ニュー・ウェイヴ時代を築いたその栄光と復活劇

ポスト
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【フジロック'01直前 緊急特集】

ニュー・ウェイヴ時代を築きあげたバンド、エコー・アンド・ザ・バニーメン。
その栄光と復活劇。 そして'01年、我々の前に姿を現わす
 
"ネオ・サイケデリック"とも呼称されたサウンド


-フジロックフェスティバル'01出演!

< イギリスの'80年代を代表する2大バンドでキマリ! >

Echo&The Bunnymen
28日20:30~@Red Marquee
今年のフジロックで30歳前後のプチ・アダルトが楽しみにしているアクト、それがニュー・オーダーとこのエコー&ザ・バニーメンだろう。 ともに28日に登場するが、エコバニはRed Marqueeで20:30から、ニュー・オーダーはWhite Stageで22:20からなので、おそらくかぶることもない。まるで'80年代UKロック・ファンにハシゴしろと言っているようなものである。

ただ少しばかり気になるのが、8年振りの新作を控えたニュー・オーダーばかりに注目が集まっている巷の様子。この新作がとんでもなく強力なのは確かだし、元スマパンのビリー・コーガン参加という飛び道具まであるのだから仕方がないといえば仕方がない。

New Order
28日22:00~@White Stage
しかし、'87年のエコバニの米国ツアーでは、ニュー・オーダーが彼のサポートだったことを考えると、複雑な思いがよぎるのも事実。今でこそ、大ヒットに恵まれないものの、エコバニは'80年代のポスト・パンク~ニュー・ウェイヴの流れ(すごく大きく括った場合だけど)の中で、U2やキュアーと並ぶ大きな存在だったのだ。キュアーほどゴス寄りでなく、U2ほど熱血漢でもない、どちらかと言えばシニカルなバンドの佇まい。幻想的で冷ややかなサウンドと、それとは対照的なイアンの情熱的なヴォーカルは、本国はもちろん、ここ日本でも多くの洋楽ファンに支持されていた(当時はイアン・マッカロクの美少年ぶりも女性ファンに人気だった)。

「ザ・カッター」「キリング・ムーン」「セヴン・シーズ」といった名曲の数々を夢中になって聴いた人は多いはず。これらで披露されるエッジの効いたギターや、華麗なストリングスを生で聴くことができると思うと、ほうら、アラニス・モリセットアレック・エンパイアが霞んできたでしょう(昔の曲を演ってくれるかどうかはわかんないけど)?

間違いなく言えるのは、エコバニの突出した音楽性はある時代、シーンを確実に象徴していたということ。冒頭に挙げた人たちは言うに及ばず、UKロック好きを自認するファンなら、彼らを見逃すことはできないのだ。




-Echo & The Bunnymen プチ情報

フジロック'01に登場するために来日するエコバニは
出演の前日7月27日(金)の19:00~、新宿ヴァージン・
メガ・ストアにてイン・ストア・ライヴを行ないます。

フジロックにいけない人、またニュー・ウェイヴ・ファンの人、必見です!

最新アルバム『FLOWER』
Cooking Vinyl 発売中
CVJC-D002

1 King Of Kings  
2 Supermellow Man  
3 Hide And Seek  
4 Make Me Shine  
5 It's Alright  
6 Buried Alive  
7 Flowers  
8 Everybody Knows  
9 Life Goes On  
10 An Eternity Turns  
11 Burn For Me

'80年代初頭、“ニュー・ウェイヴ”というカテゴリーのもとで台頭したエコー&ザ・バニーメン(以下、エコバニ)、ジョイ・デヴィジョンニュー・オーダーらが、当時の既存の音楽シーンに衝撃を与えたのは言うまでもない。

その功績は ポップ・ミュージックをサブカルチャー、カウンター・カルチャーまで押し上げ、サイケデリック~パンクの流れを昇華し、あるいは全く無視して独自の世界観を築き上げたことだった。

エコバニは、'70年代後半に、リバプールで、産声をあげた。当時、リバプールの音楽シーンは、かなりの逸材を輩出する。エコバニのイアン・マッカロクやティアドロップ・エクスプローズ(エコバニのメンバーも在籍した)のジュリアン・コープをはじめ、後の“ニュー・ウェイヴ”シーンの核となる重要人物がゴロゴロしていたのだ。

当初、バンドはイアン・マッカロク(Vo)、ウィル・サージェント(G)、レス・パティンスン(B)の3人に、エコー社製のドラムマシン「エコー」の布陣でスタート。

インディーズでの活躍後、'80年にドラマー、ピート・デ・フレイタスを迎え、KOROVAレコードと契約、メジャーデビューを果たす。1stアルバム『クロコダイルズ』は、盛り上がりつつあった“ニュー・ウェイヴ”シーンに一気に火をつけることとなる。

ジョイスやジャック・ケルアックにも通じるような独特な詩の世界と官能的なイアンのヴォーカル・スタイルに、研ぎすまされてはいるがワイルドなウィルのサイケデリック・ギター。そして機械のようにくり出される、重厚なリズム隊。荒々しい演奏ではあるが、"ネオ・サイケデリック"とも称されたサウンドは熱狂的な支持を集め、「ドアーズの再来」と呼ぶものさえいた。また、殊に彼らは、評論家筋の評価も高かった。

その後、'81年2ndアルバム『ヘブン・アップ・ヒヤー』、'83年には3rdアルバム『ポーキュパイン(やまあらし)』を発表し、イギリス本国では人気バンドとしての地位を確立。続いて、個人的に最高傑作と評価するシングル「キリング・ムーン」を収録した4thアルバム『オーシャン・レイン』をリリース。'84年には、来日公演も果たしている。

しかし、本国での高い評価とは裏腹に、アメリカでの人気はもうひとつだったエコバニ。その理由のひとつには、人気プロデューサー、スティーブ・リリーホワイト(XTCピーター・ガブリエル)のもとで、'83年に『WAR』をヒットさせたU2の影にかすんでしまったことが挙げられるだろう。


結局、ニュー・オーダーらと行なった全米ツアーは、カレッジチャートを中心とした支持は産んだものの、全米での大ブレイクという結果には至らなかった。イギリスでは人気の頂点にあっても、アメリカでは単なるマイナーバンドということを味わされたのだ。

'85年の暮れにはギル・ノートンのプロデュースのもと、シングル「ブリング・オン・ザ・ダンシング・ホーセース」をリリース。続けて初のベストアルバム『ソングズ・トゥ・ラーン&シング』を発表するが、この頃から、バンドとしての活動は急速に衰えを見せはじめる。
やがて、イアンがソロ活動とともにバンドを脱退。残されたメンバーは活動を続けようとするが、フロントマンを失ったエコバニを支持するファンは少なく、バンドは活動停止を余儀なくされた。また、'89年にはドラマーのピート・デ・フレイタスが事故で亡くなっている。

しかし'94年、イアンはギタリストのウィルとよりを戻し、エレクトラフィクションを結成。'96年には、そこにベースのレスが加わることで、エコバニは再び復活した。その背景には、グランジ・シーン旋風が吹き荒れる中で、ニルバーナがエコバニへのリスペクトを示した(エコバニの曲のカヴァーをしている)こともたぶんに影響を与えている。しかし、復活後の彼らの音楽性は、時代に媚びたものではなく、彼らにしか解り得ない、どこか別のコンテクストから生み出される密教的なサウンドを展開している。

新しいエコバニには、巨大化したマーケット重視のシーンの中でプレイする必然性に抗うことなく、むしろ瞑想の中で体得し、ようやく自分達のヴィジョンにたどり着けたとでも言うような、シンプルで、力強い、清々しい美しさがあふれている。イアンは、ステ-ジで相も変わらず悪態をつきながらも、理想郷を確信し始めた。虚栄は混乱に始まり、無意味で終わる。たぶん、彼らは気付きはじめたのだ。

そして、新生エコバニが久々に我々の前に姿を現わす<FUJI ROCK FESTIVAL '01>。ニュー・ウェイヴという時代を 共に築き上げ、奇しくも同様に復活劇を遂げたニュー・オーダーとたて続けに登場する。

そんなおじさん泣かせのラインナップ。 果たして楽しめるのか? それともがっかりするのだろうか?

 TEXT BY LAYOUT 4 PEACE

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