【スペシャル対談】日山豪×shuntaro 「BORDERLESSー“音”と“映像”で越境するー」
音楽家/サウンドデザイナー/DJとして活動する日山豪と、フォトグラファーであり写真・映像制作会社bird and insectの代表を務めるshuntaroが、「音」と「映像」の関係性を改めて考え直すという対談を行なった。この二人は神奈川県横浜市近郊の金属加工会社が、各社の技術を組み合わせた物づくりを行うブランド「YMV」(https://www.y-m-v.jp/)のイメージムービー制作をはじめ、これまでにさまざまな形で作品を生み出してきた。「音」をつくる日山、「映像」を生み出すshuntaroの対話から見えてきたのは、多様化で広がり続ける表現の可能性とクライアントワークスを越えた仕事のスタンスだった……。
■改めて考えたい「音」と「映像」
■それぞれに起こる変化
日山:今、本当に「コトづくり」がたくさんあって、そこに飽和感がどうしても感じられます。「すべてのサービスがコモディティ化(編注:高付加価値を持っていた商品の市場価値が低下し、一般的な商品になること)する」というコラムも出てきましたし……そういった状況の中で自分に何ができるか考えたときに、「音楽」という「曲」として完成されたような単位ではなく、「音」という身近で最小の単位の視点を持つことで新たな価値を発見できる、生み出すことができると気づき、可能性を感じています。
音楽という単位だと、ライブ、レコードやCD、データ販売、有線放送やストリーミングサービスのような音楽配信などのビジネスとして世の中に存在している場合がほとんどです。一方で、「音」がひとつ聴こえただけで感情って動くと思っていて。どこからか聴こえる水の音であったり、小気味よい操作音であったり。音という視点から音群、そして音楽も、と考えていくと、さらに深く生活や人と関わっていると感じるんです。その視点に気づくと、もっと表現の場を広げることができる。
福祉の現場など、一見音楽とは距離のあるように感じる分野でも、「音」という単位でつながることができた経験があって。端的に自己紹介するときは「自分は音の人です」ということもあります(笑)。そうすることで、「音楽制作する人」という意識がなくなって、相手は「自分にとっての音」を考え、話してくれて、そこから関係性が広がり、場合によってはお仕事に発展することがあります。こうやって、さらにいろんな分野の方とつながることが可能になっていく世の中の流れにはワクワクしますね。
▲shuntaro 1985年、東京生まれ。京都工芸繊維大学で建築・デザインを学び、広告系制作会社を経てフリーランスへ。2013年、University for the Creative Arts で写真の修士号を取得。その後、bird and insectを立ち上げ、代表取締役を務める。2017年には、日本のファッション写真史の研究で博士号も取得した。
shuntaro:なるほど。それを写真や映像で考えると、このふたつにかかる表現である、“インスタレーション”が増えているということと似ているのかな。僕がイギリスに留学していた2012年ごろには多くの卒業制作や写真の展示でインスタレーションとしての見せ方が増えていました。彫刻に写真を使うとか、実際に印刷したプリントの紙で立体物をつくるとか。映像表現で言うと、プロジェクションマッピングですかね。このような手法を使ったアートは、従来の映像表現とも、もちろん重なっている部分はあるけれど、芯の部分はまた違うように感じます。表現がボーダレスになってきている。他分野からの越境とでも言うんでしょうか。
日山:そういう「(映像、写真、音楽など)従来のカテゴリーに属している表現」と「(インスタレーション、環境音など)隣合わせで存在してた表現」がぼやけて混ざってきているように僕も感じます。「こうだ」というはっきりとした表現もあるけれど、一方で新しい技術や表現方法が出てきていて、立体物に投射するみたいな、表現が混ざり合ったものもありますよね。色に例えるなら単色である青と黄色が混じって、緑に滲んできているような。
音でもこの考え方は大切です。音楽という単位にするとパキっとした色になるけれど、それを音という最小の単位にすると、いろんな職種の人と混じることができるんです。そうすることで、それぞれの目的を達成することができることがある。僕にはそれが最近面白いですね。「線を引かない」「線を越える」そして「混ざる」。それが、これからの表現における可能性の幅を広げてくれると考えています。
shuntaro:おっしゃる通りです。それと、プロジェクションマッピングのように、それまでの映像のボーダーを越えてくる表現が出てきたからこそ、従来の映像のあり方が逆に見直されてきました。映画など、今まで普通に鑑賞してきた映像からも「これって、すごいんだな!」という気づきをより強く感じる機会が増えたように思います。そういう意味では、「映像」と呼ばれる領域を定義しているラインが外に向かって広がることによって、従来の「映像」の「中心にあった表現」に、より強度と純度が生まれる動きがあり、外と内、両方への相乗効果が生まれていると思っています。だからこそ面白いし、どちらの表現も大事にすべきだと思いますね。
日山:どちらかがおかしい、悪いということはないですよね。この広がりはイメージで言うと、振り子の一方にテクノロジー/技術の進歩、もう一方にアート/デザインなどの表現があって、振り子のようにどんどん振幅が大きくなっていくイメージと言い換えることができると思います。その状況が、すごく面白いですよね。
デザイナー思考のプロセスを抽象化した「デザインシンキング」という考え方がありますが、そのような他分野の思考法を自分の分野に活用してみることが、音楽や映像に限らず、一見専門性が高いと判断されがちな分野において重要な姿勢ではないでしょうか。デザインシンキングにせよ、これから出てくるかもしれない新たな制作プロセスにせよ、そういった思考をデザイナーでない人間、つまり僕は音楽で、shuntaro君は映像で異分野に織り交ぜて考え、アウトプットするという共通している部分で話が合うからこそ、お互いに楽しみながら仕事ができていると思います。
■混ざり合う、クライアントワークスと
■プライベートワークス
shuntaro:表現もそうですが、仕事のスタンスにも広がりを感じます。Web動画が普及する前は、クライアントワークスは決まった型が多かったと思うんです。例えばテレビCMとかPR用DVDなど、メディアや使用用途が限定されていました。それが近年、動画の使用可能性が広がったことによって、クラアントワークス自体の幅がすごく広がりました。そのことによって、動画も越境してきたな、という感覚があります。
こういった動きの上では、プライベートワークスがクライアントワークスに与える影響が大きいと考えています。「キチンとした切り口やコンセプトを持って、音と映像をつくっていきましょう」という仕事って、クライアントのために作っていながらも、同時に自分たち発信な部分がすごくあるというか。PR動画などにもMVの制作のように、自分たちの良いと思う表現を盛り込んだ方法を持ってきて仕事ができるようになりました。クライアントワークスとプライベートワークスの垣根を越え、表現や仕事の仕方が地続きになってきているように感じます。
▲日山豪(Go Hiyama) 音楽家、サウンドデザイナー、DJ。大学では建築を専攻。在学中から活動を開始し、これまでにスペイン・オランダ・イギリス・ドイツ・シンガポール・韓国など10カ国で出演。2009年にはオランダ最大級のフェスティバル<AWAKENINGS>で日本代表として選出される。2013年は世界最高峰と称されるベルリンのクラブBerghainに、翌年、2014年には名門クラブTresorでの出演も経験。現在、その音楽性を拡大させechoesbreathを設立。空間音楽、プロダクト、サウンドロゴなど、多分野においてサウンドデザインに携わる。さらにサウンドアート作品による「音を鳴らすということ」やデザインに特化した音の展示会「見えない展示」の主催、東京藝術大学ゲスト講師など、音を多角的な視点から捉えた活動も行っている。
日山:確かに「YMV」さんの案件(下記動画参照)は、クライアントワークスの領域を越境していたように思いますね。「こうしなきゃ」や「この型にはめなきゃ」という作業的なものではなく、むしろ本当に好きな音を奏でさせてもらいました。それはもちろん、ただオリジナルで作ったわけでは決してなく、「ミラノサローネという場で、映像と共に伝える」という目的があって、目的達成のために尺があったり、構成がありました。そんな、いい意味での制約条件があったことも、僕の音づくりに活きてきましたね。そこにクライアントワークスとプライベートワークスの線引きはなかったと思います。
線引きを越えるという意味で言うと、これは空間にも言えて、お店のBGMと言えば、一曲一曲の組み合わせでプレイリストをつくると考えがちですが、僕はそれを全部オリジナルの曲でつくっています。その空間を最高にすることを最優先で考えれば、「一曲」の概念もなくなって、結果、世間的な一曲の単位としてはすごく長い作品ができたり。「こうじゃなきゃ」をとりあえず置いておいて、「そこで自分は何ができるか」、「どういうクリエイティブで目的を達成するのか」を考える。そのシンプルでコアな部分さえ持っておけば、クライアントワークス上でもオリジナル作品と言っていいのではないかと思います。
shuntaro:例えば映画って、ビジネスでありながらアートでもあって、個人のワークスでもありながら社会的側面もすごく強い。だからこそ動画に携わる多くの人が憧れたわけだけど、それが今日ではネットやスマホによってビジネスでありながらプライベートであることは、すごく身近になりました。表現の可能性というものを制作サイドも発注サイドもビジネスに活かせば、より面白いものが増えてくるはず。そうすることで、表現のレベルも上がっていくし、動画を使ったマーケティングやブランディングとしての成功率も上がるわけで、これが、みんなが幸せになれる道なのではないかなと思います。
◆対談(2)