【インタビュー】ASKA「あのときの「PRIDE」と63歳の「PRIDE」は違うんだよ」

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ASKAが2021年10月15日(金)に、ニューシングル「PRIDE」をリリースする。

「PRIDE」、オリジナルはCHAGE and ASKAがデビュー10周年の1989年に発売したオリジナルアルバム『PRIDE』の表題曲だ。シングルにもなっていないのに圧倒的な人気を誇るこの曲を、ファンの理解も誤解も承知の上で、32年という時を超えてASKAがいまリメイク&ニューレコーディングしてこの世にシングルとしてリリースした意味とは。すべての事には理由がある。

◆ASKA 画像

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■人生は曲がりくねってるようだけど所詮1本の糸なんだ

──本来なら現在ASKAさんは<ASKA premium concert tour-higher ground-アンコール公演>のツアー中だったわけですけど、こちらのツアーがすべて延期となり、2022年1月からのスタートになりました。

ASKA:これはもう仕方ないよね。名古屋のフェス(8月に開催された<NAMIMONOGATARI 2021>)でいろいろあったでしょ? この状況で開催したらイベンターが世の反論を浴びちゃうってことで怖がっちゃってね。「これはもうしょうがない」、「分かった」ということで、今回は延期しました。普通なら「いやいや、やるよ」っていうんだけど、彼らもいっぱいアーティストを抱えてるから。俺だけ続行したらいろんなところに迷惑がかかるから、今回は受け入れるしかなかった。それが延期した1番の理由。

▲撮影:㈱フォトスタジオアライ 新井秀幸(JPS)

──そうだったんですね。そうして、新たなツアー日程もすでに発表されていて。

ASKA:俺は延期するんだったら来年の2月〜4月からだなと思ってたの。でも、それだとホールもメンバーももう押さえられなくて。オリンピック後、みんな土日で会場を押さえてライブをやりたいわけじゃない? 全部埋まっちゃってて。そんななか、1月からのスケジュールを出してくれたのはありがたいですよね。

──しかも、新しいスケジュールではASKAさんの誕生日当日となる2月24日に東京ガーデンシアターでの公演が入ってました。

ASKA:僕はずっと誕生日はやらないって言ってきたの。だって、誕生日にライブをやると全国からみなさんが来てくれるでしょ? 当時はダフ屋、いまは転売屋だけど、誕生日にライブをやるとチケットのことでお客さんがとんでもなく大変な思いをするから、誕生日はやらないって決めてたんですよ。過去に1度だけどうしてもそこでやらなきゃいけないときがあって(※<ASKA Concert Tour 05>>06 My Game is ASKA>)、札幌(旧北海道厚生年金会館)でやったけど。それを憶えてるぐらい誕生日は避けてきたの。今回は、最初(延期になった)ツアーのファイナルとしてガーデンシアターを押さえてたのね? ファイナルをみんなで楽しくお祭りで飾るんであれば24日でもいいかなと思ってたの。でも、新しいスケジュールはファイナルではないところなので、当日はなにもなく普通に。

──誕生日だけれども。

ASKA:バンドメンバーには「絶対にサプライズはなし」と言います。そうしないと、誕生日にライブをやらないと決めてきたルールが崩れるから。

──ASKAさんがガーデンシアターでやるのは今回初ですよね?

ASKA:そうだね。ここで玉置(浩二)がやったときに観に行ったんだけど。まあ素晴らしいところだね。武道館はイベント会場としては素晴らしい。距離も近くて。ガーデンシアターも多目的だけど、ちゃんと音楽ホールの体をなした椅子の並びになってて。どうなるか楽しみですね。

──ここからはシングル「PRIDE」についてお伺いしていきたいと思います。この曲をASKA名義でシングル化すると発表したとき、周りの反響はどうだったんですか?

ASKA:僕に届く声は9割以上は喜んでくれてたかな。反対する人たちは毎回何をやってもそうだから。今回は経緯があって。亀田興毅とのことで。

──この「PRIDE」がテーマ曲となったYouTube番組『会長。亀田興毅〜亀の恩返し〜』第10話「誇り」の回にはASKAさんも出演して、今回のリリースの経緯について話されていましたね。亀田さんに多額の使用料を払わせるのは申し訳ないから、自分が権利を持って新しく「PRIDE」を録るからそれを使いなよ、と。ASKAさんのその男気がカッコよすぎてしびれました。

ASKA:いやいや。だって僕は興毅と出会ってなかったら剣道も再開してないしさ。60歳になって40年もブランクあいた剣道をもう1度やろうと思う? 普通に考えたら無理よ。だけど、僕は興毅の復帰試合を観たくて、それを促す気持ちもあったんだけど。それ以上に自分の決心として独り言のように「興毅がもう試合をやらないという気持ちは分かった。俺は40年ぶりに剣道再開して4段とって、どんな大会でもいいから日本一になるわ」というのをポロッといったら、興毅が黙っちゃったんだよね。それで「俺も1回ぶっ飛ばしとかなきゃいけない相手がいるんで」っていいだして。それがポンサクレック(・ウォンジョンカム)なんだけど。あれだけ頑なに復帰しないといってた興毅が復帰を決断するとは思わなかったから、そこでがっちり握手を交わして別れたんだけど。それが12月26日だったから、僕は元旦から剣道の稽古を始めたわけ。だから、僕は興毅には本当に感謝してるの。

──人との出会いは本当に予想外のことを自分に引き起こしますよね。

ASKA:この人と出会わなかったらあの人とは出会わなかったし、あの人と出会ったからこういうことが起こったし。いいことでも悪いことでも、それが起こったことでまた誰かと出会ってとか。それをずっと突き詰めていくと物心までたどり着くから。書き起こしてみたら分かるよ。人生は曲がりくねってるようだけど所詮1本の糸なんだ。ポール・マッカートニーは「The Long And Winding Road」を作ったでしょ? シェリル・クロウも「Everyday is a Winding Road」って歌ってたでしょ? 様々なことが引っ張ったら全部1本の道につながっている。興毅とも、その前に僕が事件を起こしてなかったら出会ってないわけだから。よくないことだけれども、あれは起こるべくして起こったっていまは考えて。すべてをそういう風にとらえていくと、全部がつながっていくんだよ。

──自分に起きていく出来事は。

ASKA:そう。だってさ、あのときの俺を見て面白いと思ってくれたABEMAがいなかったら、ABEMAの理念がなかったら、ABEMAの社長と興毅が仲良くなかったら、そのABEMAが番組(2017年放送『逆指名インタビュー』初回ゲスト)で僕に声をかけてくれなかったら、そのときに俺がネットというものが今後TVと同じように台頭してくるという気持ちになっていなかったらって。そこでの対談相手に亀田興毅を選ばなかったら、今回の「PRIDE」のリリースもなかったわけだから。

──ああ、そうか。こういう背景が1本の糸につながっていって、今回の「PRIDE」リリースを引き起こしていったと。

ASKA:うん。

──あの映像のなかでASKAさんがピンクのTシャツ着てたのもよかったんですけど(微笑)。

ASKA:普段は着てるんだよ。人前に現れないだけで。

──聞きたかったのは「PRIDE」の仮歌をレコーディングしているシーンのことなんです。

ASKA:あのときは声がボロボロだったんだよね。それでも気持ちを込めて僕が歌うことで、メンバーがしっかり演奏してくれるから。

──ASKAさんはいつも仮歌も感情込めて、ああいう風に歌ってるんですか?

ASKA:あのね、世間知らずの大学生だった僕は“仮歌”という言葉さえ知らなかったわけ。東京に出てきて「仮歌歌ってごらん」って言われたとき。スタジオには錚々たるミュージシャンたちがレコーディングメンバーとして待機していて。そのときは仮歌の意味も分からないから、僕らはそこで本気で歌ったわけ。そうしたらミュージシャンたちが「こんなに歌えるのか」、「すごくよかった」とみんながいってくれて。これが普通なんだろうなと思ってたら、アレンジャーの瀬尾(一三/CHAGE and ASKA、中島みゆき、長渕剛などの作品で知られる名プロデューサー)さんが「あんたらが本気で歌ったからこうなったんだよ」と言ってくれたんですよ。デビュー当時、その一発目で仮歌の大切さを知った。世間知らずのいいところがでたよね。

──うぉー、いいお話ですね。

ASKA:これ初めて話したわ(笑)。今でも仮歌を適当に歌うとか人に任せるようなことは絶対にやらない。

──どんなに喉の調子が悪くても?

ASKA:うん。これまでずっとそうしてきた。

▲撮影:㈱フォトスタジオアライ 新井秀幸(JPS)

──では今回「PRIDE」をリメイクして新録するにあたって、ASKAさんがもっともこだわった部分とは?

ASKA:ピアノのイントロ、あの始まりを崩さないこと。あのメロディーはいまや「PRIDE」の歌詞だから。あのピアノが鳴った瞬間にお客さんが沸き立つんだもん。それだけイントロが楽曲の一部になってるってことだから、そこは絶対に無くしちゃいけないと思った。それともう1つは、いくら同じ演奏だからといっても、当時とは機材はまるで違うわけで。なにもかもがいまの優れたものによって生まれ変わるわけでしょ? メンバーも演奏しなれてるわけ。歌もそう。だから32年ぶりに歌った意味はものすごくあったこと、その成長を伝えること。レコーディングするにあたって、イントロの関してはちょっとだけ変えたの。あのピアノをさらに待たせるたようと思って、ホーンセクションを付けた。今回はホーンから入るの。「あれ? 違う」と思わせておいてピアノのイントロが始まるという。

──思わせぶりなホーン(微笑)。

ASKA:“と、思わせといて”っていうのは、よく使う手。演出だよね。僕は人を喜ばせるためだったらエレベーターの前で倒れたフリもするから。

──そんなことしてるんですか?

ASKA:うん、してる。インターホンがピンポーンって鳴って、スタッフがエレベータで上がってきてドアを開けたら僕が倒れてるとか。

(スタッフ:本当なんです)

ASKA:しょっちゅうやってるもんな?

(スタッフ:僕以外誰もいないのに)

ASKA:確かに。お前を笑わすためだけに。でも、それも最終的には自分の喜びだから。

──そんなASKAさんが、先日ブログを通して、僕はファンのために音楽やってるわけじゃないと強い発言をしてらっしゃいました。この言葉にはどんな意味が込められていたのか、改めて教えてもらえますか?

ASKA:応援してくれる人というのはものすごくありがたい。この人たちがいるから活動できてる。それは当たり前。この人たちに喜んでもらいたい。それも当たり前。喜んでもらうというのは、最終的には自分の喜びになるからね。「これをやってください」っていう要求はいいんだけど、僕はあくまでも自分の音楽を追求してるんであって、押し付けになるような要求は受け入れないってことをあそこでは言いたかった。CHAGE and ASKAがどうのこうのっていってる人がいたから、ファンのために俺はCHAGE and ASKAをやってるわけじゃない、音楽をやってるわけじゃないよと言ったの。

──「PRIDE」リリースがCHAGE and ASKAファンに賛否両論を巻き起こすことは…。

ASKA:このリリースを決めたときに、どういうことになるかは分かってたもん。

──それを背負う覚悟で、俺はこれを出すんだと。

ASKA:それは背負うというよりも、興毅への感謝。興毅が会長になって。それで始める番組のテーマ曲に「PRIDE」を使いたいといってくれた。「PRIDE」が生まれたとき、興毅はまだ2歳ぐらいなんだよ? その間「PRIDE」という楽曲が埋もれずに残ってきたことの喜び。埋もれなかったからそれを興毅が発見してくれたんだから。その興毅の気持ちに答えずしてどうするの。もちろん分かるよ。CHAGE and ASKAの「PRIDE」がっていう気持ちも。もちろんそんなの分かってるけど、あのときの「PRIDE」と63歳の「PRIDE」はまた違うんだよってことですよ。

──そこを一番伝えたいですよね。

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