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1968年、ザ・ヤードバーズの分裂後に、ジミー・ペイジが、ロバート・プラント、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズに声を掛けてツェッペリンが結成される。1969年には、バンド名と同じアルバム・タイトル「LED ZEPPELIN」でデビュー。全英2位、全米5位という好リアクションを得、その衝撃的なハード・ロック・サウンドは大きな話題となった。デビュー作で名声を得た彼らは、1969年10月に早くも2ndアルバム「LED ZEPPELIN II」を発表。前作以上にヘヴィなサウンドを展開したその作品は、全米4位を記録したシングル「Whole Lotta Love」のヒットにも支えられながら、遂にビートルズのアルバム「Abbey Road」を押し退けて全英チャートの首位に7週間君臨し、音楽新聞の人気投票でもビートルズを抜き去り1位に。またこのアルバム、全米では300万枚以上の大ヒットを記録し、彼らの人気は早くも巨大なものとなった。

1970年に発表された「LED ZEPPELIN III」は英米のチャートで1位を記録。その後「LED ZEPPELIN IV」を1971年に発表。チャート最高位こそ全米2位、全英では11位だったものの、全米チャートに合計234週間ランク・インし続けるという大ロングセラー作となった。この作品に収録された「Stairway to Heaven」は、彼らの全ての要素が入った曲として、また音楽に対するポジティヴな意味での信仰などが歌われた名曲として1970年代を代表するロック・クラシックとして未だ人気が高く、またアルバムとしても「LED ZEPPELIN IV」は名盤と呼ばれる作品となった。

1976年発表、「Presence」は全英、全米チャートともに1位、また1973年のNYマジソン・スクエア・ガーデンでのライヴを収めたアルバム永遠の詩を同年に発表しているが、そちらも全英1位、全米2位を記録し、チャートのトップ40に12週ランク・インし、サウンドの変化にも関わらず、相変わらずの高い人気を証明した。

1979年に発表された「In Through the Out Door」は内容的にはヘヴィなナンバーからサンバ風のナンバーまでを含む、音楽性の幅広さを見せつけた作品となり、英米のチャートで1位を獲得した。

1980年9月25日に、ジョン・ボーナムが急逝。死因は急性のアルコール中毒だった。バンド、そしてファンや関係者も大きなショックを受けたこの事件への反応としては、後任ドラマーを迎えて活動を再開して欲しい、というファンの声もあったが、1980年12月4日、「ジョン・ボーナムを失った今、レッド・ツェッペリンとして活動を続けていくことは不可能」との声明がバンドのマネージメントから正式に発表され、レッド・ツェッペリンの12年に及ぶ活動は幕を閉じた。

レッド・ツェッペリンは、その後も音楽ヒストリーの中で重要なポジションに位置し、賞賛され続けている。1995年には、「ロックの殿堂」入りを果たし、2005年には「グラミー賞:生涯業績賞」を受賞。その1年後には、ストックホルムで「ポーラー音楽賞」を受賞し、創設メンバーのジョン・ポール・ジョーンズ、ジミー・ペイジ、ロバート・プラントとジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムは、2007年ロンドンO2アリーナでアトランティック・レコードの創設者であり、彼らが親愛を寄せる、アーメット・アーティガンのトリビュート・コンサートのヘッド・ライナーを務めた。さらに彼らは、アメリカの文化の生涯にわたる貢献に対して「ケネディ・センター名誉賞」を2012年に受賞。

そして2014年1月、グラミー賞「ベスト・ロック・アルバム」賞をアーメット・アーティガンのトリビュート・ライブを収録したライヴ・アルバム「Celebration Day」で受賞している。これが、レッド・ツェッペリンとして初のグラミー賞の受賞となった。そして、この2年間には、9枚のオリジナル・アルバムに未発表音源を追加して発売する、いまだかつてなかった再発売の規模のキャンペーンが行われた。全世界でトップ10に入る売上を記録し、音楽誌などで5星の賞賛を受けている。

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