【追悼】 最も大人だったザ・クラッシュ、ジョー・ストラマー

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【追悼】 最も大人だったザ・クラッシュ、ジョー・ストラマー

そのニュースは昨年のクリスマス・イヴ、前日が祝日だった日本ではの新しい週が始まった火曜日に飛び込んできた。ブリティッシュ・パンクのオリジネイターで、後に続くバンドに計り知れない影響を与えたザ・クラッシュのフロントマン、ジョー・ストラマーが亡くなったのだった。ロンドンでパンクが産声を上げてから25年、さまざまなメディアが回顧特集を組み、秋にはザ・クラッシュのロックンロール殿堂入りが決定し、さらにはそれを記念する再結成ライヴ――決してありえないと言われていた――が限りなく実現に近づいていた矢先の出来事だった。
 
ストラマーは、クラッシュ如何に素晴らしいものであったかを常に語っていた 

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ジョー・ストラマーを追悼するアーティストたち
「俺たちの友人でcompadre(親友)が逝ってしまった……神の祝福を、ジョー」

ミック・ジョーンズビッグ・オーディオ・ダイナマイトのWebサイトに載せたメッセージ
「彼のハートはいつも、激しく働きすぎたんだ……彼は最近、すばらしい音楽を作っていた。彼のことはずっと忘れないだろう」

ピート・タウンゼント(ザ・フー
「ザ・クラッシュは最高のロックバンドだった。彼らがU2のやるべきことを教えてくれた。とてもショックだ」

ボノ(U2
「ザ・クラッシュはいつだって最も素晴らしい反抗的ロックバンドだった。政治的なポップ・カルチャーという彼らの方針はイギリスのパンク・ムーヴメントの明確な特徴だったんだ」 「ザ・クラッシュがいなかったら、パンクの政治的なエッジはどひどく鈍いものになっていただろう」 

ビリー・ブラッグ(デビュー当時“ワンマン・クラッシュ”の異名をとった政治的歌詞とパンク精神で知られるフォーク・シンガー)
「ジョーと最後に会ったのは、ロサンゼルスでだった。ナイトクラブで一緒に踊ったんだ。僕は、彼の音楽が僕にとってどんなに重要なものかってことを長々と話し続けた。彼はとても寛大な人だった。そして、この50年間でもっとも重要なミュージシャンの1人だったことは間違いない。ザ・クラッシュが存在しなかった世界なんて想像できるかい? ザ・クラッシュはまれにみる素晴しいバンドの1つだったんだ。しばしば当り前のことのように思われがちだけど、ジョーやザ・クラッシュが作った音楽を改めて思い起こしてみるべきだ。彼らの音楽は感情に溢れ、政治的、挑戦的、実験的でエキサイティングな、素晴しいものだった」

モビー
「彼は素晴らしい詩人であり、最も素晴らしいライヴバンドの強烈な中心人物だった。彼は3分の曲であたかも世界を変えられるかのようにプレイした。ザ・クラッシュの演奏を観て、俺の世界は永遠に変わってしまったんだ」

トム・モレロ(オーディオスレイヴ

ジョー・ストラマーが50歳で死んだ。うちの両親に話したら、訳もわからず「若いのにね~」と言うだろう。昨年ジョーイ・ラモーンもロックの殿堂入りを目の前に他界している。ロックの殿堂なんてどうでもいいけど、近年のパンクロックの再認識とともに、歴史的に重要なパンクの偉人が亡くなっていく。ありきたりだけど時代の流れを感じずにはいられない。

ザ・クラッシュにおいてジョー・ストラマーは常に大人だった。'99年に発売されたドキュメント映像『WESTWAY TO THE WORLD』の中に、当時反目しあっていた2人のメンバーの話に触れて、ストラマー自身がスタジオで甲斐がいしく「次のコードはCね」とか言いながら仲介に立っていた、というくだりがあった。また映画『ザ・クラッシュ/ルード・ボーイ』の中でも、役柄とはいえ自暴自棄になるローディーをそれとなくたしなめるシーンがあったのを思い出す。あ、そういえばもう1つ。ザ・クラッシュがミック・ジョーンズ脱退の直前に行なった、とあるフェスティバルでのライヴで彼らは満員の観客から大ブーイングを浴びていた。ザ・クラッシュは当時すでに時代遅れの感をかもし出していたからだ。そこでジョー・ストラマーがひと言。「俺達の音楽なんて聴きたくないかもしれないが……一度試してみな」。オォー、オットナー! すんげーポジティブぅ! と思ったものだった。


左からポール・シムノン(B)、ジョー・ストラマー(Vo/G)、ミック・ジョーンズ(Vo/G)

他界する直前、今年もストラマーはジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとして来日を果たした。ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスは、もちろんザ・クラッシュではないし、パンクロックでもない。ザ・クラッシュの曲は数曲しか演らない。しかしストラマーは、様々なメディアでパンクについて語ることをはばからないし、ザ・クラッシュが如何に素晴らしいものであったかを常に語っていた。こういう大人になりたいなーと思わずにはいられない人だった。

思えばパンクロックの黎明期って、ホントのジャンキーっぽかったのがセックス・ピストルズで、ホントに真面目に訴えてるっぽかったのがザ・クラッシュって感じがする(“っぽい”っていうのは、ばかにしているんじゃなく、個人的に当時のパンクムーブメントを表面的にしか捉えていなかったから)。あまりパンクロックが好きじゃない人が指すパンクロックは、いかにもジャンキーっぽいセックス・ピストルズだったりするけど、実はスタイルも含めてホントにカッコイーって心酔した人たちって、ザ・クラッシュ的な、クールなカッコよさにヤラれたんじゃないかなと思う。もちろん色々あっていいけど。

晩年のストラマーは、もちろんジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとしてがんばっていた。しかし、ザ・クラッシュが解散した後(正確にはミック・ジョーンズが脱退してから)からは、常に自分はどの道に進むべきかについて、真剣に考えつづけていたようだ。ザ・クラッシュそのものだったストラマーは、死ぬまでザ・クラッシュの影から逃げ切ることはできなかった。今年のライヴでさえ、「クラッシュの曲やれ~!」とかなんとか言っている連中はたくさんいた。「そういうこと言うんじゃねーよ」と心で思いながら、ザ・クラッシュの曲ばかり演られたら、実は私も鳥肌だらけになるに違いない。

私がこの目で見たストラマーは、20年前のザ・クラッシュも、フェスティバルでへべれけになりながら歩いていたストラマーも、2000年代にザ・メスカレロスと共にいたストラマーも、どれも最高にカッコよかった。そして、少しおっちょこちょいだったけど、ミック・ジョーンズと違って決してふてくされることがないストラマー。私にとっての最高の大人像だ。

文●モトゲン

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