつページを捲り、じっくりと読み込み改めてその内容に酔いしれる。今回ここにご紹介する『沢田研二 大研究』(青弓社)は最近稀にみる何度となく読み返したくなる。今年のマイ・ヘヴィー・ローテーション・ブックの一冊だ。音楽本に関して言うと、国内外の書籍やムックは数多い。それはジャーナリスティックな視点での内容だったり、自叙伝、インタビュー本、研究本、ディスコグラフィーを纏めたマニアックな資料編ほか多々ある。僕は過去ローリング・ストーンズやエルヴィス・プレスリーのディスコグラフィーを“曲目紹介”を中心として纏めた。その時、各方面のレビューでは、“ファン目線での文章が気に入りました”というコメントを沢山いただいた。これがとても嬉しかった。ちょっと自分のことに触れると、ロイ・オービソンFCのスタッフ、そしてストーンズFC会長を経て高校を卒業後し大学に進学するが学園紛争真っ盛りで殆ど授業が無かった時代だったので、すぐにフリーのモノ書きを始めた(デビューは『ミュージック・ライフ』)。70年代からはDJやMC、そしてプロデュースにも携わり一度も会社勤めすることなく今もローリングしている。世間は僕のことを音楽評論家と呼ぶが、自身は音楽紹介屋と称し、いちファンとしていろんな音楽を楽しんでいるのだ。いつものようにイントロが長くなってソーリー…(冷や汗)。

『沢田研二 大研究』はまさにファン目線の書籍。いや、ファンが纏め上げた愛情溢れるジュリー・ライヴ・ヒストリー・ブックである。筆者はジュリー・ファンの間ではその名を知られる國府田公子さんだ。最近はあのジュリー話題の中でテレビや新聞にも登場。沢田世界のオピニオン・リーダーでもある。國府田さんは50年以上に亘り沢田研二、ジュリー一筋。日々レコード/CD、ビデオ/DVD、ステージを楽しみ、そしてブログを書く。様々なグッズに囲まれ毎日が“I LOVE ジュリー!”。


▲國府田公子さん Pic. by Shin Yamagishi

國府田さんは広島県出身で、1969年からJFC会報“JULIE”に投稿をはじめた。70年代に入って渡辺プロ友の会/沢田研二FC広島支部に入会。すぐにスタッフとして活動。その後、副支部長になって会報“LIBERTY”に執筆。80年代初頭からは中国支部長を務める。友の会解散後は独立した形で沢田研二FC中国支部名義で“LIBERTY”を発行し続けている。その一方、98年にウエブ・サイト“Julie’s World”を立ち上げた(僕も機会あるごとに覗かせて貰っている)。
http://julies.world.coocan.jp/

そんなジュリーの大ファンである彼女の観たコンサート・レビューが半世紀分、しっかりと記録されている。それも事細かに、女性ファンらしさをしっかりと感じさせる内容が堪らない。

僕が特に気に入ったところをいくつか挙げてみよう。
*「スージーQ」(デイル・ホーキンス)→ストーンズと記してないところにニヤッ。
*「オブラディオブラダ」ちょっと間違える → こういったチェックにファンは大拍手。ミック・ジャガーやキース・リチャーズのライヴでの間違いを僕はいろいろ書いたもんだ。
*胸まであいた白い長袖のシャツからノースリーブの~ → 僕も今でもミックがどこどこのメーカーのスニーカーを履いてステージに登場、といったような細かなことを自然と書いてしまう。そう、どんなライヴでも小型ノート&ボールペン3本は絶対に持参しし些細なことも見逃さないようにしている。
*すごくセクシーなポーズで歌う「ユー・ガッタ・ムーブ」(ザ・ローリング・ストーンズ)→ 聴いてみたかった!
*酔ったジュリーが誌面に登場(略)それまでに見たこともないほど、陽気な一人の青年として… → GOOD!
*Tea for threeの話題もしっかり登場 →“みんなのうた”のこと思い出した。


▲Tea for threeのCDシングル

*「LIBERTY」は私からのジュリーへのラブレター →分ります、分ります。僕の書いたり喋ったりする基本はこの姿勢。
*ストーンズのコンサートに行ったとき → ジュリーの好きなアーティストを観に行くファンの気持ちよく分かる。中学生の僕にR&Bやブルースを教えてくれたのはストーンズだった。因みに國府田さんは3月から東京で開催の“ザ・ローリング・ストーンズ展”を2年前にニューヨークで楽しんで来たとか…。
*「TIME IS ON MY SIDE」、ザ・タイガースのオープニングと言えば → 2008年1月6日正月コンサートは僕も堪能。この1曲目やジョー・コッカーの「You Are So Beautiful」は歌わせて貰った。
*人間60年・ジュリー祭 → あんなにも凄いコンサートを体験したのは初めてのこと。休憩時にジュリーと大仲良しエディ藩に酒屋さんのこととかいろいろなエピソードを教えて貰った、ウフフ。     
*JULIE with THE WILD ONES → このLIVEも楽しかった。実はアフターの楽屋で仲良し植田さんや鳥塚さんと盛り上がってしまった。



*THE TIGERS 2013 東京ドーム → 池袋・ドラムでのステージを思い出してしまった。東京ドームではバルコニーで観させていただいた。左隣ボックスが渡邉美佐さんご一行様、右隣ボックスが津川雅彦さん/泉ピン子さん/笹野高史さんの俳優グループご一行様。次の日からしばらくはアルバム『フィナーレ』を楽しんだ、「Time Is On My Side」。
*「悪名」→ 紀伊國屋サザンシアターではいろいろな音楽劇を楽しんだ。僕が初めて観劇したのは97年の東京グローブ座“エルヴィス・プレスリー”。
*「祈り歌LOVE SONGS 特集」→このステージこそ沢田研二の真骨頂!
https://www.barks.jp/news/?id=1000137912
*「沢田研二50周年記念Live 2017~18」→ 明治チョコレートのCMに感激。どなたかザ・タイガース/ジュリーのCMグラフィー作ってください。松本清クン、中村俊夫クン、洞下也寸志クン…。
https://www.barks.jp/news/?id=1000145412
*「OLD GUYS ROCK」初日 → 70歳のジュリーとても素敵だった。今年1月21日OGR日本武道館最終日にも参戦。そのツアーでアンコール前に登場する「Don’t be afraid to LOVE」の作曲者/平井夏美と楽しんだ(本名:川原伸司。中央大学附属高校同期生。呑み仲間。昨年は僕のトーク・イベントにゲスト出演してもらった)
https://www.barks.jp/news/?id=1000158595


▲Pic. by Shinji Kawahara

『沢田研二 大研究』についてはこの100倍くらいご紹介したいのだがネタバレになっちゃうので、この辺で國府田公子さんに“I LOVE ジュリー”インタビュー!

M:幼い頃に何か楽器を習得していましたか?
K:長唄、三味線、日舞を習っていました。
M:タイガース登場前、歌謡曲とかポップスなどには親しんでいたんですか?
K:姉がザ・スパイダースのファンでした。つられてマチャアキ&順ちゃんに注目していました。
M:ザ・タイガースとの出会いを教えてください。
K:何時のことだったかはっきりとは憶えていないんですが、テレビでザ・タイガースを観たんです。気がついたらジュリーだけ見つめてました。
M:初めて聴いたザ・タイガース楽曲は?
K:「シーサイド・バウンド」。



M:ということはTVで観たジュリーに一目惚れしたのは1967年だね。
K:ですね。初めて購入したレコードが「シーサイド・バウンド」と「僕のマリー」のシングル2枚。



M:初めてのザ・タイガースLIVEはいつでした。
K:1968年4月27日、アリーナというスケート場でした。リンクにパイプ椅子を並べて、47列でした。大学1年の姉を父兄として二人で観ました。吉田拓郎もこの日初めてザ・タイガースを観たそうです。


▲ザ・タイガース初広島公演 Pic. by Kimiko

M;拓郎はその頃に広島でグループ組んでいて「Tell Me」演っていたって聞いたことがある。タイガースの一番好きな楽曲は当然…。
K:「シーサイド・バウンド」!
M:ザ・タイガースのカヴァー曲で一番好きな楽曲は。
K:ポール・ジョーンズの「傷だらけのアイドル」。ストーンズ・カヴァーでは「サティスファクション」です。
M:タイガースLIVE何回体験しましたか?
K:広島に来たら必ず行っていました。回数は不明です。ライヴ・ヴァージョンでは「モナリザの微笑」「美しき愛の掟」。そしてストーンズ・カヴァーの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」が好きです。
M:ファン・クラブJFC、渡辺プロダクション友の会の会報「ヤング」などはいろいろな思い出がおありでしょう…。
K:JFCはジュリーにダイレクトに会報を渡していたということもあって、私はせっせと投稿してました。「ヤング」には沢山の写真が掲載されていました。とても素敵な内容。毎月楽しみにしていました。



M:ザ・タイガース解散、その時のお気持ちは…。
K:高校生でした。東京に行けなかったので、自分の部屋で泣いていました。ずっとザ・タイガースが存続するものだと思っていました。でもその時、グループが解散してもがジュリーが引退するわけではないから、彼にこれからもついて行こうと決心したのです。
M:ジュリーはその後PYGとしてファンの前に登場しました。
K:テンプターズはライバルでした。そんなこともあってショーケンは好きではなかったし、彼には不良イメージもあったので、正直ジュリーと一緒にいるのは
なんだか許せなかった…。ジュリーが感化されるのではないかととても心配でした。これが高校生の女の子の気持ちです。でも、71年6月の広島公会堂でのPYG LIVEは観に行きました。


▲PYGコンサート・パンフレット

M:PYGはあっという間に解散、ジュリーはソロ活動に入ります。
K:一人になって井上堯之さんと一緒に活動、嬉しかったです。
M:1970年代から80年代中期までの時代、ジュリーとの関わりはどんなだったんですか。
K:沢田研二FC広島支部でお手伝いしていました。もしかしたらジュリーに会えるかもという下心…(笑)。ジュリーが誕生日のころFCの各支部を廻ったことがありました。スタッフとしてお手伝いさせていただき、握手会の時にジュリーの横に並びファンから渡されるプレゼントをジュリーから受け取ってデスクに置くというのが私の役目でした。
M:ソロになってからの時系列的に言えば初期の頃のファイバリット・ソングは?
K:「君をのせて」。ソロになって不安でいっぱいのジュリーでした。だから余計に好きでした。そして「あなただけでいい」「胸いっぱいの悲しみ」「追憶」。





そしてアルバムでは『JULIE IV 今僕は倖せです』が大好きです。



M:この時代のLIVEでの印象、追っかけエピソードなどをお聞かせ下さい。 
K:71年12月の日生劇場でのリサイタルの「鳥になった男」や「傷だらけのアイドル」とても印象的でした。勿論追っかけもしました。ソロになってからの時代ですが米子のコンサートの後、同じホテルに部屋をとったんですが翌朝、レストランで朝食をとっていたら何とご一行がやってきました。食べ終えて、エレベーターで降りようとしたら森本マネージャーとジュリーがやってきたので、先に降りようとしたら一緒に乗り込んできました。部屋の階に着くまでドキドキ。降りてエレベーターのドアが閉まったとたんに“キャ~”。多分、ジュリーに聞こえたと思います。
また福岡の空港から下関までタクシーで追いかけた事もあります。楽しかった!これぞ青春の思い出です。
M:ジュリーとお話ししたことは…。勿論ツーショット写真も!
K:「勝手にしやがれ」がレコード大賞を獲得する4日前の77年12月27日広島郵便貯金ホールの楽屋で少し話しました。宮島の厳島神社へレコード大賞受賞祈願に行って大しゃもじを貰い、それを彼に手渡したのです。



あとは宇品港から松山へ水中翼船に乗る前に「一緒に写真を撮っていいですか?」と聞いたら、ジュリーは何も言わずすっと私の横に並んでくれました。そのあと行列ができて、ファンとの記念撮影会になってしまいました。





M:お気に入りのTVCMとかTV番組は…。
K:77年のマンズワインのCMがお気に入り。TV番組では「悪魔のようなあいつ」「沢田研二ショー」「優雅なエゴイズム」。」
M:80年代中期独立後から2010年にかけてのジュリーとの関わりはどんなだったんですか。
K:あくまでも中国支部としての会報LIBRTYを毎月1回発行していました。広島でのコンサートには必ず行ってました。その頃のお気に入りソングは「渚のラブレター」「ス・ト・リ・ッ・パ・-」「そのキスが欲しい」。
M:この時代の好きなアルバムを挙げてください。
K:『G.S.I.LOVE YOU』『告白-CONFESSION-』『来タルベキ素敵』。





M;この時代のライヴで一番の思い出は?またエピソードなどもお聞かせ下さい。
M: 忘却の天才CONCERT TOUR 2002でのこと。10月18日@岡山市民会館。最前列ど真ん中TIXをゲット。ステージと客席が近かったので「ス・ト・リ・ッ・パ・-」では私の頭の上でジュリーとメンバーが歌うという状況で圧倒されました。
「ザ・ベストテン」の“追いかけますどこまでも”カメラ・クルーが広島駅にいてグリーン車に乗っていたジュリーが衣装を着ていたので、グリーンに乗って追っかけしていた私は“テレビだ!”と直感。駅のホームをジュリー追いかけるカメラマンに撮られない様に歩きました。その後、もみじ饅頭屋さんの前で「サムライ」を歌ったんです。
山口の会館で物販販売の手伝いをしたこともあります。何かを踏んずけたと思ったら「TOKIO」のパラシュートでした。翌日の「ザ・ベストテン」の中継でそれ使ってました。スミマセン…冷や汗。
M:ウエブ・サイト“Julie‘s World”ご紹介ください。
K;Windows95を97年に購入。ネットというものがあることを知って、それまで書き溜めたものをそこに置きたいと思いました。1年かけて手元にある資料を入力してホームページを立ち上げたのです。98年5月のことです。昨年でちょうど20年、LIBRTYは500号突破。そしてジュリーは古稀。全てが整った年でした。
http://julies.world.coocan.jp/utaban.htm
M:「人間60年 ジュリー祭」では…。
K:“コーラス募集”の話を聞いて密かに応募。どんな感じなのだろうと京セラドーム大阪に偵察に行ったんです。いつもは決してやらないサインボールをジュリーが投げたんです。幸運にもゲット!お宝で~す!!
東京ドームでコーラスが出来て感激。「ラヴ・ラヴ・ラヴ」「我が窮状」「ROCK’N ROLL MARCH」「あなたに今夜はワインをふりかけて」。TV中継では間接的に映ったコーラス隊とジュリーのショットがありました。


▲京セラドーム大阪でゲットしたサインボール

M:2011年以降の沢田研二という人間の音楽姿勢、僕は素晴らしいと感じています。いかがでしょう。
K:ジュリーが体験し見てきた事に対しするその気持ちを私は受け入れました。自分の生き方は自分で決める人です。
M:ここ7年余り発表された楽曲でお気に入りは?
K:「ISONOMIYA」です。



M:貴女にとって沢田研二の魅力とは?
K:あの歌声を聴く事が私にとっての全てです。
M:ありがとうございました。最後にお宝や貴重なショットを少し見せてください…。


▲明治製菓のソノシート。「チョコレートを大量に購入して何度も応募して当選!」(公子さん)。


▲ザ・タイガース1969年のコンサート・パンフレット


▲まるでCDのようなピクチャー・シングル・レコード。岸部シロー加入後の作品。ファンから歌詞を募って、なかにし礼が補作。


▲東京・国立の渡辺プロダクション合宿所で行われたファン・クラブ支部長会議。



▲中国新聞社/会議室で開催されたファン・クラブの集い~ジュリー誕生日祝い。ギターを弾きQ&Aコーナー、そして握手会。「1971年6月13日だと記憶しています」(公子さん)。


▲1974年コンサート・ティケット


▲夏のツアー移動中@広島駅。広島猛虎会からプレゼントされたスタジャンを暑いのにしっかり着用している。


▲羽田空港でファンに囲まれるジュリー。凄い!凄い!


▲ツアー告知フライアー。写真は比叡山フリー・コンサート・ショット。


▲ニュー・シングル告知フライアー。

*ご紹介したレコード/CD/グッズ/写真などは國府田さんコレクションです。

◇沢田研二 LIVE 2019「SHOUT!」 公演日程 
元気いっぱい沢田研二の5月からのツアー日程が発表になった!

5月9日 東京国際フォーラム ホールA
13日 フェスティバルホール
14日 フェスティバルホール
18日 サントミューゼ 大ホール (長野県上田市)
19日 みかぼみらい館 大ホール (群馬県)
24日 サザンクス筑後 大ホール (福岡県筑後市)
26日 都城市総合文化ホール 大ホール
6月1日 厚木市文化会館 大ホール
5日 刈谷市総合文化センター アイリス 大ホール
6日 あましんアルカイックホール(兵庫県)
8日 ロームシアター京都 メインホール
14日 浪切ホール 大ホール (大阪府岸和田市)
16日 周南市文化会館 (山口県)
19日 NHKホール
20日 NHKホール
23日 深谷市民文化会館 大ホール
7月7日 鳴門市文化会館(徳島県)
11日 愛知県芸術劇場 大ホール
18日 ラブリーホール 大ホール(河内長野市)
19日 守山市民ホール 大ホール(滋賀県)
24日 江戸川区総合文化センター 大ホール
8月3日 宝山ホール (鹿児島県民文化センター)
4日 メディキット県民文化センター演劇ホール(宮崎)
9月5日 パシフィコ横浜 国立大ホール
7日 岡山シンフォニーホール 大ホール
8日 神戸国際会館 こくさいホール
15日 オリンパスホール八王子
22日 広島JMSアステールプラザ 大ホール
23日 出雲市民会館 大ホール
10月4日 本多の森ホール (金沢市)
6日 ロームシアター京都 メインホール
11日 東京エレクトロンホール宮城 (宮城県民会館)
12日 白河文化交流館 コミネス 大ホール
17日 長崎ブリックホール
18日 福岡サンパレス ホテル&ホール
20日 市民会館シアーズホーム夢ホール (熊本市民会館)
28日 フェスティバルホール
29日 フェスティバルホール
11月2日 よこすか芸術劇場
8日 長良川国際会議場 メインホール
10日 なら100年会館 大ホール
詳細は下記をチェックしてください。
http://www.co-colo.com/live/2019tour/2019tour.html

☆☆☆☆☆

【ライヴinfo】

◇ COUNTRY MUSIC ASSOCIATION presents
“イントロデューシング・ナッシュビル” featuring ブランディー・クラーク、
リンジー・エル & デヴィン・ドーソン


▲提供:Blue Note TOKYO

1960年代初頭からFENラジオ(現在のAFN)をそれこそ毎日5時間以上聴いていた。アメリカン・ヒット・チューンを中心にR&B、オールディーズ・バット・グッディーズ、そしてカントリー&ウエスタン。実は僕はカントリー・ミュージックも大好きで90年代には熊本でのカントリー・ゴールドのMCを何度か務めた。その時ドワイト・ヨーカムとエルヴィス・プレスリーやミック・ジャガーについてトーク・セッションしたり、エミルー・ハリスと居酒屋で盛り上がったりといろんな思い出がある。一方、ガース・ブルックスのアルバム/ライナーノーツを担当したことも…。ロレッタ・リンの大ファン。今でも日曜午後はAFNのACC Top 40を楽しんでいる。HOWDY!
そんなカントリー・ミュージックを普段はジャズやR&Bを楽しんでいるBlue Note TOKYOで味わえる!
CMAがお送りするナッシュビル・サウンドのショー・ケース。ホットなブランディー・クラーク、リンジー・エル、デヴィン・ドーソンの3人がステージに立つ。
ブランディー・クラークはソングライターとして活躍しここ5~6年は歌手として頭角を現している。
カナダ生まれの若きリンジー・エルはゲス・フー/バックマン・ターナー・ドライヴのあのランディ・バックマンに15歳の時その才能を認められた。バディ・ガイとツアーしたこともある。13年デビュー。
デヴィン・ドーソンはナッシュビルのアイドルとも評されこの1~2年に脚光を浴びている。カントリー・ミュージックだけでなくR&Bもこよなく愛し、そのサウンドはきっと日本のカントリー・ロック・ファンにもストレートに受け入れられることだろう。
ショー・ケース最後はきっと3人で楽しいセッションになるかもしれない。久しぶりにカントリー・ブーツを履いてカントリー・ダンスのレッスンに行こうかな。

*2019年3月30日  Blue Note TOKYO
ファースト・ステージ 開場16:00  開演17:00
セカンド・ステージ  開場19:00  開演20:00
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/cma/

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