【連載】「建物語り」by うらら 最終回<変わっていくことと変わらないこと、千里竹見台団地>

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「3月いっぱいでBARKSを離れることになりました。建物語りの最終回を書いていただけないでしょうか。」

この連載の担当をしてくれている方からそんな連絡がきたのは、つい数週間前の話だった。前回から1年以上も原稿を送らなかったのにもかかわらず連絡をくださったことを、ありがたく、そして申し訳なく思いながら、すぐに「もちろんです」と返事をした。

さて、最後の建物語りにふさわしいのはどこだろう。撮り溜めた写真の中には、北海道の岩見沢駅舎や、赤坂の紀尾井清堂なんかもある。どちらもおもしろかったけれど、最終回にと思うとなにか違う。私の目で見て、私の言葉で書くにふさわしい建物、それはやっぱり一番愛する「団地」ではないだろうか。ということで、最終回である今回の建物語りは、私の思い出と、思い入れを多めに、とある団地について書かせていただくことにする。

私の団地への憧れには、複合的な理由がある。物心つく前に撮られた写真や、母と父と姉の3人だけだった頃の思い出話の舞台が団地だったこと。泊まりにいくたびにわくわくしていた祖母の家が団地だったこと。団地住まいの友達には、同じ団地内の年の近い子となんとなく集まって遊ぶようなコミュニティがあり、それが羨ましかったこと。そして一番の理由は、小学校の友達のほとんどが団地の子だったこと。わいわいと連れ立って団地の方へ下校するみんなに背を向け、ひとり新興住宅地へと帰る私は、それが心の底から羨ましかったこと。

高校3年の終わりに両親の離婚が決まり、家族の形が変化する中で、私は一人暮らしを選んだ。大学近くの学生マンションでも借りるのが普通だと思うけれど、家族の形が変化したことに多少の痛みを感じていた私は、「本来住み続けるはずだった家を他人都合で出なきゃいけないなんて、なにか好きなことでもしないと割に合わない」と考えた。

今こそ、憧れの団地暮らしを始めよう。そうして選んだのが、「千里竹見台団地」だった。


団地好きの方なら、聞いたことのある場所なのではないだろうか。あの「巨大スターハウス」のある団地だ。けれど「巨大スターハウス」なんて呼ばれ方を知ったのは随分大人になってからであり、小さな頃の私にとってそれは、南千里駅から祖母の家に行くときに「いらっしゃい、よくきたね」と言って体の下を通らせてくれる優しい巨人にほかなかった。

3棟あった巨大スターハウスは、2棟が取り壊しになり、1棟は建て替えられ、もう1棟は建て替え中だと聞いた。ちょうど帰省する予定があったので、南千里駅から竹見台団地へと向かう。向かう、といっても、駅を出ればすぐにスターハウスが目に入る。


どうやら建て替えられたのは、あの出迎えてくれる優しい巨人ではないほうのスターハウスだったようだ。南千里駅と竹見台団地の間にかかる橋をわたる。この橋のつぶつぶのタイルは、昔から変わらないままだった。

私はもうここの住人ではないし、隣の桃山台に住んでいた祖母ももういないけれど、優しい巨人・C27棟はあの頃と変わらず優しく出迎えてくれる。


唯一取り壊されていない巨大スターハウスのC27棟も、外壁の塗り替えで昔とは見た目の印象が変わっている。竹見台や桃山台の住人たちが次々通り抜けるその1階に、昔の外壁の名残があった。


緑がかったベージュから焦茶色までのグラデーションが、ばらばらに並べられているモザイクタイル。このタイルを見た瞬間、そうそう、これだ!と、昔の姿が鮮明に思い出された。私には思い出されたけれど、これを読んでいるみなさんには伝わらないので、古い写真を探してみた。今はなきC26棟の、2009年ごろの姿を見つけたので載せておく。


ちなみに塗り替えられたのは現存している優しい巨人のC27棟のみで、C26・C28棟はこの姿のまま最後まで建っていたそうだ。C27棟もそのうち建て替えられるんだろうな。


C27棟の下を通り抜けるとき。世界がふっと薄暗くなり、雑踏の音が急に小さくなり、自分の足音だけが響く。向かう先は明るく輝いていて、幸せのある場所へ帰ってきたよ、という感じがする。これを抜けたら、あの頃に帰れるんじゃないか。亡くなった祖母が、別れた父と母が、あの頃のように揃って待っているんじゃないか。なんてヒロインごっこをしてみたくなる(実際の私はそんなに感傷的ではないけれど)。


竹見台団地へ突入。写真左手にあったC28棟の姿はなく、建て替えが着々と進められていた。先に建て替えられたC26棟が、木々の向こうに少し見えている。どんなものかと少し進んでみると……


マンションじゃん!!!!!!!!

巨大スターハウスC26棟は、「101棟」と名を変えて、堂々たる様子でそこに鎮座していた。四角い建物が建っているように見えるけれど、奥の方で左右から斜めに建物が突き出ている。反対側に回ってみると……


元のスターハウスとは少し違い、先ほどの正面の建物を体として、手を斜め前に広げているような形になっている。中に入って構造をみたいけれど、なんとこの101棟はオートロック。60年の歴史のある竹見台団地に、オートロックの建物ができるなんて! C26棟の面影を残しながら、現代の暮らしに合わせて生まれ変わった101棟は、竹見台団地の新たな一員としてしっかりと景色に調和していた。


101棟を過ぎたあたりで後ろを振り返ってみる。竹見台で暮らした二十歳のころ、この道がとても好きだった。


2008年の春の写真。今年ももうすぐ、この道に桜が咲くのだろう。


先ほどの写真から向きを戻してまた少し進むと、右手に細い小道が現れる。これが、私が一人暮らしをしていた中層フラットであるC23棟に続く道だ。


遠目でみるとこんな感じ。


ここはエレベーターなしの5階建で、1階は向こう側に抜けられるようになっている。向こうには駐車場があるので、車で帰ってきた人も、電車で帰ってきた人も、ぐるりと回らずに棟に入ることができる。


この階段の4階に住んでいた。懐かしさが溢れ出す。

家族の形が変わる、というのは、どんな方向にであれ、どこかが痛むものだ。それでももし私が辛いと言ってしまったら、家族の誰かが「うららを傷つけてしまった」と傷ついてしまうじゃないか、そう思っていた。だから、友達と毎日寝る間も惜しんで遊び、全く悲しくなんかないよ、自由で幸せだよ、友達もたくさんいるし、なんの心配もないよ、というふうに見せたかった。楽しい日々を送っていたのは嘘ではないけれど、それでもうまく笑顔が作れない日は、誰にも見られない私だけの空間で、好きなだけ泣いて過ごせばいい。そういう場所として寄り添ってくれたのが、この竹見台団地だった。久しぶりに訪れて、「あの頃の私、頑張ったね〜、ありがとう」と温かい気持ちになった。

▲2009年、住んでいた当時の写真

私が住んでいたC23棟の正面左側にあるC24棟はポイントハウス型。こちらもC27棟と同じ色に塗り替えられていた。千里という土地はどこもゆるやかな丘になっているため、どうしても建っている場所に高低差ができる。坂道やスロープ、階段があちこちにあって、見えているけどうまく辿りつけない、なんてことがあるのがいかにも千里ニュータウンらしいつくりだ。


その向かいに、横に長〜い中層フラットのC22棟がある。


竹見台団地の他の中層フラットにある階段は3〜4つ。しかしこのC22棟は、なんと8つも階段がある。ここ、長〜いの置けそうやん、長〜いの作ろ〜。って感じが自由。


ちなみにこのC22棟は、向こう側に抜けられない階段室だ。確か向こう側は、駐車場に向かってちょっとした土手になっていたと思う。


団地の前にあるこういう小道がとても好き。


駐輪場もシンプルに駐輪場。


さらに進むと左手に、竹見台団地の中でもう一棟、新しく建て替えられている「201」棟が見えてきた。右手や奥のポイントハウスと色味が揃えられ、景色は調和されている。


もちろんオートロック。ここから振り返ると……


後ろにはTHE・団地な景色。


新棟の駐輪場はやっぱりマンション的。


倉庫に落ちる影が美しい。


2009年は、夕日が団地に木々の影を落とすのを撮っていた。シンプルなクリーム色の壁は、季節や時間を映すスクリーンとしてとても優秀だ。

竹見台団地の中を散歩していると、頻繁に人とすれ違った。プレイロットでは子どもたちがはしゃぎ、広場では中学生が集まって話をしていて、買い物帰りの人、配達の人や掃除の人、草はらにしゃがみこんで四葉のクローバーを探しているご年配の方も見かけた。完成から60年、時代が大きく移り変わり、建て替えで外観が変化していったとしても、この竹見台という町はこれからも変わらずに、人の生活を包み、寄り添い、見守ってくれるのだろう。


この団地で私は、大学を辞めて上京することを決意した。その後、メジャーデビューを果たし、こうやって音楽メディアで団地について好き勝手に書く連載まですることができた。Salleyを解散してソロになっても、私は音楽を続けているし、この連載が終わっても、建物を愛する気持ちは変わらない。音楽活動の形も、家族の形も、これからも変化することがあるだろうし、そのたびに心に揺らぎや痛みがあるのだろうなと思う。それでも私は、自分の好きなものを大切にしながら、私らしく淡々と生きていくだけだ。

姿を変えながらもいきいきと優しい町であり続ける、竹見台団地のように。

最後に。

読者の皆様へ。建物語りを読んでくれて、ありがとうございました。これからも私は音楽活動、そして好きなことを好きという活動を続けていきますので、SNSやYouTube、ライブ・新譜などをチェックしていただけたら嬉しいです。

そして、この連載を持たせてくれたBARKS様、担当者様、この話を最初に進めてくれた事務所のスタッフさん。本当にありがとうございました。建物も、文章を書くことも、音楽も、どれも大好きな私が、音楽メディアで建物について文章を書けるということは、得難く、とても幸せな経験でした。

建物語りを通して出会った全ての人へ、感謝しています。
本当にありがとうございました!

うらら(ex.Salley)

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