この夏、世界のロック界で最もその新作が待ち望まれていたのは間違いなくコールドプレイだ。それはそうだろう。2000年にデビュー・アルバム『パラシューツ』が本国イギリスにおいていきなり初登場No.1に輝き、ミリオンセラーを獲得。そればかりでなく、翌年にはここ最近の英国産バンドのほとんどが失敗していた、アメリカ市場への進出でも成功を収めた。『パラシューツ』は最高位こそ51位だったが、1年を超えるロング・チャート・インを記録して最終的にはミリオンセラーとなり、今年2月のグラミー賞ではビヨークやレディオヘッドなど並み居る強敵を押し退けて最優秀オルタナティヴ・アルバムを受賞するまでに至ってしまった。
また、遡って昨年の秋、U2のボノが発起人となって制作された一大チャリティ・シングル「ホワッツ・ゴーイング・オン」の中の“ブライアン・イーノ・ミックス”では、ヴォーカルのクリス・マーティンがメイン・シンガーとしてフィーチャーされている……。とにもかくにも、デビュー以来、どこに行っても大人気のコールドプレイ。しかし、そもそもは特にセンセーショナルな話題性のない、ひたすら“うた”を大事にする、どちらかと言えば地味なバンド。そんな彼らの爆発的な躍進の背景には、一体何があったのだろうか。
まずイギリスにおいては、彼らのようなシットリとした“歌ものロック”を、メインストリームのド真中で受け入れる土壌はすでに整っていた。それは'97年のレディオヘッド『OKコンピューター』やザ・ヴァーヴ『アーヴァン・ヒムズ』の特大ヒットによって扉が開かれ、そこへトラヴィスが続いたが、コールドプレイは運良くその次の順番を難なくゲットできたとうわけだ。しかし、ただ運が良かっただけではない。コールドプレイは、イギリスの硬派な大人向け音楽マガジン『MOJO』の読者層がこぞって喜びそうな音楽性を巧みに吸収し、自己のものとしてキチンと表現できていた。それはニック・ドレイクの繊細で揺れる表情だったり、ティム&ジェフ・バックリー親子が持っていた静溢な中にふつふつと潜むエモーションだった。そして、そうしたカルトで伝説的なシンガー・ソングライターの資質を持ち合わせながら、囁くような吐息まじりのスモーキーさと、官能的なファルセット・ヴォイスを使い分けるクリス・マーティンの唯一無二の声。コールドプレイはもとから“静かなる巨人”であって、強運も自ら呼び寄せることができたのだ。
一方アメリカでは、大味でバッドボーイなラップ・メタルに飽きはじめた市場が、落ち着いた肌触りの丁寧な“うた”を異国から求めはじめていた。同じイギリス出身のダイドやデヴィッド・グレイが“癒し系”的な存在としてミリオンセラーを記録することに成功していたが、コールドプレイはその波にもうまく乗ることができた。また、彼らの所属がレディオヘッドをアメリカで売ることに成功したキャピトルだったため、イギリス出身というハンデを感じさせないほどの後押しをレーベルから受けることとなった。こうしてコールドプレイは、これまで数多くのバンドが挫折してきた広大な国でのツアー生活をなんとか乗り切り、その自慢の“うた”をアメリカのリスナーに届けることに成功したのである。
そして、前作から2年、ひと回り大きくなったコールドプレイが、2枚目のアルバム『静寂の世界/A Rush Blood To The Head』で再びシーンの前に堂々と現れることになった。名手ケン・ネルソンとガッチリとタッグを組んだサウンドの基本線は変わってはいない。しかし、楽曲の細部にまで行き届いた表現力やメロディ1つひとつの表現力、クリスの絶妙な声のワザは全てが飛躍的な成長を遂げ、それがサウンドの奥行きの深さにつながっている。そしてその心癒される曲の数々は、まるで空気の中に溶け込んで心に染み入るかのように、空間と同化し独自の世界を築き上げている。何より決定的な違いは、前作が名曲を個別に並べた作品集的な意味合いが強かったのに対し、今作はアルバムのトータルとしての完成度がきわめて高いことだ。アルバムの原題にもあるように、まるで体中の血が頭まで上りつめたかのように、コールドプレイは持てるエモーションを静かなままに、精一杯表現することに見事成功している。これはまぎれもないマスターピース誕生の一瞬である。
潜在的に眠っていた熱い思いを沸き起こさせるような……。本作はそれができる、現在本当に希少な1作だ。
文●沢田太陽