「ホレ~ホレレレ~、ホレ~ホレ~ホレ~ヘ~」。
脳天を直撃するような強烈なヨーデル・ヴォイスに、フォルクローレを思わせるコッテコテの哀愁ラテン・ポップ。その名は「ホウェネヴァー、ホウェアエヴァー」。そしてそれを歌うは、ブロンドのウェイヴ・ヘアをなびかせた露出全開の悩殺美人。
その名はシャキーラ!
南米の国コロンビアから今、全世界に向けて飛び出した25歳のハイパーな魅力炸裂の女性アーティストだ。
シャキーラは’77年2月、母国コロンビアにてレバノン人の父と、コロンビア人の母のハーフとして生まれた。彼女の楽曲の中にある中東っぽさとラテンっぽさの混ざり具合はこうした血筋に由来する。
そして早熟な彼女は10歳にはもう曲を書きはじめ、14歳の頃にはレコード・デビュー。そして18歳のとき、アルバム『Pies Descalzo(裸足のままで)』の大ヒットでコロンビアを起点としてラテン諸国でナンバーワンの女性アーティストとなり、その才能はマイアミ・サウンド・マシーンのエミリオ・エステファンの目に止まることとなり、彼の後ろ楯もあって’98年頃にはアメリカのラテン・コミュニティでも熱烈な支持を受けるようになる。
なお、彼女の音楽性は、当初こそラテン・コミュニティにウケそうなダンサブルな今様のラテン・ポップ、あるいは女性アーティストらしいアコースティックな清涼感溢れるものだったが、彼女の好きなサウンドはあくまでロックであり、その歌い方もアラニス・モリセットをより濃縮させた強烈さに当時から満ちており、そうしたカラーは彼女が作品を重ねるごとに露になっていった。
そして’01年秋、シャキーラはかつてマイケル・ジャクソンやマドンナを手掛けたマネージメント傘下に入り本格的にアメリカ進出を目指し、初の英語による作品(これまではスペイン語)を制作。その結果として生まれたのが前述の「ホウェネヴァー、ホウェアエヴァー」であり、アルバム『ランドリー・サービス』だった。
このアルバムで彼女は自分の持てる潜在能力を余す所なく開花させた。
ファッションは従来の黒髪からブロンドに、肌の露出もデスチャも真っ青なまでのセクシーさ全開。そして音楽性も、フォルクローレやタンゴといった、南米の伝統音楽のエグみをこれまで以上に濃く現し、その上に時にヴェンチャーズ風に、時にアラニスばりのハードなオルタナ・ロックのアグレッシヴな風味を加える。そしてかねてから彼女の最大の武器だったヨーデル唱法はアラニスをも上回る、一度聴いたら頭に刷り込まれて離れない魔力を持つに至った!
そしてアルバムの裏ジャケには、おそらく本人以外は意味不明な洗濯の自動乾燥機の写真が! どこからどこをとってもこの女性、世界広しといえども誰も真似できない超越したパーソナリティを獲得するに至っている。
このところ、国境や性、音楽ジャンルの壁を破る、自由でパワフルな女性の活躍が目立つ。アリシア・キーズ、ネリー・ファータド、P!NK、そしてこのシャキーラ。中でもコロンビアという、これまでの世界の音楽シーンにおいて無名の国から飛び出したシャキーラの存在は全くもって異能の存在。
音楽界が真のグローバリゼーションを目指す上でも絶対に注目すべき存在である。