【対談】土屋昌巳 × 岡野ハジメ、ISSAY追悼DER ZIBETトリビュートアルバムを深く語る「あんな素晴らしい人に会ったことはない。伝えていきたい」

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■完全にISSAYくんの導きというか
■“僕のトリビュートで楽しくやってね”って


──そういう部分も伝えていきたいところです。そして、お二人は今作を通して意気投合されたんですよね。

土屋:初めていろんな話をしたんですよ。グラムとサイケの関係の話もして、“わあ! こんなこと考えてた人だったんだ”って。

岡野:音楽の構築の仕方が本当に近いんですよ。トリビュートアルバムのタイトル曲「Flowers」(2ndアルバム『Electric Moon』収録 / 1986年)はアレンジを土屋さんにお願いしたんですが、デモが最初に送られてきた時に不協和音がずーっと鳴っている感じなので、話を聞いたら「Cメジャースケールの音“ドレミファソラシド”が最初から最後までずっと流れていて、ヴォリュームの調整で響きを作っていくアレンジをやろうとしている」って。

土屋:それを見事に見抜かれたんですよ。「これ、キーボード肘で弾いてませんか?」って(笑)。

岡野:肘で弾いているのと同じことなんです。

土屋:僕が今、ハマっている考えなんですが、突き詰めていくと結局、音楽に間違っている音ってないんですよ。人間の都合で聴きやすいほうへ聴きやすいほうへ移行しているのが今の音楽体系であって。

岡野:そうなんですよね。


▲岡野ハジメ / Recording at『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』

土屋:コードが変わっていくのが安心な音楽のあり方みたいな考えがすごく嫌になったんです。ただ、トリビュートアルバムなので、攻撃的な手法にはしたくなかった。「Flowers」は最初はふわっとしたシンセサイザーの和音で始まるんだけど、“あれ?”っていうアレンジにしたいと思っていたんです。エンジニアの小西(Koni-young / BUCK-TICKやLUNA SEAなどを手がける)さんがミックスダウンしてくれたんですが、これがめちゃめちゃいいんですよ。

岡野:ありがとうございます。

土屋:最初は“綺麗な音だな”と思っても、聴いているうちにだんだん居心地が悪くなってくるはずなんですよ。寝っ転がって聴いていた人が「何?」って(笑)。そこが狙いでした。もし、岡野さんともっとビジネスライクな形でお仕事していたら、絶対、こんなことはできなかったと思うんですよ。完全にISSAYくんの導きというか。

岡野:ホントにそうですね。

土屋:ギリギリまでよく知らない人同士にしておいて、「僕のトリビュートで楽しくやってね」って。

岡野:土屋さんのアレンジは僕にとっても、かなりショッキングだったんですよ。なぜかというと、実は世には出してないんですが、ヒーリングミュージックで常に“ドレミファソラシド”が流れているような音楽を去年作っていたんです。調整する役割はベースが担っているんですが、波のように出たり入ったりすることによって色彩が変わっていく感じにしたいなって。周りの人に言っても「それ、(音が)濁らないの?」って全く伝わらなかったですけどね。

土屋:なかなか伝わらないですよね。「Flowers」の場合はシンセというよりもギターのフレーズで音を調整したんです。小西さんに「ここまでやると船酔いしますかね?」って聞いたら「します」って言われたので(笑)、変えてみたりとか。僕は今、すごく予定調和が嫌なんですよ。パンクが出てきた頃はもっと暴力的にそういうことをメッセージしていたじゃないですか。


▲土屋昌巳 / Recording at『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』

岡野:そうですね。あと、そもそも自然界の音って脳の中で気持ちいい音に変換されているだけで、もともとはかなりエグいと思うんですよ。ハモンドオルガンにしても不協和音を合わせることによって成立している重厚な楽器なので、実はそういう音が鳴っているほうが豊かに響くんです。

土屋:ピアノの調律もそうですよね。ぴったりオクターヴを合わせていない。

岡野:濁り成分が心地よさと関係しているのは事実なんですよ。ただ、そう響かせるためにはそれなりのケアと精進が必要なんです。今はスマホで誰でも簡単に音楽が作れますよね。それは技術の進歩でもあるけれど、音楽自体、圧縮されていってるんです。良いのか悪いのか。

土屋:良くないですよ。今日、深い話してますね。便利にはなったかもしれないけれど、要するに資本主義の考え方で、そのほうがお金になるんですよ。だから、せめて僕らみたいなへそ曲がりのミュージシャンが「音楽ってそうじゃないんだよ」って。でも、そういうことに才能のある子たちは気づくんです。若い子たちがアナログのレコードを買いに行って、手間をかけて聴いて「面倒くさいほうが面白い」って言うんだけど、大正解だなって。

岡野:土屋さんって哲学的かつ深いのに、そういう部分をポップの中に忍ばせる姿勢がすごく好きなんですよ。「わからないヤツは聴かなくていいよ」じゃなくて、「売れたほうがいいよね」「カッコいいほうがいいよね」「若い人に伝わりやすいほうがいいよね」っていうところがあるのが、俺と似てるんです。

土屋:たぶん僕ら、基本チャラい音楽が好きなんですよ。今回、GS (1960年代の日本のグループサウンズ)の話でも盛り上がったんですよ。KA.F.KAの先に僕がISSAYくんとやりたかったのもGSだったので。似合うと思いません?

岡野:やってほしかったな。そうしたらプロデュースしたかった。

──KA.F.KAにも少し、そういう匂いはあったような気がします。

HIKARU:ISSAYはソロアルバム(『FLOWERS』/ 1994年)でもザ ・タイガースやジャックスのカバーをしてましたからね。

土屋:そうそう。そういう要素があったんだよね。ただ、一見してもわかるようにあまりにも真摯な人なので、もう少し時間が経ってからかなって。


▲MORRIE. 土屋昌巳. 岡野ハジメ / Recording at『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』

──話は戻りますが、「Flowers」はMORRIEさんがヴォーカルとして参加していらっしゃいます。岡野さんと土屋さんの楽器の絡みも素晴らしい。

岡野:最初はベースを弾くつもりはなかったんですよ。土屋さんが「弾いて」って言うから(笑)。

土屋:僕は最初から弾いてくれるものだと(笑)。

岡野:あのアレンジで弾くのけっこう怖いんですよ。土屋さんのギターは素敵ですけど、土台をベースが決定するのはわかっていたので。

土屋:素晴らしいです。若い者には弾けないベースですよ。

──カバーするにあたって、風景のようなサウンドや夜明け前の月というイメージがあったそうですね。原曲に光のキラキラしたイメージがあるとしたら陰りがあり、歌詞に“湖水”という言葉が出てきますが、水深も深いような音像です。

土屋:そうですね。明け方近くの京都の南禅寺を思い浮かべたんです。月は見えているんだけど、霞がかかっているような、そういう風景が完全に自分の中で見えていたので。あと、スコット・ウォーカー(ex.ウォーカー・ブラザーズのシンガー&作曲家)的なものだったり。

岡野:それ、MORRIEにも伝えてましたね。

土屋:もちろんISSAYくんはウォーカー・ブラザーズが大好きだったんですが、デヴィッド・ボウイやレディオヘッドのトム・ヨークに影響を与えたシンガーだとは言え、ロックをやっている人にはあまりピンとこないアーティストなんですよ。そうしたら、MORRIEくんは最初に入った事務所の人に「おまえはスコット・ウォーカーになれ」って言われたことがあるらしく、彼自身も大好きなアーティストだったので歌には何の苦労もしなかったですね。

──多くを言わなくても通じ合える3人だったんですね。

土屋:そうなんですよ。ラッキーでしたね。

岡野:土屋さんはMORRIEと一緒にやるの初めてですよね。俺はMORRIEと付き合い長いですが(DEAD ENDのアルバムをプロデュース)、ベースを弾いたのは初めてなんですよ。

──実は3人の組み合わせは初だったという。

土屋:縁が固まってますね。僕は1980年代にDEAD ENDのアルバムのプロデュースのお話をいただいたことがあるんですが、その時は実現しなかったんですよ。で、“こういうことだったのか”と。

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