【対談】土屋昌巳 × 岡野ハジメ、ISSAY追悼DER ZIBETトリビュートアルバムを深く語る「あんな素晴らしい人に会ったことはない。伝えていきたい」

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世代を超えた豪華ミュージシャン60名以上が参加したISSAY追悼DER ZIBETのトリビュートアルバム『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』が、ISSAYの誕生日である7月6日にリリースされる。2枚組となった本作には土屋昌巳、ホッピー神山、共に時代を駆け抜けてきたMORRIEや森重樹一 (ZIGGY)、ダイアモンド☆ユカイ (Diamond Shake / RED WARRIORS)、木暮“shake”武彦 (Diamond Shake / RED WARRIORS) 、宙也 (アレルギー / De-LAX / LOOPUS / 極東ファロスキッカー)、PATA (X JAPAN/ Ra:IN)、フォロワー的なアーティストとしてSUGIZO (LUNA SEA / X JAPAN / THE LAST ROCKSTARS / SHAG)、Sakura (gibkiy gibkiy gibkiy / Rayflower / ZIGZO)、松岡充 (SOPHIA)、石井秀仁&桜井青(cali≠gari)、小林祐介 (The Novembers / THE SPELLBOUND)、高松浩史 (The Novembers / Petit Brabancon)ら、書ききれないほどのメンバーがISSAY追悼と愛のもとに集結。オリジナル音源とは異なるアプローチでDER ZIBETが遺した才気あふれる楽曲たちを蘇らせている。

◆『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』画像

総勢60名以上のミュージシャンたちをまとめあげたプロデューサーはDER ZIBETのアルバム過去2作を手がけた岡野ハジメ。そして、MORRIEがボーカルで参加しているタイトル曲「Flowers」をプログラミング、小林祐介がボーカルをとった「LOVE SONG」と2曲、ギターを弾いているのがISSAYとのちにKA.F.KAを結成することになった土屋昌巳だ。意外にもトリビュートアルバムで初めて仕事をすることになったという岡野ハジメと土屋昌巳はレコーディングを通してすっかり意気投合。プレイヤーとしてもレジェンドであり、プロデューサーとしても日本の音楽シーンに数々の名盤を送り出してきた二人の対談が実現したのはそういう経緯もあったからだ。

DER ZIBET、ISSAYとの出会いのエピソードはもちろん、レコーディング中の音作りの話や音楽観、楽器についてのレアな話も飛び出した対談は、両者がいまだロックキッズの魂を持って楽曲に臨む姿勢をも明らかにする内容となった。ISSAYと同じく昨年2023年、急逝したBUCK-TICKの櫻井敦司の2人をミュージシャンの視点から見た逸話も貴重であり、現場にはDER ZIBETのリーダーであり、ギタリストであるHIKARUもサプライズで同席。約10000字近くに及んだ二人のトークセッションが、参加ミュージシャンたちや協力者の尊い想いが詰まったトリビュートアルバム(クラウドファンディングから計870名の出資により制作)の本質を浮き彫りにする。


▲ISSAY

   ◆   ◆   ◆

■いつも笑顔で迎えてくれて
■ステージより普段はもっとカッコいい


──土屋さんと岡野さんが対談するのは初ですか?

土屋:初めてですね。

岡野:面識はあったんですが、土屋さんと音楽で一緒に仕事したこと自体、今回が初めてなんですよ。意外でしょ?

──ものすごく意外です。

土屋:このトリビュートアルバムで共演することになっていたんでしょうね。

岡野:だから、すごく面白かったんですよ。

土屋:ワクワクしましたね。


──『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』にバンド単位で参加したのは、断頭台のメロディーのみです。60名を超えるミュージシャンとの作業は想像を絶するほど大変だったと思います。

岡野:「今日は何すればいいんだっけ?」って、ほとんどその日暮らし的な(笑)。多くのミュージシャンは1曲に関わっていますけれど、僕は全体を見なければいけないので。楽しかったですけどね。

──お二人のレコーディング中のエピソードは後ほど伺うとして、DER ZIBETやISSAYさんとの関わりについてお聞きしたいのですが、今作のプロデュースのオファーを受けられた時の岡野さんの率直な想いというのは?

岡野:ISSAYが亡くなったのは突然の出来事だったので、いまだにリアリティがないんですが、DER ZIBETと出会ったのは3rdアルバム『DER ZIBET』(1988年)をプロデュースした時ですね。自分自身、プロデューサーとしてはまだ駆け出しのタイミングで関わらせてもらったので。

──そして7thアルバム『POP MANIA』(1994年)も岡野さんがプロデュースを担当されました。

岡野:今、この場にDER ZIBETのHIKARUくんがいるから言うわけではないんですが、彼のギターがツボにハマったんですよ。今回の土屋さんとのレコーディングにも関係してくる話なんですが、当時、「Pas Seuil(一人舞い)」という曲のイントロをクリーンな音からいきなりアコギにディストーションかけて弾き出した瞬間に、“何だ? これ?”ってやられて、雑誌のインタビューで「今年のベストギタリストはHIKARUくんです」って答えた覚えがあります。その後、HIKARUくんとはPUGS(メンバーはホッピー神山、スティーヴ エトウ)というバンドを組んで全米ツアーを廻ったりしていたので、自分の中では青春的な思い出があるバンドですね。今となってはDER ZIBETやDEAD ENDがヴィジュアル系の根っこのように捉えられているけど、ちょっとゴシックでヨーロッパ的な匂いのするバンドはジャンルとして確立されてなかったですから。


▲土屋昌巳 / Recording at『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』

──当時、土屋さんはすでにロンドンに在住でした?

土屋:1990年からですね。

岡野:「すみれSeptember Love」(一風堂の大ヒット曲)が何年でしたっけ?

土屋:1982年ですね。1979年にデビューしているのでYMOやプラスチックスとほぼ同期です。なので、DER ZIBETがデビュー(1985年)した当時はソロで活動してました。もちろん、存在は知っていましたけれど。

──土屋さんは2013年にISSAYさん、森岡賢さん、ウエノコウジさん、MOTOKATSUさんとKA.F.KAを結成することになります。

土屋:ISSAYくんとはなかなかお近づきになる機会がなかったんですが、ニューウェイヴで僕がやり残したことがあって、音楽的にも精神的にもジョイ・ディヴィジョン(ポストパンクを代表する英国バンド)に通じるようなことをイメージしていた時に「ボーカルはISSAYくんしかいないだろうな」って勝手に思っていたんです。そんな時、ちょうどBUCK-TICKのライブが渋谷公会堂であって、おそらく櫻井(敦司)くんの配慮だと思うんですが、招待席をISSAYくんの隣にしてくれたんですよ。ただ、面識はあったものの話すキッカケがなくて。

岡野:そうだったんですね。

土屋:アンコールが終わってどうしようと思ってポケット探したらミンティアがあったんですよ。「食べる?」って聞いたら「ラッキー!」って言われて、そんな答えが返ってくるとは予想もしていなかったので、「ああ! この人となら一緒にできる」って(笑)。

岡野:ははは。素晴らしい。

土屋:そこで「どうも」って返されたら、また沈黙の時間が続いたと思うんですが、渋谷公会堂で話したのをキッカケに今では思い出せないぐらいスムーズにKA.F.KAに繋がっていくんです。


▲岡野ハジメ / Recording at『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』

──土屋さんの場合はDER ZIBET再結成(2009年)以降に交流が生まれていったわけですよね。

土屋:そうですね。ISSAYくんとは一緒に音楽を作っていく過程で、一切ぶつかることがなかったんですよ。不思議に思ってHIKARUくんに「ISSAYくんって怒ることあるんですか?」って聞いたら「怒りますよ。喧嘩もするし」って言われてちょっとビックリしたんですよ。特に初期がそうだったんですよね?

HIKARU:そうですね。仲が悪かったので。

岡野:そんな話を聞くとビックリしますよね。

HIKARU:初期は人付き合いも下手だったので。復活後はよく一緒に飲んだし、一番仲がいいメンバーになりましたけどね。

土屋:DER ZIBETってオリジナルアルバムを10枚以上出してるんですよね?

HIKARU:ベストアルバム以外に19枚ですね。それと最近の未発表曲があるんです。仮歌ですが、歌詞もできているので。

土屋:じゃあ、未発表アルバム作れますね。

岡野:いいですね。

土屋:ぜひ丁寧に作ってほしいですね。本当の意味で二度と聴けない作品になると思うので。


▲『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』

──そこも期待したいです。今、人付き合いの話が出ましたが、トリビュートアルバムには先輩から後輩までジャンルを超えた多数のミュージシャンが参加しています。ISSAYさんの交友関係の広さが意外だという声もよく聞きます。

岡野:俺は、放っておいたらとんでもない人数になると思ってました。「100人超えなくてよかった」って(笑)。

──当初は参加ミュージシャンも約40名で、曲数もこんなに増える予定ではなかったんですよね。

岡野:「アイツが声かけられるなら」っていう人も出てきますから。ホッピー(神山)なんて「参加したい」って自分で呟いてましたからね(笑)。大変だったけど、やってよかった。刺激的でしたね。

土屋:僕は逆に驚きましたね。michiakiさん(Ra:IN / B)がやっている横浜のライブハウス(THE CLUB SENSATION)に定期的に出演していたのは知ってましたけど。ただ、ISSAYくんの場合、自分から誘うタイプじゃないですよね。それなのに寄ってきてくれた、声をかけてくれた人がこれだけ多かったんだっていうことも含めてビックリしましたね。

HIKARU:その最たるバンドがBUCK-TICKでしたから。

岡野:櫻井くんが生きていたら、絶対にトリビュートに参加しているはずじゃないですか。そう考えるとすごく複雑ですね。さっきも言いましたが、今でもISSAYがいないってリアリティないですもん。

土屋:僕は鮎川(誠)さんも教授(坂本龍一)も(高橋)幸宏さんも、みんな死んだなんて思ってないんですよ。

岡野:思えないですよね。ISSAYにしろ、櫻井くんにしろ、あんなにカッコよくてルックスもいいヴォーカリストが二人もいなくなっちゃったわけで。

土屋:で、二人ともめちゃめちゃ紳士で真摯なんですよ。あの二人の代わりなんて絶対に無理です。バンドのフロントマンなのにあそこまで真摯なのは。

岡野:普通、あそこまでカッコよかったらいい気になりますよね(笑)。

土屋:これはお友達として付き合える僕らの特権なんですけど、笑顔でいつも迎えてくれて、二人ともステージより普段はもっとカッコいいですから。

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