「このアルバムはハッピーってわけでもアンハッピーってわけでもないよ」。日本のインディ・ロックのイコン、Corneliusこと小山田圭吾は言う。「ノーマルな感情を表現したかったし、どんな風にでも聴こえるアルバムにしたかった。ハッピーだったり、ロックっぽかったり、穏やかでピースフルに聴こえるかもしれない。“Bird Watching”はハッピーだけど、“I Hate Hate”は急に落っこちる、っていう」 日本からのPhil SpectorあるいはBeckへの回答は、エレクトロニカと凝ったレトロ・ロックのフリー・マーケットへ、またひとつ『Point』というアルバムを送り込んだ。'97年のアルバム『Fantasma』を聴けば分かる通り、Corneliusの音はいつだって無節操だった。しかし『Point』では、そのユニークな熱帯雨林のようなロック・サウンドと溢れるヴォーカル・ハーモニーを通して、より終始一貫したヴィジョンを感じさせる。まるでBrian Wilsonが、Corneliusとは'70年代の名画『Planet Of The Apes/猿の惑星』から名付けられたのだよ、と教えてくれているようだ。これは木のため、類人猿のため、そして人類のためのミュージックだ。 「ダンス・ミュージックはひとつのインスピレーションになってるね」と、マンハッタンのスターバックスでラテを飲みながら話す。「それともう1つ、歩きながらウォークマンでビートを聴き続けるってことも想像してみた。歩く、聴く、ビートがいっしょに続くってことを。歩きながらリズムをとって、まわりを見渡しながら、なんかいい流れを感じるって楽しいでしょ」 実は彼は、スターバックスが好きではない。さらに言えば、ハンバーガー、フライド・ポテト、ミルクシェイクにミルキイ・ウエイ、Tボーン・ステーキにイタリアン・ヒーロー・サンドイッチ、サラミ、パストラミ、アップル・パイさえも好きじゃない。アメリカの食事は最低だと思っている。 「食べ物の文化ってここにはないよね」と不平をもらす。もっとも、彼の大きなくりっとした目を見ると憎めないのだが。「建物も洋服も映画も好きだけど、食べ物に関してはね、ステーキとハンバーガーばっかり。他にはなにもない」 “じゃあ、日本の食べ物のどこがいいわけ?”と尋ねてみた。“生の魚? 寿司? それともあのばかげたアイドルの女の子達? あれって何なの? どうして人気があるのかな?” 「ただの流行りだよ」と彼は説明する。「“morning idols”とか“morning daughters”とか言うんだけど、アイドル人形みたいなものでさ、でも子供なんだよね。15人もいて、みんな可愛らしい服を着て可愛らしく振舞ってる。でもぜんぜんセクシーじゃないよ」 その通り。音楽の話に戻ろう。このアルバムの中にはコンピュータとサンプラーでアレンジされた自然の音(水、風、鳥)、溢れんばかりのヴォーカル・ハーモニー、ハウスのビート、そしてアコースティックやパンク・ロックのギターが集結している。コンピュータ・ロマンチシズム(「Brazil」)、ふわふわしたハウス・ミュージック(「Point Of View Point」)、Willie Wonkaの熱帯サンバ(「Bird Watching...)、ひらめくようなパンク・ロック(「I Hate Hate」)というように、音がヘリンボン模様を編み出している。チャンネル、ギター、キーボードが荒れ狂うなかをドラムとベースが規則正しく行き来して音を縫い上げる。『Point』は決してコンピューター・ロックのようには聴こえないが、そのループの感覚から言えばそうなるのだろう。 「曲にループを持たせる必要もなかったけど」と彼は言う。「いろいろな音を作るために確かな音が必要だった。ほかの音を迎え入れてくれるような。シンプルにしたかったし、歩くビートを大切にしたかった。最後まで歩き続けていけるようにね」 Stingのために「Brand New Day」をリミックスし(「僕のバージョンをライヴでプレイしたんだよ」)、D.I.Yの時計、ターンテーブルを作り、Trattoria レーベル(以前、趣味の悪いBill Wymanのレコードをリリースしたこともあるが、今では日本のロック・バンドやイリノイ出身のオフビートのバンドに執心している)を運営する。一体、彼のどこに自分のサウンドを作る時間があるというのか、そしてこの豊かとはいえない貪欲な時代に何が彼を奮い立たせるのだろう。 「川辺にいた子供の頃のイメージなんだ。あと、母親が帰ってくる前に、水を出したり止めたりしてたこととか、じゅうたんを引っかいてたこととか。そういう小さなことが僕をハッピーにするんだよ」 Cornelius:いたずら好き。じゅうたんに近づけるな。 By Ken Micallef/LAUNCH.com |