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DEEP WOUNDというハードコア・パンク・バンドにドラマーとして在籍していたJ・マスシス/J MASCIS(vo,g)が、ルー・バーロウ/Lou Barlow(b)、マーフ/Murph(ds)と共に、''83年頃ボストン郊外のアマーストで結成したトリオ・バンド、ダイナソーJR.。まだ学生だった彼らは、''85年に東海岸のインディ・レーベル、ホームステッドからデビュー・アルバム「DINOSAUR Jr .」をリリース。ちなみに、当初バンド名に“Jr.”はついておらず、同名バンドが存在するというので“Jr.”を加えることになったという。

その後マイ・ペースな活動を続けていたが、サーストン・ムーア/Thurston Moore(ソニック・ユース)の紹介もあって、SSTレーベルとの契約を獲得する。ブラック・フラッグ、ハスカー・ドゥ、ソニック・ユースらが作品をリリースしたSSTは、''80年代以降のアメリカ・アンダーグラウンド・シーンの最重要インディ・レーベルのひとつであり、みんなの憧れだった。

''87年、そのSSTよりセカンド作「ユー・アー・リヴィング・オール・オーヴァー・ミー」を発表。ラウドにゆがんでうねるギターと、良質のメロディを融合させたサウンド、さらにはマスシスのつかみどころのなさが味わいになる歌と、ダイナソー3本柱が早くも確立。

''88年のサード作「バグ」はイギリスでもリリースされ、多くのファンを獲得することになる。しかしこの「バグ」を発表した後、ルーは脱退(以後、ソロとして、またセバドーやフォーク・インプロージョンなど自身のユニットで活躍中)。

''90年代に入り、バンドは遂にメジャーに移籍。時折しも、グランジ/オルタナティヴ・ブームのまっただなか。しかし、そんな中でもダイナソーのオリジナリティが異彩を放っていたことは、メジャー第1弾の「グリーン・マインド」(''91年発表)や、バンド最高傑作の呼び声高い「ホエア・ユー・ビーン」(''93年発表)が証明している。マスシスは、オルタナ界のギター・ヒーローとしても認識され、ライヴ会場にはマスシスのギター・プレイをひと目見ようというプレイヤー志向のファンも少なくなかった。

「ホエア・ユー・ビーン」からマイク・ジョンソン/Mike Johnson(b)が正式加入する一方で、マーフは完全に脱退。が、もともとマルチ・プレイヤーのマスシスであるから、体制に大きな影響はなく、''94年「ウィズアウト・ア・サウンド」を発表。そして''97年の「ハンド・イット・オーヴァー」では、ストリングスやメロトロン、ホーンにキーボードなどを導入して、これまでになく実験性の高いアレンジを施している。しかし、このアルバムがダイナソーJr.として最後のスタジオ・レコーディング作品になった(ダイナソーJr.名義を使いつつ、実質的にはソロのニュアンスが濃い作品も発表していたマスシスではあったけれど)。

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