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1996年5月に、フロントマンでありバンドの骨格をも形作っているキーマン・降谷建志、彼の同級生でもある桜井誠(Dr)とオーディションで選ばれた馬場育三(B)らの3人でDragon Ashを結成。同年8月に初ライヴを川崎のCLUB CITTAで行なったのち、東京都内や横浜などで月1~2回のペースでライヴを展開するようになる。

1997年2月、ミニアルバム『The Day dragged on』でデビュー。2ヶ月後には、早くも2作目のミニアルバム『PUBLIC GARDEN』をリリース。この年にはをはじめ数々のイベントに出演。翌1998年にはさらに多くのライヴの合間をぬって、5月に1stマキシシングル「陽はまたのぼり くりかえす」、7月に「Under Age's Song」と2枚のマキシ・シングルを立て続けに発表し、9月に2作目のフルアルバム『Buzz Songs』をリリース。

1999年5月、5thマキシシングル「Grateful Days」をリリース。セールスも知名度も飛躍的に上昇し、世間への影響力も増すことになった。そして7月に発売された3rdアルバム『Viva la Revolution』では、“Dragon Ashはヒップホップなのか?”というラップ論争まで巻き起こるほど音楽シーンで常に注目を集める。9月17・18日には、Dragon Ash 企画・主催のイベントの記念すべき第一回目が行なわれた。

2000年3月、マキシシングル「Deep Impact」リリース。1999年にターンテーブリストのBOTSが正式加入したことでDragon Ashのヒップホップ・サイドは強化され、その上、日本のリアル・アンダーグラウンド・ヒップホップの代表格、ラッパ我リヤをフィーチャー。ここで彼らは、前出の“ラップ論争”に対する解答ともとれる、珠玉のハードコア・ヒップホップをやってのけた。3月19日からは、第二回目となるをPENPALS、ラッパ我リヤ、スケボーキング、RIP Slyme、Missile Girl Scootら(大阪のみ宇頭巻も出演)とともに全国6都市で全14公演行ない、各地で熱い波を起こした。

2002年の幕開けとともにシングル「Life goes on」をリリース。キャッチーなメロディでファン層をさらに広げる。3月にリリースされたシングル「Fantasista」が、FIFAW杯「コリア・ジャパン」公式アルバムに収録。2003年6月にシングル「morrow」をリリース後、7月に5thアルバム『HARVEST』を発表。2004年7月に約1年振りとなるシングル「Shade」をリリース。その後しばらく活動のペースを落とすが、2005年6月には、斬新なメロディの新曲「crush the window」を発表し、再び日本の音楽シーンに衝撃を与える。

シングル・アルバムを発表し続け、2007年9月にDragon Ashデビュー10周年を形にしたバンド初のベスト・アルバムを2枚同時発売。2009年8月には、バンド初の試みとして、配信限定シングル「CALLIN'」を<ROCK IN JAPAN FESTIVAL>会場内で先行配信した。

2012年4月21日、IKUZONEが急性心不全のため死去。8月、デビュー15周年を記念したベストアルバム『LOUD & PEACE』を発売。翌月、IKUZONEが最後に携わった24thシングル「Run to the Sun/Walk with Dreams」を発売した。2013年5月、6人体制でのレコーディング以降初のシングルとなる25thシングル「Here I Am」を発売。2014年1月、10thアルバム『THE FACES』を発売。5月には"Dragon Ash Tour ~THE SHOW MUST GO ON~" のファイナル公演を、キャリア初となる日本武道館で開催した。

2015年3月16日、Kjがソロ活動を開始。

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