十数年を経た今こそ真価を発揮する<RAP MANIA>の真摯なメッセージ
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十数年を経た今こそ真価を発揮する<RAP MANIA>の真摯なメッセージ
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| 期間限定で各アーティストのダイジェスト映像も公開!(11/15~12/14) |
もう何年も前に、友人が1本のビデオ・テープを興奮気味に持ってきたことがあった。そのビデオの画質は劣悪と言ってもいいぐらいだったけれど、そんなことがどうでもよくなるほどに、目の前に飛び込んできた映像は衝撃的だった。そこには、まだ極端に情報量が少なかった’90年代前半当時、どれだけ欲しても叶わなかった光景が、これでもかとばかりに詰め込まれていたのである――1990年3月9日、N.Y.はハーレムに位置する黒人音楽の殿堂アポロ・シアターを拠点に、L.A.のハリウッド・パレスとの二ヶ所同時で開催されたヒップホップ・イベント<RAP MANIA>。まさかこうしてDVDという形で再会できる日がこようとは思ってもいなかったし、この快挙を感慨深く思う昔ながらのファンも少なくないだろう。 ファンキー・フォーやダギー・フレッシュのマネージャーとしても知られ、地元ブロンクスにおいてプロモーターとしても活動していたヴァン・シルクの発案による<RAP MANIA>は、ヒップホップの生誕15周年を祝して催されたものだが、その1990年という年はヒップホップを取り巻く環境に大きな変化が訪れた時期であった。 1990年といえば、MCハマーの『Please Hammer Don’t Hurt ‘Em』やヴァニラ・アイスの『To The Extreme』がリリースされた年であり、それまでアンダーグラウンド・カルチャーに留まっていたヒップホップが一気にメインストリームへと躍り出る契機となった年である。つまり、現在の一大ドル箱産業へと成り上がっていく萌芽が顔をのぞかせたのは正にこの1990年になるわけだが、ハマーやヴァニラ・アイスの標榜するヒップホップにその本質的な魅力が打ち出されていたかどうかはともかくとして、世間一般のヒップホップに対する見方に多大な影響を及ぼしたことは事実だろう。それでも、まだ連帯意識が強かった当時のヒップホップ・シーンには、露骨にポピュラライズされたラッパーを“sell out(身売り)”と称して浄化する傾向があったし、<RAP MANIA>というイベントにしても、そういった状況に危機感を覚え、ヒップホップの本来的な魅力について再考を促すことを目的として企画された印象が強い。そもそもオールド・スクール回帰が声高に叫ばれたのはヒップホップの歴史においてこれが初めての機会であったろうし、随所に挟み込まれたアフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュといったパイオニアたちの発言から並々ならぬ重みが汲み取れるのは、その背景にある問題意識の表われなのだろう。 それでも、数々のライヴ・パフォーマンスを目の当たりにすると、この時期はまだまだヒップホップがイノセントな体裁を保っていたことを痛感させられるし、イベント自体が掲げる主義主張とは別に、そんな幸福な瞬間を存分に楽しんでおくことを優先させるべきなのかもしれない。なんといっても、ビデオ・クリップなどはともかくとして、1990年前後のヒップホップ・シーンをこういった形で捉えた映像作品は本当に数少ないし、その音楽性からファッションやダンス・スタイルまで、当時シーンを席巻していたニュー・ジャック・スウィングの凄まじい影響力を再確認するのも一興だろう。 そして、その余波を受けていたのは、あのRun-D.M.C.にしても例外ではない。トレンドのサウンドに横目をやった『Back From Hell』からの「Pause」のパフォーマンスは実に貴重であり、途中ラップも披露するジャム・マスター・ジェイの勇姿には胸を熱くするものがあるはずだ――この<RAP MANIA>が開催された翌年にはN.W.Aの『Efil4zaggin』がリリースされるわけだが、フィクションにすぎなかったギャングスタ・ラップに本物の暴力を持ち込んだ彼らの成功は、後のヒップホップに行き過ぎたギャングスタイズムをもたらし、このカルチャーの在り方を根底から覆すことになる。昨年の2002年、凶弾に倒れたジェイの死は、そんな迷走したヒップホップが払わされた余りに高すぎる代償だったが、そうやって考えていくと、<RAP MANIA>が内包する真摯なメッセージは、あれから十数年を経た今こそ真価を発揮するのかもしれない。 文●高橋芳朗
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