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まず、リヴィング・エンドの帰還を祝おう。『モダン・アーティナリー』は彼らが原点回帰を果たすとと共に、その音楽的多様性を推し進めた、記念碑的な作品と言えるだとう。

「フーズ・ゴナ・セイヴ・アス」はシンガロングでメロディックなまさにリヴィング・エンドと言える一曲。「タブロイド・マガジン」も非常に強力なシングルになりえる楽曲だ。オーストラリアで先行シングルとなった「ワン・セッド・トゥ・ジ・アザー」や「ホワット・ウッド・ユー・ドゥ」では、メロディック・パンク・バンドとして、健在ぶりを示している。

「エンド・オブ・ザ・ワールド」や「ホールド・アップ」では自らのルーツとも言えるパンカビリーな楽曲で、彼らのファンにはたまらないものといえるだろう。そして今までのリヴィング・エンドの枠に収まらない楽曲が多数並ぶ。「イン・ジ・エンド」、「メイトランド・ストリート」、「ソー・ホワット」、「プッティング・ユー・ダウン」はクリスの歌に重きが置かれた新機軸だ。

グリーン・デイが『ウォーニング』でメロディック・パンク・バンドとしての殻を打ち破ったように、リヴィング・エンドは新たなバンドとしての方向性をこのアルバムで強烈に打ち出したといえるだろう。 ロックの女神はリヴィング・エンドを見放さなかった。リヴィング・エンドがバンド結成以来の危機を乗り越えて、2年ぶりに日本に帰ってくる。そして復活の場として選んだのは、サマーソニックのステージだ。

思えば2001年の夏に、日本の地を踏んだ直後、とんでもない悲劇がフロントマンのクリス・チェニーを襲う。クリスがガールフレンドとドライヴ中に、対抗車線の車が誤って、彼らの車に正面衝突したのだ。一命を取り留めたものの、右足を骨折するほか、重症を負ってしまったクリス。活動休止を余儀なくされる彼らに、さらに追い討ちをかけるかのように、デビュー時から活動を共にしたドラムのトラヴィス・デムシーがバンドを脱退してしまう。別れは友好的なものだったが、リヴィング・エンドは活動開始以来、最大の危機を迎えてしまう。

そして、クリスを苦しめたのは、右足の骨折よりも、事故による精神的なショックだったという。しかし、彼らを再起へと駆り立てたのは、ファンの声援だった。ベースのスコット・オーウェンもこの励ましが大きな力になったことを率直に認めている。オーディションの末、加入したドラマー、アンディ・ストラチャン(ex POLLYANNA)は本国オーストラリアでは実力派として、知られた存在だ。

2002年冬にはオーストラリアのみで、先行シングル「ワン・セッド・トゥ・ジ・アザー」をリリース。プロモ・ビデオにはクリスを支えたガールフレンド、エマが出演している。この曲の歌詞には"日本"という言葉が登場するのだが、日本ファン思いのクリスらしい計らいだ。

2003年2月にはプロデューサーのマーク・トロンビーノ(ジミー・イート・ワールド、フィンチ、ミッドタウン)とLAでレコーディングを開始した。 '98年の『リヴィング・エンド』からは「プリズナー・オブ・ソサエティ」、「セカンド・ソリューション」。'00年の『ロール・オン』からは「ピクチャーズ・イン・ザ・ミラー」、「ロール・オン」と確実にヒットを飛ばしてきたリヴィング・エンド。「俺達は呼ばれれば、その場所に行ってプレイする。ステージのサイズなんて関係ないのさ」クリス・チェニーは語る。そして、華麗なる復活の場所として、彼らはサマーソニックのステージを選んだ。彼らの熱心なファンも、まだ見ぬファンも、ロックの奇跡を信じるなら、このショウだけは見逃せないはずだ。なぜならきっと新たなリヴィング・エンドの伝説が始まる場所になるはずだから。

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