ポール・マッカートニー、ジミ・ヘンドリックス&マイルス・デイヴィスとのレコーディングを実現できず
1960年代後半、ジミ・ヘンドリックスとマイルス・デイヴィスが一緒にレコーディングしようと計画していたことはよく知られているが、彼らはそこにポール・マッカートニーも誘っていたという。
◆ポール・マッカートニー画像
彼らが1969年10月21日、マッカートニー宛てにロンドンのApple Recordsへ送った電報が現在、チェコ、プラハにあるHard Rock Cafeに展示されているそうだ。そこには「俺たち今週末、ニューヨークで一緒にLPをレコーディングする。ベースをプレイしに来ないか? 212-5812212 アラン・ダグラスまで電話してくれ。ピース。ジミ・ヘンドリックス マイルス・デイヴィス トニー・ウィリアムス」とある。
この内容から、ヘンドリックスとデイヴィスはアラン・ダグラスをプロデューサーに、マッカートニー、ジャズ・ドラマーのトニー・ウィリアムスを迎えレコーディングしようとしていたことが窺える。
これを受け取ったザ・ビートルズのスタッフ、ピーター・ブラウンは翌日、「ポール・マッカートニーは休暇中でロンドンを離れており、2週間戻らない」と、返事をしたそうだ。マッカートニーは当時、スコットランドに滞在中だったが、ブラウンが実際、マッカートニーと連絡を取りこのことを知らせたのか、それとも休暇中ということで気を遣い独断で返答したのかは不明。
ヘンドリックスが翌年亡くなってしまったため、結局、このラインナップでのレコーディングは実現しなかった。
Ako Suzuki, London
◆ポール・マッカートニー画像
彼らが1969年10月21日、マッカートニー宛てにロンドンのApple Recordsへ送った電報が現在、チェコ、プラハにあるHard Rock Cafeに展示されているそうだ。そこには「俺たち今週末、ニューヨークで一緒にLPをレコーディングする。ベースをプレイしに来ないか? 212-5812212 アラン・ダグラスまで電話してくれ。ピース。ジミ・ヘンドリックス マイルス・デイヴィス トニー・ウィリアムス」とある。
この内容から、ヘンドリックスとデイヴィスはアラン・ダグラスをプロデューサーに、マッカートニー、ジャズ・ドラマーのトニー・ウィリアムスを迎えレコーディングしようとしていたことが窺える。
これを受け取ったザ・ビートルズのスタッフ、ピーター・ブラウンは翌日、「ポール・マッカートニーは休暇中でロンドンを離れており、2週間戻らない」と、返事をしたそうだ。マッカートニーは当時、スコットランドに滞在中だったが、ブラウンが実際、マッカートニーと連絡を取りこのことを知らせたのか、それとも休暇中ということで気を遣い独断で返答したのかは不明。
ヘンドリックスが翌年亡くなってしまったため、結局、このラインナップでのレコーディングは実現しなかった。
Ako Suzuki, London
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