【インタビュー】ASKA「ライヴのなかにドラマがあった」

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ASKAが『ASKA premium concert tour-higher ground-アンコール公演2022』のBlu-ray +CDを10月5日に発売した。こちらには、今年1月からASKA×バンド×弦楽アンサンブルの三位一体スタイルで2年ぶりに開催した全国ツアーのなかから、そのグランドフィナーレを飾った東京国際フォーラムAの公演を完全収録。Blu-ray映像、そのハイライトは感動の涙を誘う愛に溢れたヒューマンドラマ。単なるライヴ映像とは一線を画す今作について、ASKA本人に近況も交えながら話を聞いた。

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■こんなライヴ映像、いままでなかったでしょう
■って言いたくなるぐらいのドラマがある


──ASKAさん、早速なのですが、あのデヴィッド・フォスター(ASKAの音楽人生に多大な影響を与えた人物)がBillboard Liveで行なった来日公演にいらしたとき。客席で挙手をして、ステージに上がって歌ったというのは本当なんですか?

ASKA:だってデヴィッドが「歌いたい人はいないですか?」って聞くんだもん。デヴィッドもビックリしたと思うんだよね(微笑)。

──いや、もちろんそうでしょう。

ASKA:日本人はシャイだから誰もあげないだろうと思って「誰か歌いたい人いませんか?」って、その場の笑いを取るためにいったんだと思うだけど。「(手をあげて)はい。デヴィッド!」っていっちゃったもんだから。デヴィッドとは面識があったんだけど、ちゃんと僕のことを覚えててくれて「こっちおいでよ」って呼んでくれたの。それで、ステージに上がって。そこで「じゃあこの曲知ってるかい?」って流れてきたのがピーター・セテラの「It’s Hard to Say I’m Sorry」で。

──シカゴの「素直になれなくて」という邦題で日本でも大ヒットしたあの名曲。

ASKA:でも、キーが高くてさ。しかも歌詞も憶えてないからさ「デヴィッドごめん、ごめん。これ歌えない」っていったの。そうしたらデヴィッドが「ちょっとキーが高かったね」って。こっちに気を遣ってそういってくれるんだよ。それで僕が「アドリブでやらない? デヴィッドがピアノ弾いてくれたら、それに合わせて歌うから」っていって、セッションをして。そこにいたお客さんに「どうもすいません」っていいながら席に戻ったんだけど。

──セッションをしたというのが凄いですね。

ASKA:面白かったよ。そうしたら、ライブが終わった後にデヴィッドがピアノを弾くからさ。「それ、何のメロディー?」って聞いたら「さっきASKAが歌ったメロディーだよ」って。1度聴いただけでデヴィッドが弾くと、こんな風に(アレンジして)カッコよくなるんだと思って。デヴィッドはやっぱり凄い。「素人が手をだしちゃいけないよね」って、(ダウンタウンの)松っちゃんもいってたけど(『FNS ラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜』で松本人志&岡村隆史で「YAH YAH YAH」を歌った後の松本の感想)、まさにそんな感じ。

──この番組がオンエアされた日は、ファンの方はASKAさん三昧の“ASKAのいちばん長い日”でしたよね。たしか。

ASKA:そうだね。昼間に福岡公演で歌って、それを生配信して。日曜にやってるFMラジオ番組『ASKA Terminal Melody』はスペシャル版として1時間あって。その後にさっきの番組の放送(番組内でASKAは「太陽と埃の中で」を歌唱)があって。最後にレギュラーの『ASKA Terminal Melody』だったから。それを1日追いかけて視聴してくれたみなさんにとっては“ASKAのいちばん長い日”として大変な日だになったと思います。



──そして、10月5日には『ASKA premium concert tour-higher ground-アンコール公演2022』のグランドフィナーレを完全収録したBlu-ray+Live CDを発売。今回の映像作品の見どころといえば?

ASKA:毎回Blu-rayはその時々のライヴの臨場感を伝えるために出してきてるんだけど。今回ほど“作品”と呼べるようなものは初めてかもね。だって、今回はライヴのなかにドラマがあったでしょ?

──そうなんですよ。昨年、天国に旅立たれてしまったASKA BANDのドラマーの菅沼孝三氏と現ASKAバンドのドラマーである娘のSATOKOさんとの夢の共演から、SATOKOさんへとバトンタッチしていくシーンは、映像で観ても号泣しました。

ASKA:こんなライヴ映像、いままでなかったでしょう、って言いたくなるぐらいのドラマがあるから。今回はね、俺の音楽はまったく聴かないという人にも「とりあえずこれは作品として観てみなよ」と言いたくなるようなものなんですよ。

──映像と共演するという演出は、ASKAさんのアイデアだったのですか?

ASKA:うん。娘が(ASKA BANDのドラムを)やるって決まったときに、そういえば孝三のみにスポットを当てて抜いた映像があったよな。なんの映像だっけな? と思い出して。台湾で演ったやつにあったと。

──あれは、CHAGE and ASKAのときの映像ですよね?

ASKA:うん。あのときのライヴ映像を観たら、孝三だけ抜いてるのがあったんですよ。そこを切り取って、SATOKOに見せて。「どうだ。これ、一緒にやれるか?」って聞いたら「頑張る」っていうから「頑張るじゃなくてこれを演らなきゃダメなんだぞ」といって。そうしたら、見事にやってくれた。あそこは自分で見返しても感動的だったね。

──私はこのツアーの初日、東京・府中の森芸術劇場での公演を拝見させていただいたのですが。

ASKA:雪の中、大変でした(微笑)。

──電車で会場入りされたんですものね?

ASKA:間に合わないと思ったから瞬時に車を新宿で乗り捨てて、電車で向かいました(電車で会場入りしたことは翌日ニュースにもなった)。ただその後、急いでたあまりに、車をどこの駐車場に乗り捨てたのかを誰も憶えてないというドラマもあったんだけどね(笑)。

──でも当日、ライヴで初めてあのドラマを見たとき。ASKAさんがやりきって泣いているSATOKOさんをそっとハグするシーンは本当に涙が止まらなくて。いま、あの映像をASKAさん自ら見つけてきたというお話を聞いて、さらに胸の奥が熱くなりました。

ASKA:孝三は付き合いが長かったからね。チャゲアス、ASKAソロを含めて本当に長く一緒にいたから。SATOKOなんか4〜5歳の頃から知ってるんだよ。それがね、親父が亡くなるとき、親父が遺言で「ASKAをよろしく」って、僕のサポートをしてくれるようにいってたって。こんなドラマ、どこ探してもないでしょ? だから、SATOKOにも「お前の親父は粋な演出をして逝ったよな」って言ってたの。

──もうドキュメンタリーのような人間愛のドラマがここには凝縮されているので、このお話を踏まえて、いろんな方にこのライヴ映像を観ていただきたいです。

ASKA:しかも、このツアーはコロナ禍のなかで始まったから、いつ止まるかどうかも分からなかった。緊急事態宣言が出たら即終わりだし、メンバーとスタッフ50人、1人でも感染者が出ても終わり。そういう緊張のなかでやったツアーだったんだけど。それでも完走できたからね。

──そこもドラマチックですね。



ASKA:ドラマチックなのは他にも、前回のツアーで大阪と熊本だけができなかったんだけど。

──コロナの影響で。

ASKA: でも、今回はそこでできたことと。あともう1つ。福島に行けたこともよかったんですよ。僕は震災後に福島に行けてなかったから、ずっと気になってたんです。だから、どうしても今回、福島を入れたくて。そうしたら、郡山市民文化センター(現けんしん郡山文化センター)が使えませんってことになって。地震で傷んだ部分がひどくなってきたから改装工事をすることになったと。それで郡山がダメになったんですね。だけど福島はどうしても行きたいんだといって。そうしたら、いわき芸術文化交流館アリオス・大ホールならあると。いわきは郡山から離れた場所だけど、ここも甚大な被害があったところだからからかまわないと。立地を考えると「動員が大変ですよ?」っていうわけ。でも「動員じゃない、福島に行きたいんだ」ってことで場所をいわきに切り替えて決めたの。そうしたら結果、郡山市文化センターの改装工事が間に合ったの。それを聞いたときは「やっぱりここにしとけばよかったな」と思ったんだけど。でも、いわきでライヴをやる前日に地震があって。その地震で、郡山文化センターは再び使えなくなったの。だから、郡山の改装が終わるのを待って、そこに会場を決め打ちしていたら、福島でライヴはできなかったんだよ。いわきにしておいてよかった。

──ドラマチックなASKA劇場がここでも起こっていた訳ですね。

ASKA: いろんな偶然のなかの一つが引き起こしたドラマだよね。熊本もね、延期を繰り返して、今回とれた日は平日だったんだよ。それでも、行けたことがよかった。この間も熊本の大西(一史)市長とダイレクトメールでやりとりしたんだけど。熊本地震からの復興、熊本城の復旧もまだ続いている状況だから、なにかお手伝いできることがあったらという話をしたんだ。

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