どうして“不便な”フジロックに魅了されるのか?

ポスト

■ “世紀末”と言われて、真面目に考えなくちゃという人が増えた時代だったのかもしれない

▲川上浩司さん

──そういう倫理のようなものを保たないと、人工知能のシーンが暴走しちゃうということなんでしょうか?

川上氏:まだそこを考えるには至ってないと思いますね。自動化できるならどんどんしよう、いろんなことができるようになって楽しくて仕方ない、というのが今のフェイズ。何か問題が起きたら、みんな真剣に考えるようになるかもしれないです。でも不便益とかをやっていると、今からそういうことを考え始めるようになりますね。人工知能学会の今月号の巻頭でも、“不便な人工知能”とか書いてあって、この先生ようわかってる〜と思いましたよ。“ワガママな人工知能”とかもあるといいですよね。で、そこはやっぱり人工知能だから、かわいいほうのワガママが理想的です。

──気が利いてますね(笑)。

川上氏:でも“子育て”というものも、ワガママだからいいんでしょうね。子供が必ず言うことを聞いたら、たぶんそんなにかわいくない。これからは介護ロボットに上手いこと子供っぽい性質を持たせるのもいいかもしれません。

──介護を受ける側も他者の世話をすることで、社会との関わりを持てている自分が生まれそうですね。自分だけで完結しないという“社会性”の面白さは、フジロックでも感じます。なぜかあの場だと、“社会性”要するに、“他者と共存している自分”を能動的に意識できる。

川上氏:なるほど。駅を例に出すと、ホームに人がいないということイコール、「列車が出ちゃったな」ということなんですよね。人を介して状況が読めるという、それって社会性の1つだと思うんです。フジロックでも、ステージの前に誰もいなかったら、しばらく始まらないことを知る、ということはありませんか?

──そうですね。逆に人だかりが出来ていると、面白いことが起こってるに違いない、と読んで近寄ります。

▲GREEN STAGE

川上氏:不便さがないとそういった場にならないでしょうね。自分で足を運ぶから、社会性みたいなものにも繋がれる。

──人の流れが目に見える感覚はめちゃくちゃあります。

川上氏:フジロックの主催者の人が、自然の中という環境にこだわったのはそこも関係しているかもしれない……人工物の中って、やっぱり人の流れも人工的な感じがありますよね。できたばかりの頃のつくば市とか神戸ポートアイランドって、人の流れを見ても何もわからなかった。逆に人の流れが隠されたりするんですけど、自然の中だとクリアになりますよね。僕らくらいの齢になると、馴染みがなくてもその街のどこに呑み屋街があるかという嗅覚がはたらくもので、古い街なら見つけられるんですけど新しく綺麗に整備された人工的な街って見つけられないんですよ。自然という環境が大切なことのひとつに、“目に見える社会性”というものもあるのかもしれないって今、話を聞いていて思いました。

──フジロックが推奨している“キャンプ”というものも、不便益そのものだと思うんです。最近は、約10万人の参加者のうち1万5千人くらいがキャンプ利用しているそうで。

▲キャンプサイト

川上氏:僕自身はボーイスカウト以来、テントを立てて寝るということをしてないんですが、不便益に興味を持ってくれる人って山歩きが好きなひと多いんですよ。まず、他者に準備されたものをただ受け入れるしかない、という度合いが普通に宿に泊まることより低いんでしょうね。自分がやったことがちゃんと返ってくる。キャンプ好きな人って、すごく楽しそうに語るでしょう。少しの道具と自分でなにかができるということって、たぶん嬉しいことなんですよ。「お前、無人島でひとりで生きていけそうだよな?」って言われるとなんか嬉しかったりしますよね。純粋に動物としての能力を認めてもらってるような感じがして。人間は本質的にそうできてるのかもしれない。

──そういう生き物としての価値って代えがたいものですよね。会社では上のほうの役職に就いている人も、結構アウトドアを楽しんでる方って多くて。いろんなものを持っているのになんでわざわざ山登るんだろうって不思議にも思うんですけど、今お話してくださったような価値を探しに行ったり確認したりしに行ってるんでしょうね。

川上氏:そう言えば、先月出した本の編集を担当している人に今回の取材の話をしたら、「私もだいたいフジロック行ってますよ」っておっしゃっていましたよ。

▲Pyramid Garden

──繋がりますね。その本はどういった内容なんですか?

川上氏:それが……その出版社の社長が、「暗記できないくらい長くして不便にしましょう」とかおっしゃって、僕も覚えていないような書名になったんです。

──そこから不便益がはじまっている(笑)。

川上氏:さて、どこに益があるんでしょうかね(笑)。

──スマホで検索してみますね。ありました。『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? 〜不便益という発想』。これは長い。なるほど、「行き詰まりを感じているなら」という呼びかけをしていますね。

川上氏:それも社長が考えたもので、僕は行き詰まりとかまったく考えていなくて(笑)、単なるシステムデザインの話のつもりやったけど「いや、これは啓蒙書としてもいけますよ」と言ってもらって、そういうタイトルになっちゃってます。今回の本は、一晩で読めるような便利な内容です。

──でも、読む時に不便でもしょうがないですもんね。

川上氏:実はその前の本は「この難解さも不便益か」という書評が載るくらい、割りと難しいというか、ちょっと哲学的な書き方をしたんです(『不便から生まれるデザイン:工学に活かす常識を超えた発想』/化学同人社/2011年)。そういう書評が出るつもりで狙って書いたんですけど、出版社さんには申し訳ないことをして、やっぱり売れないわけですよね(苦笑)。だから今回はそれから真逆に振れて、読みやすいものにしました。

──川上さんは、真逆に振るのがお好きですね。

川上氏:ほんまですね。いろいろ考えるのが面倒くさいので真逆に行くのがラクなだけなんですけどね。

──不便益研究は、どのくらいされているんですか?

川上氏:2000数年頃からですかね。1998年に京都大学に帰ってきたら、元々学生時代の師匠だった教授が、「これからは不便益やで」とか言い始めて。最初はピンとこなかったけど、その5年後くらいから、これはちゃんとした研究になるぞと思うようになりました。

──ということは、90年代後半にはその教授の方は不便益のことを説いていたわけですよね。フジロックのスタート時期とちょうど同じ頃ですよね。その前後に、もしかしたら、便利さに対して「なんか違うんじゃないか」と考える人は考え始めていたのかもしれません。

▲THE PALACE OF WONDER

川上氏:いや、そうだと確信持って言えるのが、同じ頃に『たのしい不便』(『たのしい不便-大量消費社会を超える』福岡 賢正著/南方新社/2000年)という本が出ているんですよ。ほんとうに不便な生活をする新聞記者の方の記事が本になってるんですけど、当時すでにその内容を理解する人がいたから本が出たわけだし。“世紀末”と言われて、真面目に考えなくちゃという人が増えた時代なのかもしれない……僕が教授の話をスルーしていた頃も、教授は不便益ネタを見つけては学生たちに紹介していたのでフジロックの話も出ていたと思います。すみません(笑)。

──私も実際に参加してから魅力を理解しました。都市生活者はそういうケースが多いみたいですね。開眼するというか。

川上氏:腑に落ちる、ということでしょうね。不便益もやってみないとその価値がわからないんです。

◆インタビュー(3)へ
この記事をポスト

この記事の関連情報