王座は譲らず……復活作『CROWN ROYAL』ついにリリース! 【Part 3】
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2001年02月26日発売 1. IT’S OVER feat. Jermaine Dupri
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――Run、あなたの本の話をしてください。 RUN: ――Jay、あなたも本を出すのでは? JAM MASTER JAY: ――読者の興味を引きそうな、注目すべき内容はありますか? JAM MASTER JAY: ――DMC、あなたはマンガに取り組んでいるとか? DMC: ――そのマンガがうまくいったとして、そちらに全力投球するのは可能なんでしょうか? DMC: ――Run-DMCの音楽に本にマンガ……これだけ様々な企画が共存し得るんでしょうか? DMC: 多くの人は現実を生きる、つまり“keep it real”を実践しているつもりでも、本来やるべきことを実はやっていない。俺が自分の本や人生を通して訴えているのはそういうことなんだ。自分が父親になったり減量したり結婚したり、あるいは歌や女房を通して体験したり、教会へ行った時に体験したりしたことさ。教会本来の役割を求めて俺はそこへ行き、そしてたくさんのことを学んで、今それを活用している。今となっては世界が俺の教会だ。 Chuck Dが2pacとBiggieの死について、あいつらは殉職じゃない、殺されたんだと話していたが、俺たちが必要なことを山ほどこなして、しっかり取り組んでいかない限り、同じことは繰り返されるだろう。たまたまあの2人は誰もが尊敬する神様みたいな存在だったが、スポットライトの当たっていないところでも、まだまだ同じようなことは起こっている。今もどこかで音楽を作っている彼らのような人間が、また殺されることのないようにしっかりやろうじゃないか。俺は何度も講演したよ。次の世代を担う連中を相手にな。俺が手綱を譲る時がきたら、その扱いを心得たキッズがちゃんと育っているようにって。
――他にはどんな企画が進行中ですか? JAM MASTER JAY: 俺は映画のプロデュースもしているんで、大半はこれに時間を奪われることになりそうだ。今回のアルバムがひどく遅れたもんで、映画をプロデュースすることになっていた俺は、危うくヤバイ状態になるところだったよ。金も用意できてるし、キャストも揃ってる。『Frank Forever』ってタイトルで、これが最高なんだ。そんなところかな、俺の近況は……。グループのプロデュースはいつもやってることだし、シンプルで時間もかからないが、映画のプロデュースとなるとずっと要求されるものが多くてさ。慣れてないっていうのもあるしね。スタッフもクールな連中ばかりで、脚本も最高なら、キャストもバッチリ。準備は万端だ。 ――劇場公開を望んでいるんですか? JAM MASTER JAY: ――“家庭用映画”と言った時、思わせぶりに笑ってましたね? JAM MASTER JAY: ――ところで、Legends Of Hip-Hopのツアーはどうでしたか? JAM MASTER JAY: 実際クールでさ。最初は俺とEPMCとSlick Rickって考えてたのが、しまいには変更になって……、Whodiniが入ったのが当初のラインナップだったんだ。Whodini、EPMC、Slick Rick、そして俺たち。最後は、俺たち、Kurtis Blow、Sugar Hill Gang、そしてWhodiniだ。Kurtis BlowとSugar Hill Gangには大いに刺激されたよ。あいつらとの仕事はすごく楽しかった。それが、ちょっとおかしなことになって、少々辛辣なフィードバックがあったというわけ。ずっとじゃなくて、その時だけだけどね。 ――あらゆる場所をツアーしてきたあなた方ですが、完璧なノリの場所というのはありますか? DMC: ヒップホップは世界を牛耳った……それは大企業も周知の事実だし、だからこそ大勢のラッパーが「俺もレコード契約を取って、認められるために何かやらなくちゃ」と考えるようになったんだ。俺たちだけのものじゃない。どこのキッズも――大学生も労働者も――みんな同じことで悩んでいるのさ。競争からくるプレッシャー、いじめ、セックス、ドラッグ、両親。Nasが言ってることは全部、ネブラスカのキッズにも共感できること……そいつの近所にも同じような敵や味方がいるってわけだ。Nasの狙いは的中してるんだよ。 キッズはなにもドラッグをひけらかす内容のレコードを作ってるラッパーに共感してるんじゃない。同じように苦労してる点や、そいつのフッドの現状に共感してるんだ。場所によってその傾向が強いとか弱いとかいう問題じゃなくて、それほどあからさまになっていなかったり、一般的じゃない場所もあるというだけのこと。そういう比較をしようとは思わない。 DMC: インターネットで美味しい思いをしようという連中は後を絶たないだろうし、利用者もどんどん増えるだろうから、あとは管理の問題だ。レコード会社がまず商売ありきなのと同じように、インターネットの世界だってまず商売ありきになっていくに違いないんだから。一方、「これが次のビッグアーティストだ」っていうんじゃないにしろ、とりあえず聴いてもらえるという意味合いは充分あるわけで、創り手にとってはポジティヴなことだ。インターネット上でレコードレーベルをやれたら、アーティストである俺なんかは資本を増やすチャンスも増すわけだし、それがフェアな商売ってもんだよな。
――VH1の特番、『Behind The Music』について教えてください。 JAM MASTER JAY: ――つまり、観ると何がわかるんです? あなた方について世間が知らないこととは? RUN: DMC: マンガ本に取り組んでることについても、神様はこれで俺に何を教えようとしてるんだろうと考える。「アートの才能をおまえに授けたんだぞ。思慮と想像力を。おまえらしさを損なうことなく、その才能を磨くがいい」ということなんだろう。今、俺にはバンドがあって、スタジオに入れば「曲、覚えてきたよな?」と、通しで1曲やれてしまう。ハーモニカあり、バンジョーあり……と、Doobie Brothers系の音楽を俺はやってるんだ。それをちゃんと形にできたら、そしてみんなにも俺のことをわかってもらえたらと……。スタジオを離れて7年、何も飲まなくなって7年だというのに、世間は相変わらず昔のあの男を俺に期待している。あいつは死んだんだよ。俺がNasと一緒のレコードに顔を出したら衝撃だろうな。俺はあくまで急進派でなきゃいけないってわけだ。「これが俺だ、俺のやってることだ」とね。 あの最初のレコードは、あれは俺が実際に暮らしてた世界であって、無理に別世界に暮らそうとしてたわけじゃないんで、そこはわかってもらわなきゃいけない。クリエイティヴな観点から言えば、俺はとにかく現役でいたいんだ。完成してしまいたくはない。あと、自分に嘘をつかずにやっていきたい。そうすれば、みんなに対しても誠実でいられるから。 ―― その点、『Crown Royal』の制作は納得のいくものでしたか? DMC: 完成したアルバムは、見事な、素晴らしいアルバムだ。金儲けのために作ったアルバムは俺を幸せにできないだろう。幸せでいることが金になるのが本当なんだ。成功して億万長者になってる人はみな、そのサクセスストーリーを読んでみると、納得して好きなことをやって幸せになって、それで何十億も稼いでるんだよな。俺もそろそろ未踏の地に踏み込んで、せっかくの財宝を活用しないといけない。死んだ後で、「昔ラップしてた人ね」なんて言われるだけじゃ、たまんないよ。今回のレコードについて言われたことで最悪なのが、その「昔はラップしてたのに」ってやつでね。俺がやったのは歌入れだったし……ライムを書くってことすら今はやってない。書いてるのは曲だ。 ――今の自分をどう思いますか? 自分のイメージはどう変わってきていますか? DMC: Russellとも7年を経て腰を据えて2度話し合い、やっとわかってもらった。このアルバムの差し止めなんてあり得ない。俺はとにかくRussellに自分の考えを聞いてもらいたかったんだ。ここ7年間の俺の生活をね。カミさんは「あんたがラップを止めたら、支払いはどうすんのよ?」なんて言ってるが、明日のことは心配してもしょうがない。どうしてこんなにすっきりしてるのかって? 一番は、息子が「パパが決めたことなら、僕はリスペクトするよ」と言ってくれたことでね。金を基準に物事を決めるのが有益だと人は考えるものだ。だから、財力や名声や富を売り物にしようという連中にとどめを刺すのは「ノー」のひと言。「え? おまえ、どうかしてんじゃないの?」ぐらいのショックを連中は受けるはずだ。 あいにく、大きな成功を収めている天才たちは、世界中どこへ行ってもクレイジーな連中と決まっているんだよ。俺もクレイジーと思われてるのかもしれないが、俺はただ、そう思ってるあんたらが暮らす幻想の世界には暮らしていないだけだ。それが現実なのさ。事実は事実。成功は事実ではなく、ただの見解。例えばこれが競走だとすれば、ビリでゴールしても俺は勝ったと思える。勝つ見込みのないレースに出て競ったっていう、それだけでね。もしかしたら勝てるかもしれないし、勝ちたい、だからトレーニングもするだろう。だけど完走してもなお、災いは壁に貼り付いたままだ。それでも自分らしさの実感は永久に残るものだし、このアルバムで成し遂げたことも、願わくば65歳の白人のオヤジもヒスパニックの少年も「彼が決めたことだからリスペクトする」と言ってくれるようなものだと思いたいんだ。俺が幸せなら、聴くあんたも幸せになれる。その点を強調しておきたいぐらいで、あとは納得してるよ。 ――DMC、あなたは聖書を完読したそうですが、どうやって、どのくらいかけて読んだんですか? DMC: ――聖書の物語で、どれが一番好きですか? DMC: ジーザスをジーザスと認めないとしても、だったら誰か他の賢人が現実を悟って幻想に生きることを止め、「冒涜ではない……これは己を知ること、悟りなのだ」と宣言したと考えることはできるだろう。戦争や喧嘩の話は読んでいて面白かったよ。人生って、そういうものだよな。つまんないのはアークの成り立ちとか、そういうやつ。それでも俺は8回読んだ。すべてちゃんと把握したかったからだ。わかってなかったことがたくさんあって……カソリックの教会やシナゴーグで教わった基本的なところもそう。あれは額面どおり受け取るものじゃない。ジーザスが聖書を閉じて「私にはもうこれは必要ない。なぜなら、これはまだ知らない者たちのためにあるのだから。ここに書かれていることを、私はもうすべて知っている」と言ったが、その囁き、直感は、俺たちに既に備わっているんだよな。神にあるものは、俺たちにもある。俺たちもまた聖書を、英知の書を書いて人々の役に立たなければいけない。何事も、額面どおりに受け取らないこと。 俺は聖書の失われた書、死海文書も読んだんだ。ジーザスは自分を祭り上げて宗教を始めてほしかったんじゃなくて、ただ俺たちに自分と同じように行動してもらいたかっただけ。そこで、俺の使命とは何か? ということになるが、あるいは「ラップはしない」と宣言することが俺の使命なのかもしれない。ジーザスは孤独を恐れなかった。あの人は己の源をたどればそれは未知であると悟り、ありのままの自分を受け入れていたからだ。人が神を「神」と呼び、ひとり、またひとりと離れていったのが、終焉の始まりだった。人はそうやって、神と自分を隔絶してしまったからだ。 ツアー先で俺は、こいつらとつるみたがらないんで、からかわれるんだよ。本ばっかり読んでるから。J.W.Marriottの思想とか、片っ端からね。結果を恐れて偽善者となり、正しい行ないに撤する、というつもりは俺にはないけれど、宗教が説いているのは正にそれだよな。神に救いを求めるのは自由だが、中には力添えを必要としている人もいるんだ。俺は自分の本の中で、組織化された宗教には反対だと言っている。カソリックだのボーン・アゲイン(再生派)だの、そういうのは神の目論見とは違うんだよ。俺は聖書を8回読んで、もう1回読もうとしたところで、「いや、今度は読んだことを実体験してみようじゃないか」と考えた。読むのは何度でも読めるが、実際に体験してみないことには始まらない。エンジェルやゴーストが存在するというのも、だからなんだろう。神様も下界へ降りて実際に感じることができるようにジーザスを作りたもうたのさ。
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