【追悼】ジェフ・ベックに向けて
訃報というものはいつも突然やってくる。2023年1月10日、ジェフ・ベックが急逝してしまった。78歳だった。
彼の偉大さは、世界中で様々な言葉で語られてきたことだろうし、今後もその存在は霞むことはない。優れた才能を持って世に生まれていたギタリストは数多いるが、ジェフ・ベックの異端さはまさにワンアンドオンリーだった。それは、彼のプレイスタイルを引き継ぐようなフォロアーが全く存在しないということからも明らかだ。
そのフレージング、インストの構築センス、表現力、サウンドニュアンス、アーミングによる語彙力、もちろんそのテクニック…ジェフ・ベックに影響を受けたというギタリストは星の数ほどいるだろうが、「ジェフ・ベックのようなサウンド」「ジェフ・ベックのようなトーン」「ジェフ・ベックのような感情表現」を聴かせてくれるギタリストがどれだけいるだろうか。ストラトを使おうとレスポールを使おうと、アームがあろうとなかろうと、そしてマーシャルだろうとフェンダーだろうと、どんな機材でどんなコンディションであっても、一瞬でジェフ・ベックの世界をはじき出す。どんな機材でもジェフ・ベック・ワールドを生み出してしまうのは、彼の存在自体が機材というレイヤーよりも上位次元に存在していた証なんだなと、私は思っている。
陳腐な体験でお恥ずかしい話だが、ヤング・ギターの編集長を務めていたとき、ジェフ・ベックの取材機会を得て、ステージにセットされた機材もチェックすることができた。変哲のないJCM2000 DSL50で、230V仕様ではあったものの特に改造されているわけでもないごく普通のマーシャルだった。当然全セッティングをチェックし、後日完全再現を試みたものの、あの時に聞いたサウンドの片鱗すら出て来ない。当然ながらジェフ・ベックのニュアンスなんかあるはずもなく、自分が弾くマーシャルサウンドは、歪み切らないチープで耳うるさいクソのような音だった。思い切り太い弦を張り、引っ張るように指で弦を弾いたら、ちょっとだけあのニュアンスが表れたような気がした。ただそれだけだった。
来日中、彼はホテルから出歩かず、部屋でずっとギターを弾いていたらしい。練習ではない。ギターで遊んでいたのだ。その時に手にしていたのは、フェルナンデスからプレゼントされたエフェクター内蔵のZO-3、FERNANDES DEGI-ZOだった。このエピソードはオフレコとして今の今まで私の心の中に留めていたけれど、彼の偉大さの裏には、少年のようなお茶目さと好奇心がいつも渦巻いていた事実を、多くの人に知ってほしくて、これをここに記することにした。彼はもうこの世にはいない。許して欲しい。
誰も歩いたことのない前人未到の道を彼は歩き続けた。ロックギターを指で弾くなんて、誰もチャレンジしなかった。ジェフ・ベックがその先人を切っても誰も跡をついて行かなかった。行かなかったのではない、行けなかったのだ。でも彼は、そんな事を気にすることもなく、奇妙なプレイスタイルを磨き続けていた。そして誰にも到達できない孤高のサウンドで、我々の琴線を激しく震えさせた。
聞いた話によると、デビュー時、ジェフ・ベックはエピック・レコードと25年契約を結んだという。まだプロとしての実績もないインストゥルメンタル・プレイヤーが25年というとんでもない年月の契約を果たすこと自体、前代未聞の逸話だ。「こいつは一生をかけてギターを弾き続け、世界を変えてしまうとんでもない天才だ」とエピック・レコードを脱帽させたジェフ・ベックは、ギターを手にしたその日から、我々とは全く違う世界線でギターを操っていたのだろう。生まれ持った天賦の才、そして努力と思わない弛まぬ前進。こういう人を真の天才と言うのだろう。
合掌。ジェフ・ベックは本当の星になった。今頃はコージー・パウエルあたりとセッションして遊んでいるんだろうな。
文◎烏丸哲也(JMN統括編集長)
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