――初来日だそうですが、ツアーはどうでしたか?
ヴィクター・デイヴィス: すごく楽しんで、リラックスしてできたよ。日本は大好きさ。みんなフレンドリーだし…やるべきことはたくさんあったんだけどね。ロンドンに帰りたくなくらいだ(笑)。
――ライヴで共演された沖野兄弟(=Kyoto Jazz Massive)は以前からお知りあいだったんですか?
▲イースト・エンドにあるアイル・オヴ・ドックスという小さな島で生まれ育ち、イースト・ロンドンに位置するBOWに移り住む。 現在、クラブ・シーンが盛りあがっているウエスト・ロンドンがブレーク・ビーツやジャズも熱い状況に対し、一方では、ガラージ、2steps系が支持されているというイースト・ロンドン。そんな中で、どちらかというとウエスト・ロンドン派と言われるヴィクター・デイヴィスだが、本人曰く、実際には自分の音楽はどちらにもフィットしてない、すごく不思議な位置にいると言う。 |
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ヴィクター: イギリスにいる時に彼らの曲を聴いたことはあったんだけど…実はヨシ(沖野好洋)とはオーストリアで偶然会ったんだよ。たまたまコンポスト・レーベル(JAZZANOVAやKyoto Jazz Massive等がリリースしているUKのレーベル)からでているレギャンマっていうグループのDJでヨシが来てたんだ。本当は飛行機がヨシと一緒の予定だったんだけど、彼が乗り遅れてそこでは会わなかったんだよ。でも結局クラブで会えたから…すごく偶然だよね。
――沖野兄弟はラテン・ジャズ・ハウスなどビートが効いているレコードをかける先鋭的なDJスタイルですが、そういった彼らとプレイするときにアコースティック・ギターとヴォーカルのみというシンプルなスタイルをとるのはどうしてでしょう?
ヴィクター: 自分のレコードは2種類あるんだ。音楽的なサウンドがピュアなものとクラブ用にビートをのせたクラブ・ミックス。まあダンス好きなクラブ系の人にはクラブ・ミックスを聴いてもらうことによって興味をもってもらってるんだけど…そんな人たちから「ぜひライヴをやってよー」って言われた時に、「僕が本当にやりたい音楽っていうのはアコースティックだよ」って話をしたんだ。それでも「ぜひやって欲しい」って言われてやったら意外にクラブ系の人達に僕のアコースティックがうけたんだよね。自分でもすごく不思議なんだけどさぁ。日本ではまた状況が違うかもしれないけど、UKなんかでは普段アコースティックを聴かないような人たちがすごくよく反応してくれていて、それで形になっちゃってんだよね。
――そのアコースティックのスタイルなのですが、そもそもクラシック・ギターから始まってラテンのリズム、そしてジョージベンソンなどのジャズ・ギターに傾倒していったんですよね?
ヴィクター: ジャズを聴く前に、もともとはスティービー・ワンダーのようなソウルを聴いていた。でもソウル・ミュージックってキーボードはよく使われているけど、あまりギターが使われてないよね。そこに自分が求めているものを近い形で埋めてくれるものがジャズだった。僕は曲を書くから、その時にソウル風で、クール、しかもギターというとそれをジャズ・ギタリストに見つけることができたんだ。ソウル、モータウン系でマーヴィン・ゲイやスティービー・ワンダーとか、それにプログレなんかかも良く聴いたけどそれは2人の兄からの影響だよ。そもそもギタープレイヤーだからギターものを聴いちゃうんだけど、自然にロックやプログレの影響もあったと思う。曲の作りもイントロ、Aメロ、Bメロがあるでしょ。そういうのって僕の曲作りにすごく影響されてる。ちゃんとした構成を持つという点で。
――そういういろんなジャンルの音楽からの影響で、今の音楽性がうまれたのですね。
ヴィクター: ソウルは好きだったけど、好きなソウルにはあまりギターが使われてない。だったらラテンなどを採り入れてみようと…例えばラテンにはギターがつかわれるからね。そういう考え方でいろんなジャンルの音楽を聴いて、プレイしているうちに自分の音楽にができていったんだと思う。
――ライヴは、ハイ・ヴォイスがとてもきれいで優しい声なのが印象的でした。幼少から訓練はしてきたんですか?
ヴィクター: 小さい頃から歌はよく歌っていたよ。ただハイ・トーンはマーヴィン・ゲイから影響を受けた。彼は低声から高声まで歌えて、しかも主メロの1オクターブ上を歌って重ねていたよね。そんなところがすごく好きだったんだ。ヴォーカリストとして彼からの影響は大きいかもね。
――ニュー・アルバムについてお訊きしたいのですが、全体の構成で半分がアレンジを加えているもの、半分はアコースティックとヴォーカルだけのシンプルな曲になっていますね。
ヴィクター: 偶然そうなったんだよ。ほとんど僕はアコースティックで曲を書きはじめる。それ以上、手を加えないほうがその曲にとって最適な場合もあるんだよ。その時はそのままにしておくんだ。アレンジを加えなくてもいい曲は成り立つと自分は思っているし…。「Runaway Train」は、’99年の初めの頃作った曲。もともとデモ用に録った曲だったからアルバムに収録する予定など全くなかった。今回お金をかけてスタジオで録り直すこともできたけれども、そのテイクはすごくラフだけど作ったときの瞬間を捉えていて、これを越える形のものはないと思ったから、そのままにした。それからアルバム1曲目の「Sound of the Samba」、これは一番最後に書いた曲なんだけど、このときには曲の書き方が少し変わっていて楽器もなにも使ってないんだ。自分の頭のなかだけでメロディを考えて、歌って、言葉をのせて、それに楽器を最後にのせた。ギターさえ使わない、言葉、歌だけで曲を書くという新たなアコースティック曲へのアプローチを始めたんだ。
――おもしろいですね。
ヴィクター: クラシックの人なんかはそういう作り方をするのかもしれないけどね。頭にあるものをバーッと全部譜面に書いたりするでしょ?
――ところで「Runaway Train」の直後に作られた「Brother」は話題になりましたね。歌詞にも注目されて…。
ヴィクター: この曲は“これ”っていうひとつのものを歌ってるわけではないんだけど、概要していえば“人間誰もが誰かを必要としている。みんなどんな人も落ち込んだり、気分が冴えない時とかあるけれど、そういうときに“Brother”と呼べる相手、誰かに頼ることを見せることは決して悪いことじゃない、ひとりじゃ生きていけない”みたいなことを書いたんだ。
――リズム隊とかサンプリング、あとバックのホーン、フルート、ストリングスなどのミックスはご自身でなさったんですか?
ヴィクター: ギター、ベース、パーカッション、ヴォーカルは自分でプレイして、キーボードは人に頼んだ。ブラス・セクションとストリングスは自分でやってないけど、スコアは自分で書いて弾いてもらってるんだ。ミックスやプロデュースも自分でやっているよ。レコーディングではあえて4トラックで行なったんだ。まずひとりで3回くらいオーバーダブで弾いてそれをもう1回やって、それをステレオにいれて…っていうとても古いやり方で。そういう制約があると、“じゃあどうしようか”って人間もっとクリエイティブになるよね。もちろん時間はかかるけれどもその分もっと綿密にアレンジされていく。ミスは許されないからさ。
――機材に振りまわされることのない作品作り…ヴィクター・サウンドがホント心に染み込んでくるのもそういうことなんですね。
ヴィクター: 最近の音楽ではプロトゥールスで作っていることがとても多いよね。プロトゥールスにはオート・チューンっていうズレを全部修正してくれる機能が入ってる。それを使ってもいいんだけど、どうしてもメタリックな音になってしまうんだ。でも自分はそういうものを使って完璧なものを作るよりは、ちょっとぐらいラフで間違えがあっても、その場の雰囲気を捉えられるようなものにしたいと思ってるから…。
――みんなで共感するみたいな、温かみ、ライヴ感がすごく伝わってきますよ。
ヴィクター: アルバムを通して、すごくオプティミスティックでとても前向きな姿勢かな。
――5月のリリースが楽しみですね。
ヴィクター: でもちょっと緊張してるよ。
――ライヴの時も言ってましたよ。
ヴィクター: えー忘れちゃったよ(笑)。
――最後に、ロンチ・ジャパンはネットを介し、国内外を問わず様々な音楽を音楽ファンに紹介していきたいと思ってるのですが、インターネットとかでなにかやっていきたいと思っていますか?
ヴィクター: 音楽を多くの人に聴いてもらうためには、まず知ってもらう必要があって、そういった意味ではインターネットを通じて新しい音楽がどんどん発信されれば、すごくいいことだよね。ただ、ビッグなアーティストだったらみんなアクセスしてくれるけど、そこまで知られてないアーティストはどうやって知らせていくかが今はわからない。まだ僕はインターネットを使いこなしてるほどじゃないんだけど…でも、自分自身で全てをコントロールできる点がすばらしいよね。
――そのためのロンチ・ジャパンです(笑)。インターネット上では新人も大物も同一線上ですよ。
ヴィクター: そうだね。ひとりでも多くの人に僕の音楽を聴いてもらいたいな。 |