【インタビュー】小松亮太「いろいろな活動がタンゴのための何かになったらいいなと思っています。本当にそれだけなんです」
■昭和40年代までの日本にあったタンゴの歴史が一気になくなったのは
■簡単に言うとビートルズが来日してからなんです
――タンゴのミュージシャンは少ないですからね。
小松:本当の本音を言うとね、もうちょっと世の中に、“タンゴってこういうものだよね”ということを知ってる人が…ぜいたくは言わないです、たったの10人でいいから増えてもらって、こちらの言ってることがすぐに伝わるようになればいいなと思うんですけどね。でも、日本はまだいい方です。日本は、なんだかんだ言っても、タンゴ・ブームを知ってるミュージシャンの、薫陶を受けた人がいるんですよ。本格的なアルゼンチン・タンゴの歴史というものが、昭和40年代までの日本にはものすごくあったんです。ヨーロッパの人たちがまったくかなわないぐらいのレベルであった。それが、ある時を境に一気になくなってしまった。ビートルズが来日してからなんですけどね、簡単に言うと。
――ああ~。
小松:そこで日本のタンゴの歴史がブツッと切れて、30年ぐらいたってから、やっと少し復活してきた。僕とか、僕の少し上の先輩は、今80歳とか90歳のタンゴ・ミュージシャンの人たちに、かろうじて教えてもらえてた世代なんですよね。それでなんとかやってるわけなんですけど。
――うーん。そんな紆余曲折の歴史があったとは。
小松:それは日本も、アルゼンチンもそうなんですね。本国のアルゼンチンでも、僕と同世代や年下のタンゴ・ミュージシャンは、親よりもずっと年上の人のところに行って教えてもらう。アルゼンチンでも、タンゴ・ブームは一回完全になくなってるって言ってましたから。要するに、タンゴの一番の弱点というのは、タンゴというとアルゼンチンのネイティブなもの、ブエノスアイレスの人たちのものというのは確かにそうなんですけど、実はタンゴは人工的に作られたものなので、民族音楽的にやっていたものではまったくないんですね。タンゴは、わざわざ作ったものなんです。
――そこのところ、詳しく教えてください。
小松:移民の人たちが集まって、自分たち独自のカルチャーを作ろうということで、イデオロギー的に作っていった音楽なので。だからドイツで作られた、アルゼンチンとはまったく関係ないバンドネオンという楽器が入っているわけです。スペインの移民が持ってきたギター、イタリアの移民が歌っていたカンツォーネ、ドイツの移民が持ってきたバンドネオン、そういうものを持ち寄って、俺たちはどういう音楽を作ればいいのか?と思った時に、こういうリズムで、こういうアレンジで、ダンスのやり方はこういうステップにしてって、いちいち人工的に作ったもの。だから、アルゼンチンの若者を見ていると思いますけど、あの人たちにとっても、タンゴは少し距離があるものなんですね。
――そうなんですか。
小松:アルゼンチンの若いミュージシャンの人たちと食事したり、お酒を飲んだりして、何かみんなで歌って遊ぼうか?っていうと、だいたいみんなフォルクローレを歌い出すんですよ。アルゼンチンのネイティブな音楽は、8割がたはフォルクローレなので。だからタンゴという、本場の人にとっても少し距離のある音楽を、外国人がやるとなったら、なおさらもう一つのハードルがあるわけなんですけど。僕が一つ信じたいのは、ヨーロッパにしろ日本にしろ、韓国や台湾でも、やっとタンゴを本気で始める人が出てきましたけど、アルゼンチンの人にとっても距離のあるものだとしたら、逆に言うと、外国人でもちゃんとやれば身につけることができる。DNAの問題ではないから。頭で勉強して開発していくことができるんです。
――そういうことになりますね。
小松:僕はピアソラさんみたいに天才でもないし、タンゴの世界で新しいことをやってやろうとか、そういう気持ちでやってるんじゃないんです。普通のタンゴがこんなにすごいんだ、ということをわかってほしくてやっているので、こういう場では特に意識して言わせてもらってるんですけど。ピアソラが一番立派で、革命家で、それ以前のタンゴのことは知らない、ということだと、結局はピアソラの音楽も忘れられてしまう。そういうことは感じますね。もう一つ問題なのは、タンゴをやっている人たちが、外に向かってそういうことをまったく言わない。狭い世界の中で成立しちゃっているから、そういう意味で、今回のイ・ムジチさんとか、違うジャンルの方たちとやらせていただくのは本当に幸せなことで、ありがたく思っています。
――今回の観客の方は、おそらくクラシック・ファンがメインになると思われますが。
小松:どうなんでしょうね。でもイ・ムジチといったら、クラシック・ファンでなくても知っているだろうから。
――もう少しライトな、音楽ファンかもしれないですね。そういう場所で、新しい音楽の扉へと導くナビゲーターとして、小松さんの役割はとても貴重だと思います。
小松:実は、僕ぐらいぶきっちょで、なおかつ一種類のことにこだわる人もいないと思うんですけど、なんだかわかんないけど“いろんなことをやりなさい”って、神様だか仏様だかに仕向けられているというか(笑)。たとえば、マイナー楽器の人に共通することで、誰とでも共演して何でもやるという気持ちでやっている方が多いんですけど、僕は逆で。もしもタンゴ界というものが世界中にもっとたくさんあるのであれば、毎日タンゴだけ弾いて大満足しているような、かなり保守的な人なんですよ。
――そうなんですか? 意外です。
小松:そうなんですよ。それなのに、僕の思いに反して(笑)、タンゴがどうとかはよくわからないけど、“とにかく小松さんのバンドネオンがほしい”“小松さんに曲を書いてほしい”“この人と共演しませんか?”とか、そういうありがたい話をたくさんいただくので。これはもう運命ですね。だからね、正直、ありがたいことではあるんだけど、“俺、こんなことできるのかな?”って、しょっちゅう思っているんですよ。で、恐る恐るやってみて、わりといいのができたら、“ああ…よかった”って(笑)。そういうことの繰り返しでここまで来たので。今でも、何をやる時も自信満々とか、失敗したって気にしないとか、まったくそういう心境ではないです。本当に真面目ですね、僕はね(笑)。
――素晴らしいです。リスペクトのひとこと尽きます。
小松:ただ不思議なもので、頑張ると何とかなるもので、結果的にわりといいものができることが多いので、今でもやらせてもらってるんですけど。大貫さんとも、まさかレコード大賞までいただけるとは思っていなかったので。僕の本当の気持ちとしては、ポップスの人とも、クラシックの人とも、ジャズの人ともやり、ドラマや映画のサントラを書き、いろいろなことをやりながらも、最終的にはタンゴのための何かになることを、本当に心から願っているんですよ。今は正直、なかなか難しいと思っているんですけど、それがいつか一つになって、タンゴのための何かになったらいいなと思っています。本当にそれだけなんです。
取材・文●宮本英夫
ライブ・イベント情報
2017年7月7日 (金) 19:00 開演 (18:30 開場)
東京オペラシティ コンサートホール
室内楽:イ・ムジチ合奏団
バンドネオン:小松亮太
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