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ワールドカップ(以下W杯)の生みの親、フランス人のジュール・リメ、アンリー・ドロネーにより、記念すべき第1回W杯がウルグアイで開催されてから約70年。W杯は多くのスーパースターを輩出し、世界中の人々を熱狂させ、多くのドラマと感動を与えてきた。そしてその人気は、単なるサッカー大会、あるいはスポーツイベントに留まらないほどの影響力をもち、国際的、文化的、社会的の発展にも大きく貢献してきた。
そのW杯がいよいよ日本と韓国で開催される。日本がFIFAへW杯開催地として立候補してから13年、FIFAによる日韓共催の決定から6年。長い歳月をかけて準備してきた夢舞台がいよいよ目前に迫ってきたのだ。以前なら眠い目をこすりながら、真夜中にテレビ観戦せざるをえなかったものが、時差なしで、しかも間近で見られる感慨は言葉では表わせないほどの感動である。出場国が決まり、対戦相手が確定し、そして代表選手の発表され、と徐々に大会開催の緊張感が高まる中、いよいよ待ったなしの状況に突入した。
あとは5月31日韓国で行なわれる開会式とオープニング・ゲームとなる<フランス対セネガル>のホイッスルを待つばかりだ。過去16回開催された大会中、開催国が優勝したケースが6回ある。是非とも日本代表の健闘を祈りたいところだ。
ジョン・レノンが’74年にリリースしたアルバム『心の壁 愛の橋』のジャケットに描かれていたサッカーをする少年たちの姿(ジョンが幼少時に描いた水彩画をそのまま使用)。ビートルズ後期の「ディグ・イット」という曲の中で登場したマンチェスター・ユナイテッドの名監督マット・バズビー。ビートルズから、UKロックに興味をもった者がUKロックとサッカーの密接な結びつきを知るのは、いわば自然の流れであったといえるだろう。その後もポール・マッカートニーが「カミング・アップ」のライヴヴァージョンでかつてのリバプールFCの名選手ケニー・ダルグリッシュの名前を叫んでいるなど、ビートルズを知れば知るほど、サッカーの存在が浮き彫りになってくるのだ。
さらには、’80年代後半から始まったマンチェスター・ムーヴメントにおけるマンチェスター・ユナイテッドの存在、’90年W杯の応援歌を手掛けたニュー・オーダー、ブリットポップ期のオアシスやブラーにみるサッカーユニフォームの着こなしなど、’90年代に入るとさらに顕著に浮かび上がってきた。
そして、その象徴的な例として挙げられるのが、’96年の欧州選手権(以下「ユーロ96」)時にリリースされた応援歌「3ライオンズ」(ライトニング・シーズ)になる。「フットボールが母国に帰って来た」をテーマにした同曲は「ユーロ96」の開催を祝福するだけでなく、低迷するイングランド・フットボールに喝を入れるようなナンバーで、すぐさまイングランド国民の愛国心をわしづかみにしてしまった。もちろんチャート1位を獲得。その素晴らしい応援歌に応えるように代表チームは、「ユーロ96」でもベスト4入りを果たし、国際大会では久しぶりに好成績を残した。それを契機として、イングランドは再び表舞台に返り咲くことになったのだ。
昨今のプレミア・リーグ(イングランドのプロサッカーリーグ)人気は「ユーロ96」が大きなきっかけになっているのはいうまでもない。低迷するイングランド・サッカーを1曲の応援歌でもって活性化してしまった背景には、サッカーと音楽が密接な関係をもっているイングランドという土地柄が大きい。たとえばクラブチームには必ず名物サポーターズ・ソングがあり、スタジアムではその曲の大合唱が起こる。CDショップに行けば、フットボールのコーナーにそれをまとめたアルバムが容易に見つけることができる。相反すると思われる“体育”と“文化”が有機的な関係をもっているのだ。しかもそれらは作為なものではなく、自然に世に出たものがほとんどである。
イングランドを顕著な例としても、世界中いたるところで、サッカー文化が根づいているところには優れたサッカー・ソングが存在している。サポーターはサッカー・ソングと一体になってサッカー文化を支え、後押しをしている。プレイ自体のレベルアップは大切なことで、サポートチームが強くないと楽しくないのはもちろんだが、プレイ以外の楽しみ、それこそがサッカー文化の発展であり、サッカーの認知度拡大を推進するのだ。サッカー文化の定着しているところに優れたサッカー・ソングが存在しているというのなら、日本でも是非、サポーターが皆で楽しめるサッカーが生まれて欲しいものだ。
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