【インタビュー】松浦俊夫、「情緒豊かな街・横浜で、自分らしさを出しながら皆さんと音楽を楽しみたい」
5月27日(土)、28日(日)に開催される<GREENROOM FESTIVAL 23>に出演する松浦俊夫。国内外のさまざまなフェスに出演している彼だが、意外にも同フェスには初参加となる。これまでの活動や近年の動向など、いよいよ間近に迫った<GREENROOM FESTIVAL 23>に向けて、話を聞いた。
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■ソロになり、より自分と向き合うことになったことは
■アーティストとして良かったと思う
──<GREENROOM FESTIVAL 23>は初出演かと思いますが、意気込みをお聞かせください。
松浦 大好きな海を感じさせるフェスティバルということで、出演したいと思っていました。今回、それが叶いとても嬉しく思います。情緒豊かな街・横浜で、自分らしさを出しながら皆さんと音楽を楽しもうと思います。
──松浦さんは世界中でDJプレイしてきました。ここ数年パンデミックで渡航できなくなっていました。今はようやく解禁ムードですが、今、どこの都市に行きたいですか?
松浦 2020年以降一度も海外に行けなかったので、今は旅ができるだけで楽しいですね。ロンドンやパリ、ニューヨークといった都会も行きたいですが、タイやインドネシアなど自然豊かなところへも行きたいと思っています。
──日本国内に関しては、近畿地方(三重県〜奈良県)、中国地方(鳥取県〜島根県)に行きたいそうですが、何か特別な想いがあったら教えてください。
松浦 これらの街は、実は自身のキャリアの中でDJとして一度も訪れたことのないところなのです。出生地である三重をはじめ、これらの街でプレイしてコンプリートしたい。
──松浦さんは1990年にUnited Future Organizationを結成し、5作のフルアルバムを世界32ヶ国で発表し高い評価を得ました。音楽、映像、アート制作、国内のレギュラーイベント、そしてワールドツアーなどプロデュースしていますが、当時の思い出を振り返ってください。
松浦 日本には存在していなかった“ジャズで踊る”というヨーロッパ発祥のシーン、ムーヴメントに呼応する形で、日本でのシーンをいちから作り始めました。フライヤーのデザインをジャズぽくしたり、洋服を皆で合わせてスーツを着たり、どうやったら皆に興味を持ってもらえるか? また実際にイベントに来た人に踊ってもらえるか? いきなりジャズをかけても誰も踊らないのでグラウンドビートやジャズネタのヒップホップ、ファンクなどから徐々にジャズに移り変わっていくみたいなことを試行錯誤しながらやっていましたね。またイベントにどういうバンドをブッキングするかもかなり苦労しました。ダンスジャズバンドみたいなものは存在していなかったので最初はDJ+パーカッション/ダンサーから始めました。
そういうシーン作りと同時に東京発のダンスジャズトラックとして1991年から制作を開始し、発表しました。それが海外で評価されたことを機に日本でも認知度が高まり、徐々に自分たちの活動の軸となっていきました。我々のコンセプトはヒットを狙うということではなく、「自分たちが作った楽曲をどうすれば日本を含め世界にいる“同志”に届けることができるか?」、そして「10年後に聴いても古くならない音楽とは何か?」このふたつでした。スタイルも含め、自分たちらしさを表現すること自体が活動になっていましたね。
──2002年のソロ転向後も国内外でDJとして活躍していますが、中でも数々なプロダクションも話題になりましたね。ソロになって環境や精神的な心境など変化はありましたか?
松浦 活動の基本的なところは変わりないと思います。ひとりになったことによって、より自分と向き合うことになったことは、アーティストとして良かったと思います。
──現在ではイベントのプロデュースのほか、ホテル、インターナショナル・ブランド、星付き飲食店など、高感度なライフスタイル・スポットの音楽監修を手掛けていると思います。プロジェクトの内容を詳しく教えて頂けますでしょうか?
松浦 それぞれのブランドや施設のイメージやコンセプトを踏まえつつ、音楽によってさらに付加価値がつくように考えたキュレーションを心がけています。お鮨に例えるなら旬の素材を活かしたおまかせ握りといったところでしょうか。
──2013年、現在進行形のジャズを発信するプロジェクトHEXを始動させ、Blue Note Recordsからアルバム『HEX』をワールドワイド・リリースしました。恵比寿LIQUIDROOMのライブは素晴らしかったですが、国内外問わず他でもライブを行ったのでしょうか?
松浦 元々それぞれが多忙なミュージシャンを集めたということもあり、なかなかスケジュールが合いませんでした。それでもフランスをはじめとする文化度の高いヨーロッパのフェスティバルでフルメンバーでライブができて、かつ評価されたことは感無量でしたね。
■音楽のヒーリング効果については
■一層皆さんに伝えられるように努力したい
──2018年にはイギリスの若手ミュージシャンらをフィーチャーした新プロジェクト、TOSHIO MATSUURA GROUPのアルバムをリリースしました。このプロジェクトのジャイルス・ピーターソンの役割を教えてください。参加メーバーの紹介、そしてこの独自なレコーディングや制作総指揮という舵をとった松浦さんは最初からコンセプトはありましたか? またはレコーディングを進めていって掴んでいったものなんでしょうか?
松浦 まずコンセプトは私がDJ / アーティストとして大いなる影響を受けたダンスジャズトラックを現在シーンの最前線にいる新しい世代のミュージシャンとともに現代に甦らせたいというものでした。ロンドンで行った理由は、今も昔もシーンの総本山だと思っているからです。ジャイルスについては本プロジェクトの音楽監督を務めてくれたトム・スキナー(Ds)を推薦してくれるなど多大なサポートをしてくれました。そしてレコーディングの途中にスタジオで「このアルバムを自分のレーベル(Brownswood Recodings)からリリースしたい。」と言ってくれたんです。
──ジャズはスポーツ、音楽はヒーリング効果など言われますが、どうお考えでしょうか? 自分自身の音楽へ使命感などあれば教えてください。
松浦 ジャズは私にとっては“未知の領域に進むこと”すなわち“挑戦”することだと思っています。これについては30年以上変わっていません。音楽のヒーリング効果については3年に及んだコロナ禍において身をもって体験したことなので、これからはその効果を一層皆さんに伝えられるように努力したいと思います。
──松浦さんのラジオ番組「TOKYOMOON」(interfm 日曜17:00)は音楽やファッション、映画業界からも注目されています。世界中から集まる情報、1500曲以上集めチェイスする松浦さんの審美眼が素晴らしい番組ですね。「TOKYO MOON」の今後の方向やヴィジョンがあれば教えてください。
松浦 日曜17:00〜金曜23:00の“目に見えないメディア”であるからこそ、人間の持つ造像力を遺憾なく発揮し、音楽を楽しむことによって視界が開け、豊かな感性を磨きながら心が豊かになってもらえればと思います。
──今年も全国のフェスティバルからオファーがあったそうですね。
松浦 今回<GREENROOM FESTIVAL 23>と同時期に開催される<FFKT>にも出演します。またこの夏皆さんがよくご存知のフェスティバルでもプレイする予定です。楽しみにしていてください。
──今は戦争中で現地では信じられない状況がテレビの映し出されています。経済は悪化して、人種差別、強盗、銃撃事件などあまりにも酷いと思います。そして国と国の国境問題、移民問題、テロ、自然災害、松浦俊夫さんは音楽だけではなく、社会的にも影響があるので、どう世界は秩序が守られて平和になってくると思いますか?
松浦 まず、ひとりひとりの個人が他者との違いを認め合い共存できるかというシンプルなことを常に実行できるかだと思っています。それに街としての単位、小さいところでは地域社会を自分が支えることができるかを実感し行動していくことが、大きな目標への第一歩だと考えます。もちろん国の動きを注視することも大事なのですが、まずそこを日常的にできるか?が最重要課題だと私は考えています。そしてそれを実行しています。
インタビュー:高山康志(ラッシュプロダクション)
<GREENROOM FESTIVAL 23>
横浜赤レンガ倉庫
※松浦俊夫は28日(日)に出演
◆<GREENROOM FESTIVAL 23> オフィシャルサイト
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