ジョー・ストラマーが50歳で死んだ。うちの両親に話したら、訳もわからず「若いのにね~」と言うだろう。昨年ジョーイ・ラモーンもロックの殿堂入りを目の前に他界している。ロックの殿堂なんてどうでもいいけど、近年のパンクロックの再認識とともに、歴史的に重要なパンクの偉人が亡くなっていく。ありきたりだけど時代の流れを感じずにはいられない。
ザ・クラッシュにおいてジョー・ストラマーは常に大人だった。'99年に発売されたドキュメント映像『WESTWAY TO THE WORLD』の中に、当時反目しあっていた2人のメンバーの話に触れて、ストラマー自身がスタジオで甲斐がいしく「次のコードはCね」とか言いながら仲介に立っていた、というくだりがあった。また映画『ザ・クラッシュ/ルード・ボーイ』の中でも、役柄とはいえ自暴自棄になるローディーをそれとなくたしなめるシーンがあったのを思い出す。あ、そういえばもう1つ。ザ・クラッシュがミック・ジョーンズ脱退の直前に行なった、とあるフェスティバルでのライヴで彼らは満員の観客から大ブーイングを浴びていた。ザ・クラッシュは当時すでに時代遅れの感をかもし出していたからだ。そこでジョー・ストラマーがひと言。「俺達の音楽なんて聴きたくないかもしれないが……一度試してみな」。オォー、オットナー! すんげーポジティブぅ! と思ったものだった。
左からポール・シムノン(B)、ジョー・ストラマー(Vo/G)、ミック・ジョーンズ(Vo/G) |
他界する直前、今年もストラマーはジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとして来日を果たした。ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスは、もちろんザ・クラッシュではないし、パンクロックでもない。ザ・クラッシュの曲は数曲しか演らない。しかしストラマーは、様々なメディアでパンクについて語ることをはばからないし、ザ・クラッシュが如何に素晴らしいものであったかを常に語っていた。こういう大人になりたいなーと思わずにはいられない人だった。
思えばパンクロックの黎明期って、ホントのジャンキーっぽかったのがセックス・ピストルズで、ホントに真面目に訴えてるっぽかったのがザ・クラッシュって感じがする(“っぽい”っていうのは、ばかにしているんじゃなく、個人的に当時のパンクムーブメントを表面的にしか捉えていなかったから)。あまりパンクロックが好きじゃない人が指すパンクロックは、いかにもジャンキーっぽいセックス・ピストルズだったりするけど、実はスタイルも含めてホントにカッコイーって心酔した人たちって、ザ・クラッシュ的な、クールなカッコよさにヤラれたんじゃないかなと思う。もちろん色々あっていいけど。
晩年のストラマーは、もちろんジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとしてがんばっていた。しかし、ザ・クラッシュが解散した後(正確にはミック・ジョーンズが脱退してから)からは、常に自分はどの道に進むべきかについて、真剣に考えつづけていたようだ。ザ・クラッシュそのものだったストラマーは、死ぬまでザ・クラッシュの影から逃げ切ることはできなかった。今年のライヴでさえ、「クラッシュの曲やれ~!」とかなんとか言っている連中はたくさんいた。「そういうこと言うんじゃねーよ」と心で思いながら、ザ・クラッシュの曲ばかり演られたら、実は私も鳥肌だらけになるに違いない。
私がこの目で見たストラマーは、20年前のザ・クラッシュも、フェスティバルでへべれけになりながら歩いていたストラマーも、2000年代にザ・メスカレロスと共にいたストラマーも、どれも最高にカッコよかった。そして、少しおっちょこちょいだったけど、ミック・ジョーンズと違って決してふてくされることがないストラマー。私にとっての最高の大人像だ。
文●モトゲン