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「素晴らしい!これぞロックンロールのキングだ!」
エアロスミスのライヴはここ10年以上にも渡り何度も体験している。その肉体的なパワーがズバ抜けているのも、音楽的バリエーションが豊富なのも分かっているし、それ故に時代を超えてロック界の頂点に君臨し続けているのもよく分かっている。しかし、それでも僕にとっては、ここ5年くらいの彼らにはどうしても疑問符がついてまわっていた。アルバムはバラエティ・パックのような“何でもあります”状態のマーケティングがミエミエの内容で、ライヴの方もここ最近のマストなヒット曲に縛られて、彼らのかつての代表曲がほとんど演奏されずじまい。
そりゃ、10年ひと昔前の革パン・革ジャンのバッドボーイ気取りの兄ちゃんたちが独占していた頃のエアロに対しても「そういう人たちのものだけじゃないでしょ、エアロは」と思ってはいたけれど、こうも「大衆ロックスターの代表」としてポップでかつパターン化された曲ばかりを器用にこなすエアロにはもっと違和感を覚えていたのだった。
ただ、最新作『ジャスト・プッシュ・プレイ』は久方ぶりにそうしたいろんなリスナーの顔色を伺わずに作った一本筋の通ったアルバムだったので、「今回はもしかして良いかも…」と期待して臨んだが、結果はそれ以上だった。
オープニングは最新作冒頭の「ビヨンド・ビューティフル」、それに続いて「ラヴ・イン・ア・エレヴェイター」と続いたときは、「今回もここ最近と同じで近年のヒットメドレーかな…」と思っていたら、そうではなかった。
2ndアルバム『ゲット・ユア・ウィングス』の「セイム・オールド・ソング・アンド・ダンス」はやるわ、’70年代の名作『ロックス』から3曲もやるわ、しばらく封印していた名曲「ドロー・ザ・ライン」を’80年代低迷期の隠れた名曲「熱く語れ!」とメドレー形式でやるわ…そしてそして、これがエアロ・ファンには特に強烈だったのが、’79年の幻の名曲「ノー・サプライズ」を披露したことだった。この曲は、スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが仲違いの末に作られ失敗作に終わったアルバム『ナイト・イン・ザ・ラッツ』からのナンバー。こうした縁起の悪い事情もあり、この曲は優れた曲ながらライヴでまず披露された試しがなかったのだが、この期に及んで披露してくれるとは。エアロ・ファン歴の長い方ならきっとここで涙したことだろう。
こんな調子でこの日のエアロは’70年代のナンバーを計12曲も披露。いわゆる人気復活作となった『パーマネント・ヴァケーション』以降の曲は驚くほど少ない。前作『ナイン・ライヴス』や前々作の『ゲット・ア・グリップ』といった、ここ最近のエアロ・ファンを形成したアルバムからは1曲ずつしか演奏していない。これでは最近のファンは物足りないかもしれないが、この日のエアロにはそんなことを言わせない文句なしのカッコ良さがあった。
スティーヴンは、53歳とはとても思えない激烈に伸びる咆哮をトレードマークのマイク・スタンドを振り回しながら轟かせ、本来上手い下手を超えてフィーリングで聴かせるタイプのジョー・ペリーも、この日はプレイが特に冴え渡り絶好調のギター・ソロを披露。他の3人のメンバーも、スティーヴンに煽られる形でタイトな演奏をビッシリとキメる。
そうしたメンバーのテンションの高さもさることながら、やはりこの日の最高の聴きものは、「エアロスミスによるロックンロール」、もうこれに他ならない。
まだ駆け出しの頃のピュアなロックンロールの醍醐味を、現在のいぶし銀のエアロが味わい深く聴かせるさまには思わず胸が熱くなったし、合間合間で聴かせるジェームス・ブラウンやジャニス・ジョプリンのフレーズを引用したアドリヴ・プレイには、エアロスミスというバンドが本来どういうものをルーツにして育ったかということを改めて垣間見させる意味でも重要だった。
たしかにヒット・チューンは少なかったかもしれない。しかし、「比類なきロックンロール・バンド」という、エアロ本来の姿には数年前と今のどちらが近いか、となると、その答は圧倒的に後者である。ホッとした。
こうしたテンションがまだ存在する限り、エアロはどうやらまだまだ大丈夫のようだ。
文●沢田太陽(02/02/11) |