フィル・コリンズ バイオグラフィ

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もし、だれか思い通りに事が進まなかったことでポップ界のスーパースターになったと言える人物がいるとしたら、それはGenesisPhil Collins('51年1月30日生まれ)だ。イギリス出身のドラマーであるCollinsはグループのリードシンガーが脱退した時にその跡を継いで(Genesisは崩壊したと世界中が思っているあいだに)、商業的な成功でバンドを新たな高みに持ち上げた。ソロ活動ではシンガー/ソングライターとして大ヒットを飛ばし、世界最高のミュージシャンたちとアルバムで共演、世界第一級のソングライターたちとは作品を共作し、映画スターにもなった。さらにそうしたこと以上に、音楽産業の多くの人々がCollinsを慕っている理由がある。彼が音楽産業で最も慎ましやかな人物のひとりであるという評判は、スターになってからも揺るぎないのだ。

口うるさい評論家たちは'80年代のCollinsの商業的成功を軽視しがちだが(トップ20に入ったシングルは“たったの”13枚、そのうち1位が7枚)、そうした評論家たちは、ほぼ間違いなく彼の初期の作品を高く評価している。彼がFlaming Youthというグループで最初に作ったアルバム『Ark 2』は、現在レコードコレクターのあいだで最高の値段で取引されている。'70年、イギリスの雑誌『Melody Maker』のメンバー募集広告を見たCollinsは、ドラマー兼バック・ヴォーカリストとしてGenesisに加入。'75年、リードヴォーカリストのPeter Gabrielがバンドを脱退したあと、CollinsはGenesisのフロントマンに抜擢された。普通の人間ならそれで手一杯だが、Collinsは違っていた。Genesisとは別に、彼はジャズ/フュージョンバンド、Brand Xを組む。このバンドで彼はロックの開拓者たちと共演し、7枚のアルバムを作って極めて高い評価を得た。Brand Xで彼が共演したミュージシャンは、Brian EnoやJohn Cale、Robert Frippなどのほか、皮肉なことにPeter Gabrielも含まれている。

しかしある意味では、そういったすべての事柄も'81年の『Face Value』と比べると影が薄い。このCollinsの初のソロアルバムはトップ10入りを果たしてダブルプラチナディスクとなり、彼を見る音楽業界の目を決定的に変えてしまった。このアルバムで注目を集めたのは独特の雰囲気がある「In The Air Tonight」で、この曲は世界中でヒットした。単調なイントロと緊張感のあるヴォーカル、解放感のあるパーカッションの炸裂。単純に言って、この曲は1度聴いたら忘れられない(3年後、この曲はTVドラマ『Miami Vice』の印象的な場面で使われる。そしてその翌年には、Collins自身がこのドラマに出演した)。それ以前のCollinsの作曲歴は、Gabriel脱退後のGenesisの曲をなんとか穴埋めしていた程度だったが(そのなかの1曲がチャート14位を記録して、当時のGenesisの全米最高ヒットとなった「Misunderstanding」だ)、彼が書いた『Face Value』の曲は驚くべき成熟を示していた。Collinsは“ただの”ドラマーではなかったのである。彼はアルバムのすべての曲で器用にキーボードを弾きこなし、ときに個人的な心境が垣間見える歌詞はソロアルバムを初めて作ったとは思えないほど深みがあり、彼のメロディは多くの人々の耳に残った。その後『No Jacket Required』が'85年度のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞して、Collinsは公式にも高く評価された。

かつてGenesisは、楽器の演奏が長すぎると批判されていたことがある。それは'70年代プログレッシヴロックの特徴なのだが、Collinsのソロ作品は、それだけの理由で曲を短くしたわけではないにしても、そうした批判への返答であると当時一般には思われていた。ときには失敗がなかったわけではない。The Supremesの「You Can't Hurry Love」のリメイク('82)やthe Mindbendersの「Groovy Kind Of Love」のリメイク('88)はともにトップ10入りしたものの、多くの人々にはいかにもお手軽な作品に聴こえ、働きすぎのCollinsは枯れてきている、という意見もあった。しかし、彼はそれでもまだ勝者になっていなかった。'89年の『But Seriously』には、チャート1位となったヒット曲「Another Day In Paradise」が収録されている。これはホームレスのことを歌った感動的な曲だが、多くの評論家はこの曲を聴いて大笑いした。Collinsさんのような億万長者がどうしてホームレスの気持ちなんか知ってるんですか、とぶしつけに質問した者もいたほどである。

しかしなにより、Collinsはまるで'80年代のいたる所に同時にいたかのようだった。アルバムを作り(John MartynやAbbaのFrida、Philip BaileyやEric Clapton、Stephen Bishopとともに)、ドラマーとしてRobert Plantとツアーを行ない、'88年の映画『BUSTER/バスター』ではさえない列車強盗役で主演した。チャールズ皇太子信託基金10周年パーティーにも出席したが、いかにもCollinsらしいのは、'85年に大きな運動となったLive Aidコンサートで、彼が同じ日にロンドンとフィラデルフィアの両方の会場で演奏したことだ。'90年代に入っても、Collins現象はすぐには止まりそうになかった。ソロ活動と並行してGenesisが成功を収めたため、彼は恐るべき1人2役をこなし続けたのだ。ソロとして3度目になる'90年のツアーでは、彼は世界中で127回のコンサートを行なった。'92年のGenesisの世界ツアーは大成功を収め、ライヴアルバムが2種類発売されたが、その中心にいたのも彼だった。Collinsの精力的な活動は、その後も続いた。この1人2役は、いったいいつまで続くのか。永遠に、というわけにはいかないだろう。'97年にはGenesisの新譜がリリースされたが、それは、27年ぶりにCollinsが参加していないアルバムになったのだ。

This Biography was written by dave dimartino

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