【インタビュー】ASKA、デイヴィッド・フォスターとの共演が映像作品化「これは僕の音楽活動、音楽史の記録」
ASKAがミュージシャンとして多大な影響を受けたデイヴィッド・フォスターを迎えて、3月に神奈川・ぴあアリーナMMで行なったプレミアムコンサート<ASKA featuring DAVID FOSTER PREMIUM CONCERT 2023>(加えて、同コンサートはブルーノート東京、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで実施)。このコンサートを余すことなく収録したBlu-rayが2024年1月17日に映像作品としてリリースされる。ASKA史に刻まれる世紀の共演となった本公演について、さらには2024年の活動について本人に聞いた。
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■欧米でもコンサートを演ってみたいなって気持ちになった
── 今作を映像化するにあたって、ASKAさんの娘さんでありコンサートにゲストヴォーカルとして出演された宮﨑薫さんがL.A.を訪れた際に、デイヴィッド・フォスターと食事をしたところから話がスムーズに進んだ、とコンサートでおっしゃっていましたが。
ASKA:そうそう。向こうのミュージシャンによくありがちなんだけど、契約書ってこんなに(2、30cmほど手を広げて)ある。しかも今回はデイヴィッド・フォスターだから、(映像作品化は)「難しい」と言われたら諦めるつもりだったんだよね。僕は最初から映像化するために撮影をしてたんだけど、待っても待っても「回答がない」という返事しかもらえなくてね。デイヴィッドとは個人的にやり取りはしていたものの、僕が直接聞くわけにはいかないでしょ? だから、メールではその件には一切触れなかった。そうしたら、薫がたまたまロスに行くことがあって。
── はい。このお話、薫さんにもお伺いしたんですよ。「こっちに来ることがあったら連絡してよ」と言われていたので、マナーとしてデイヴィッドに連絡をしたら本当に会ってご飯を食べることになったんですよ、と。
ASKA:娘がデイヴィッドに今回の映像の話をしたら、「もう僕はOKを出してあるよ」って。その情報はこっちに届いてなかったんだよね。
── そうだったんですね。
ASKA:でも、それはしょうがないんだ。コーディネーターが間にいるから。だから、あのタイミングで薫がロスに行ってなかったら、この作品はリリースできてなかった。
▲<ASKA featuring DAVID FOSTER PREMIUM CONCERT 2023>の模様。左からデイヴィッド・フォスター、ASKA
── なるほど。ASKAさんはいつもこうして“運”を自分に引き寄せていくところが凄いなと思うんです。
ASKA:デイヴィッドとのコンサートに薫の出演をふと思いついて、彼女をゲストに呼んでいなかったら──。
── デイヴィッドと薫さんは出会ってないわけですから、そしたらこの作品もお蔵入りになっていたかもしれないですね。
ASKA:これも縁で、いい風が流れたよね。
▲<ASKA featuring DAVID FOSTER PREMIUM CONCERT 2023>の模様。左から宮﨑薫、デイヴィッド・フォスター
── では、そんな今作の内容に関して質問していきたいと思います。ライブ当日は、普段とは違う心意気でステージに上がられたんでしょうか。
ASKA:みんなには「やけにはしゃいでた」って言われたけど、僕はいつもの感じだったよ。でも、ミュージシャンである前に、僕はデイヴィッドのファンだから。自分の音楽というものを明確に変えてくれた人なので、その人が自分の楽曲を演奏してくれるという高揚感はありましたよね。
── 緊張感は?
ASKA:それはなかったかな。あの日は、3種類のお客さんたちが会場にいた。デイヴィッドによって今の自分の音楽が形成された、ってことを僕のお客さんはみんな知っていたから、そんなASKAがデイヴィッドと共演するなら観てみたいと思う人たち、純粋にデイヴィッド・フォスターを観たいというお客さんたち、さらに、僕の音楽をなんとなく聴きかじってて、ASKAとデイヴィッドが一緒にやるなら観てみたいという人たち。だから、別にアウェイではないけど、いつもとは違う空気だったね。
── 単独のワンマン公演と比べると。
ASKA:違う空気感だった。僕のお客さんたちも「ASKA嬉しいんだろうなぁ」ってみんなが思ってる。そんな空気感でした。
── 今作のライブ映像を改めて観て、ASKAさんが感じたことは?
ASKA:まず「PRIDE」かな。「PRIDE」ができたとき、アレンジャーの澤近(泰輔)には“シカゴ”、“デヴィッド・フォスター”という二言しか伝えなかったんだけど。そのときの僕はそんなふうに、デヴィッド・フォスターの世界を喜んでやってた。それを今度は、“本物”が弾いてくれた。デイヴィッドの世界で作りたかった楽曲にデイヴィッド本人が加わってくれた、という喜びはありましたね。ちょうどこの曲のキーがシカゴの「Hard to Say I’m Sorry」と同じキーだったから、デイヴィッドが2曲を繋げたね。
── 彼のアイデアだったのですね。「PRIDE」の中盤にあの曲を繋いで、さらにそこから「PRIDE」へ戻るという流れは、生で聴いてても鳥肌が立ちました。
ASKA:「また、演りましょう」って話はしてるんだけどね。演るとしたら、自分だけではなくていろんなシンガーを集めたい。日本版の『デイヴィッド・フォスター & フレンズ』を演ってみたいね。
── そうですね。デイヴィッドがステージに出てきて演奏に加わった瞬間、ASKAさんの楽曲が一瞬にしてエレガントに煌めきましたからね。
ASKA:常に世界を相手にしてきた人だから、とにかくエンターテイナーだよ。一瞬にしてお客さんをバンと掴むところは。だって、デイヴィッドが「Hi,Everyone」って出てきた瞬間、空気が変わったでしょ?
── ええ。
ASKA:今回の公演をきっかけに、自分もアジアだけじゃなく欧米でもコンサートを演ってみたいなって気持ちになった。実現に向けて動きたいなと思うようになったかな。
── そこは意識が変わったんですね。
ASKA:欧米はね、一度(CHAGE and ASKAの)「Something There」(1995年、ハリウッド映画『ストリートファイター』EDテーマ曲。さらに同年、「TIME」はハリウッド映画『ジャッジ・ドレッド』のEDテーマ曲にそれぞれ抜擢)で出ていった。でも、アメリカはやはり難しいですよ。向こうのシステムに乗らないと。今は、あの時のようなことはないでしょうが、決してオープンなスペースではなく感じましたね、ここでは言えない。だけど、ここにきて、ライブは演ってみたいなという気持ちになってます。向こうでASKAを知ってもらおうとか、今はそんなことは何も考えてないから、向こうにいる日本人に喜んでもらえればいい。それと、今って日本語で歌を聴くという文化が世界に広がってるから、「日本からASKAというシンガーが来る」となれば日本マニアの現地の人も喜ぶだろうし。そういう人たちが集まってくれればいいなっていう気持ちです。
── その変化はデイヴィッドの影響もありますか?
ASKA:あるだろうね。物事ってね、こうやって繋がっていくんですよ。
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