商業的な成功をきっかけに、日常の雑務から離れていくミュージシャンは多い。しかし、ここにバンドを軌道に乗せるための唯一の手段として、あえて日々の努力を放棄した若者たちがいる。BBMakと名乗るリヴァプール出身の3人組だ。結成から、大儲けのチャンスをつかむための最後のヒーロー的プランを編み出すまでの約1年の間、Ste McNally、Mark Barry、Christian Burnsの3人は、極貧の瀬戸際でよろめきながら細々と活動を続けていた。'97年末、この男たちは(友人と家族から多少の経済的援助を受けつつ)鞄とロンドンまでの切符を手に、音楽業界という障害物だらけの道を目指したのだった。 「俺たちの決心は固かったね」。ひどいリヴァプール訛りの口調でMcNallyは言う。「仕事も辞めちまってたし、金なんか全然なかった。『何が何でもレコード契約取らなきゃな』って感じだったよ」 Burnsの友人宅のリビングルームに寝泊まりしながら、3人はあわよくば契約が獲得できるかも、と街を徘徊することに時間を費やした。レーベルのA&Rという聖地に自分たちの音楽を浸透させようとデモテープや郵便システムに頼る代わりに、BBMakは唖然とするエグゼクティヴたちの目の前でパフォーマンスをやってみせるという、非常に直接的な方法を用いた――セキュリティ突破はもちろんのこと、時には警察沙汰にもなりかねない作戦である。 「いつも目当ての会社に入り込めていたわけじゃない」とMcNallyは当時を思い返す。「お巡りに追いかけられたことも何回かあったし、警備員につまみ出されたこともあったさ。けど、こっちは人生がかかってるんだ。それを警備の奴らなんかに邪魔されてたまるもんか。だから、しょっちゅう逃げたり、人を突き飛ばしたり、オフィスに忍び込んだりしてたんだ」 このSWAT隊的戦法が最終的には功を奏し、ほどなくして彼らは次々と契約のオファーを受けることとなる。「何がなんだかさっぱりわからなかったよ」とMcNallyは続ける。「俺たちに分かってたのは、俺たちの音楽がいいってことと、曲が書けるってこと、そしてレコード契約が欲しいってことだけだった。そしたら週末になっていきなり『契約してやる』っていう人たちが現れたんだ。俺たちにしてみりゃ『ちょっと待てよ……もしかしてこれって第1段階突破ってことじゃん』て感じさ。それまでは全く無名だったのに、1週間後には誰もがサインしたがるバンドになっちまったんだぜ」 自分たちの音楽に対する揺るぎない忠誠心(と有能な弁護士のアドバイス)を武器に、McNallyとバンド仲間たちはメジャーレーベルへの階段を駆け上がった。そして、2000年初頭にはデビュー作となる『Sooner Or Later』を完成させたのである。喜びと悲しみの狭間に揺れる恋と別れを優しく軽快なポップ組曲で表現したこのアルバムは、現在盛り上がりつつあるティーンポップの波にピタリとはまっている。 BBMakの魅力はその音楽だけではない。初めてのワールドツアーに出るや否や、オーディエンスたちは曲を操る3人の一挙手一投足が、彼らが生み出すフックやハーモニーと同じくらい魅力的であることに気付かされたのである。McNallyは、現在の熱狂的なボーイバンドブームが彼らにとって有利に働いたことを認めつつも、その狙いはあくまでも流行が去った後もシーンに残ることだと語る。 「BBMakが単なるボーイバンドじゃないことを分かってもらうには、まだまだ時間がかかると思うよ」と彼は言う。「人に何を言われても構わないさ。俺たちの音楽を楽しんでもらえるならね。別に気にならないよ……、実際、3人組の若い男のバンドだし、自分たちのやりたいようにやってるし。もし俺たちが不細工だったら、皆からロックバンドと呼ばれるだけのことさ」 |