【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第113回「烏帽子形城(大阪府)卓偉が行ったことある回数 1回」

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大阪の河内長野市にある名城、烏帽子形城のご紹介である。えぼしがたと読みます。町の地名、城の名がすでに格好良過ぎるではないか。楠木氏、楠木正成の支城として建てられた城だが、支城にしてはデカすぎる。本城と同じくらいの規模を持つまさに名城である。城の歴史は古く1332年に築城。1617年に廃城となる。大阪市内方面はもちろん、和歌山方面、奈良方面、大阪湾方面、ちょっと裏方面、そっちは界隈は如何わしい方面といくつもの街道が合流する最高の立地にあり、山や川に囲まれ攻めづらい素晴らしい条件が揃った城と言える。いくら守りの堅い城だったとしても自分達が暮らしづらかったり、麓の道の交通が不便だったり、ラジバンダリしていては城下町も発展はしない。駅周辺も歩いてみたが町の作りもしっかり城下町だし、街道が通っていただけあって、集落として栄えた面影も残っており、とても歴史の濃い河内長野、そして烏帽子形城だと感じた。とにかく素晴らしい城である。



城山は182メートルあるがさほど登るのには時間はかからない。城内はアップダウンが少ないというのも良い。現在は城の裏手に大きな駐車場があり(ここも当時は曲輪だったはず)搦手から城に登る道で本丸を目指すことになるのだが、やはり大手側からの登ることをお勧めする。この城にもtvkの私の城番組のロケで来城させていただいたわけだが(2021年10月)その駐車場にレンタカーを停めて最初は搦手から登った。だがやはり物足りなさを感じ、わざわざ山を大手に降り、大手から城を登り直した。つまらん気合いの入れ様である。城マニアとして大手から見学するって大事なんすよね。現在はどんな城もすぐ本丸に辿り着けるように、城の裏手や真横からアクセスしやすいように、accessの浅倉さん的に行けるようになっている(意味がわからない)。体力に自信がない方はそれでいいのだが、やっぱり城は大手からの見学をお勧めしたい。大手を正面に見ると左側は古墳の跡ということもあり、こんもりしている。クワガタに向かって行く様な両サイドの丘に囲まれた真ん中の窪みを登って行くことになる。この時点で威嚇はバッチリであり、両サイドから弓や鉄砲で撃たれたら一撃である。

カメラを回しながらロケをしていると近所の幼稚園児が遠足に来ており、「この人達ニュースでしゃべっとる人と同じ喋り方やん」と言いながら近寄って来てくれた。私は福岡出身だがうちの親父は東京出身だったので当然ながら普段は標準語を喋っており、友達からは「卓偉の父ちゃんはNHKと同じ喋り方しようばい」と良く言われたものである。私からすると関西の子供はこんなに幼い時から関西弁なのかとしみじみ思った(当たり前である)寄って来た4人とも前歯が1本か2本抜けており、全員その隙間からフィー!フィー!空気を出して笑っていた。エジプト出身のタレントの方に影響を受けたか、欧陽菲菲に影響を受けたのか聞くのを忘れてしまった。



この大手道、道幅も広く、排水溝もありアプローチが素晴らしい。おそらくここには門があったんだろうなという門跡の雰囲気を出している場所もある。しかもこの道の太さが結構上まで登っても同じ太さのままってことがまた凄い。そしてここから凄まじいのだが、三重堀、空堀、そして土橋、すべての規模の大きさにビビる。空堀の幅、深さ、奥行き、土塁の高さ、現在は8メートルらしいが発掘調査では10メートルあったことがわかっている。この空堀が城の周りをぐるっと1周していて、果てしなく空堀が続いているのである。当然ながら導線としても機能していたはずだが、山の上にこんな仕掛けがあるとはまず想像出来ない。外側からは土塁にしか見えない構造だが、登りきってみると二重、三重に空堀が掘られていることがわかる。まさに浅倉さんの二段にも三段にもなったキーボードようである。曲輪の途中には必ずと言っていいほど堀切もある。これがまた極端に深いしあまりにも唐突だ。ここ最近のアメリカのヒットチャートの曲と同じくらいアウトロが突然切れて曲が終わるみたいな唐突さを感じる。当時は木橋が架けられていたであろうが、攻められたら木橋も切り落とす仕組みになっていただろう。

城の外側は何処もかしこも極端な絶壁というのも凄かった。城の搦手側にある土橋も現在は手摺りが設置されているが、竹藪を覗くと怖くなる程の絶壁であった。城を守る側も気が気じゃない、当時はどうしていたのだろうか?守る側も危険なのである。空堀も場所によって良く見てみるとわかるのだが2メートルの段になっているところがある。これは「堀内障壁」と言うらしく、通常の空堀だと頑張ればそのまま登って来れるところにいちいち段を付けてあるというわけだ。当然ながら段があると登る勢いは止められてしまうし、その都度2メートルの土を登らないといけなくなる。登っている間は無防備になるのでそこを槍や弓などで仕留められてしまうというわけなのである。これは非常に良く出来ている。最初は障子堀かな?と思ったが堀内障壁ということである。勉強になります。


城内にはいろんな曲輪があり、土塁で虎口になった門跡もあり、角には櫓台らしきものもある。本丸はさほどスペースがなく縦長で、武器庫の跡がある。まだ天守を建てるという発想がなかった頃の城なので天守台はないが、本丸からの町の眺めと景色は十分である。城の全方向を見れるようになっているので本丸としての見張り機能も完璧だ。最初にも言った通りいろんな街道が合流する場所に建てられた城だけにとにかく便利であったことが窺える。城の搦手は道が細くなるが、その先にある現在のわんぱく広場やお弁当広場などは、女性、子供が暮らす曲輪だったのではないだろうかとイマジン。あめんぼ池という池もあり、これは当時の暮らしの水の確保、井戸と同じ機能を果たしていたと思う。大手は完全な戦国イメージだが搦手側には生活感も垣間見れる。表と裏で顔の印象がずいぶんと違う城と言えるだろう。




ロケ終わりに「麺工房 夢」といううどん屋さんに立ち寄った。関西直球のうどん、そして味付けに痛く感動。出て来た水がすで美味い。帰りに駐車場に行くと70年代のポンティアックのトランザムが停まっており、60代くらいのご夫婦が目の前の田んぼの稲をバックにCRAZY KEN BANDの横山剣さんの「いいね!」ポーズで写真を何枚も撮られていた。良く聞くと「稲の前でいいね!ポーズ」を撮りたい、そういうことであるらしかったが旦那さんは奥さんのショットが気に入らず何度も撮り直しを要求されていた。途中から奥さんが「なんであんただけやの?あたしも写りたいわ」と言って自撮り風にして夫婦で撮ろうとするが上手くいかないらしく口喧嘩を始めていた。僕が「お二人を撮りましょうか?」と近寄ると旦那さんは奥さんに向かって「え?この人知り合い?」と一言。奥さんは「知り合いなわけちゃうやん、お兄ちゃんごめんな!ほな撮ってくれる〜?」と来た。何枚か撮ってほしいとのことだったのでシャッターを押したが、通りすがりの人が入ってしまうので、「あ、すいません、人が入っちゃったんでもう1回行きます〜」と言うと旦那さんが「人?知り合い?」と言ってくる。結局お二人の最高ないいね!ポーズを稲をバックに撮影し旦那さんにスマホを返す。すかさず写真をチェックする旦那さん。奥さんに「CRAZY KEN BANDお好きなんですね」と言うと喜んで答えられていた。だからこそのこの車なのかとも思った。写真にご満悦の旦那さんが最後に「兄ちゃんありがとうな〜」と言って来たので「旦那さんケンさんが相当好きなんですね」と返したら「え?ケンさんと知り合い?」知り合いじゃねえし。そりゃケンさんと知り合えたら最高ですがな。軽く立ち話をしていると後ろからお年寄りが歩いてきたのがわかったので、ご夫婦に「あっ、後ろからお婆ちゃん来てます」と言ってどいてもらった。お婆ちゃんは丁寧に私に「ありがとうね」と返してくれた。その矢先に旦那さんはやっぱり言った。「知り合い?」

これ以上は付き合えなかった。

あぁ 烏帽子形城 また訪れたい…。


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