「TSUNAMI」が大ヒットした理由

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 デビュー22年目を順当にクリアしつつあった2000年1月26日、サザンオールスターズの44枚目のシングル「TSUNAMI」がリリースされた。サザンの基幹系楽曲とも言えるミドルバラッド、桑田佳祐の声域のほぼ全てを使った端正なメロディに、オブリガートの印象的なベースが支える、重心が低く温かいサウンド。まさに世の中のど真ん中で響かせるべきナンバーであったが、とかく世知辛い世の中である。

 特にポップミュージックの世界は“老兵(ヴェテラン)は死なずただ去るのみ”を強要する風が吹き荒れている。インパクトが先行する若い楽曲に耳目が集まるのだろうか?と思っていたが、事態は全くの逆であった。
 発売後4ヶ月に至らんとする現在でも「TSUNAMI」はチャートの上位に位置し、サザン史上シングルとしては最高売上枚数となる250万枚を記録している。なにゆえ「TSUNAMI」がこれほど受け入れられ人々の内部に浸透したのか? 僕は、漠然と考えながら日々暮らしていた。

 冷たい春の雨が降るある日、地下鉄の出口近くの喫茶店で人と待ち合わせをしていたときのこと、傘を差し急ぐように行き交う人々の(傘の奥に隠れた)顔が“皆、今にも泣きだしそうな顔”に思えた瞬間に一つの解答を得ることができた。そう、世の中も僕も泣きたがっていたのだ。
 実際に見渡してみれば、いつ何が起きてもおかしくない“一寸先は闇”状態に加え、来世紀を迎えるこの期に及んでいささかも進化していないかに見える世界。そこで、「昔はよかった、昔に帰りたい」と思ったところで帰るに相応しい昔などもはや何処にもありはしないのだし、それは了解しているつもりだ。
 しかしながら、そこに「見た目以上、打たれ強い僕がいる」と現段階の自分を肯定してくれる歌の一節が聴こえてきたらどうだろう? 「TSUNAMI」の一番の歌詞に出てくる「見た目以上、涙もろい過去がある」と二番の「見た目以上、打たれ強い僕がいる」は言わばコインの裏表の関係にあって、涙もろい過去があると歌われただけでは泣けないが、打たれ強い僕がいるという一節も“込み”になると涙がこぼせるという、実に的確な心理の綾を「TSUNAMI」は突いているのである。そして、これらフレーズは、桑田佳祐の実感情から叩き出されてきたものだと思われる。

 「TSUNAMI」のインタビュー時に桑田はこう言っている。

今の世の中の気分って、例えば日本の経済率は成長しているかどうかっていったら、けっこう弱まっていると。僕は経済のことはわからないけど、弱っているんだなと。
 そういった連鎖反応はすごくあるし、よく言われるかもしれないけど、地球規模でエネルギーが弱まってる感じってのはすごく感じるし、90年代はそうでしたよね。いろんなものが絶滅したり、魚が捕れなくなったり、枯渇したりね。いわゆるネガティヴな曲線が増幅されたってのが90年代だったと思うんですけど、2000年って敢えて考えると、少し、もう一回しみじみと残り少ない資源とか、大事なもの、気分とか感性とか文化とかを大事にするってのは、ちょうど僕の年代では感じるようになりますよね。70過ぎたジジイは別にね、なんでもいいんですけど(笑)、私の子供くらいは幸せに、健康に生きてほしいなって気がしみじみしちゃて。わびしさとかしみじみとか。そういうものが、大気中に含有率高く含まれていると思うんですよね。あんまりパッションとか、そういったことよりもね、消えゆくもの、朽ち果てていくものに対する…、音楽で言うとレクイエム的なものが大気中に漂っているような気がしましたね

 「TSUNAMI」を誘導路にしてさめざめと泣いた後に、何か打開策はあるのか?…とデリカシーのない人間は聞いてくることだろう。しかし、さめざめと泣くこと自体に何か処方箋の欠片が含まれているような気が僕はする。この数年、桑田佳祐と様々な雑談をしてきた僕としては(詳しくは『素敵な夢を叶えましょう』角川書店刊~を読んでほしい)、彼に共鳴し刺激を受けた言葉として“まだ見ぬ日本人に向かって”ということが上げられる。肝要なのは、まだ見ぬ“国際人”やまだ見ぬ“半人間・半機械”ではなく、日本人だという部分である。「TSUNAMI」のカップリング曲「通りゃんせ」は、その方向を示唆しているのかもしれない。

 「TSUNAMI」がポップミュージック界、特に中堅~ヴェテラン勢に与えた影響は計り知れない。新陳代謝を嫌うことなく新品至上主義を相対化できたとき、ポップミュージックは少しだけ豊かになるような気がする。

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