【インタビュー】10-FEET、TAKUMAが語る「限りのある時間の中で生きているっていうこと」

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■重苦しいシリアスな部分には必ず
■バンドをやる意味と意義が映り込んでいる

──多くのお客さんに歓迎されながら、10-FEETの存在がどんどん大きくなっていく様も、『OF THE KIDS, BY THE KIDS, FOR THE KIDS!』シリーズの見どころのひとつです。自分たちの状況が変化していくことを、当時はどう受け止めていました?

TAKUMA:なんて言ったらいいんだろう…、“売れていく”というよりは“買ってもらっていた”という感覚が大きかったので。ライブに来てくれたら、絶対に元気づけるし、買ってほしいみたいな。それに値せえへんかったら買わなくていいです、という気持ちでずっとやっているんで。ギリギリ合格点にいってないけど、しゃあない買ってやるよとか、しゃあないけどライブ行ってやるよとか、きっと、そういう気持ちでみんなは応援してくれてはるんやって。だから、やっぱり身の丈を超えた次への努力とか頑張りをしないとあかんと。その繰り返しでしたよ。

──バンドとして経験を重ねるにつれ、音楽への見方は変化もしましたか?

TAKUMA:前に進むだけじゃなくて横へも展開していけるようにとか、自分になにができるんだろうって考え出したのは、3rdアルバム『4REST』ぐらいからじゃないですかね、やっと徐々に。

▲<京都大作戦2019 -倍返しです!喰らいな祭->@京都府立山城総合運動公園 太陽が丘特設野外ステージ

──責任感や使命みたいなものを背負い始めたところも?

TAKUMA:そういうのも出てきたかもしれないですね。自分がバンドの中でなにをしなくちゃいけないんだろうって。やりたいこと、やるべきこと、やらなきゃいけないこと。そういうことを徐々に考えるようになっていったかもしれないですね。

──曲や歌詞が、ファンにとって背中を押してくれるようなものにもなっていったと思うんです。そういった伝わり方をしたことで、ご自身の曲に向かう姿勢も変わっていきました?

TAKUMA:そうですね。自宅とかスタジオとか普段の移動中もそうですけど、ずっと曲や歌詞のことを考えていて、どこに向かってやっているんだろうって、よく分からない心境に陥ることが多々あったんです。でも発信している先に、受け取ってくれる人が何人かいるんだって。最初は手応えとまではいかなくても、“やる意味がある。待ってくれている人がいる”と思ったとき、自分のやりがいとか努力とか、音楽に対するあらゆる向上心を高めようみたいな。そんな気持ちが報われ始めた瞬間かもしれないですね。

──TAKUMAさんの前にメンバー2人にも取材させていただいたんです。そこで話題になったのが、『OF THE KIDS, BY THE KIDS, FOR THE KIDS!』の『IV』に収録されたツアー密着ドキュメント映像のことで。当初はツアー前半だけ密着の予定が、TAKUMAさんの発案でツアー全行程を密着することに切り替わったそうですが。

TAKUMA:はい。シリアスに真剣にバンドをやっていることが、まずしんどくて重かったと思うんです。それを望んでやってはいたんですけど、やっぱりしんどいので、カメラさんとかが密着で入ってくれているだけで、重苦しい雰囲気がちょっとだけましになるなと思ったんですよ。カメラさんも昔からの知り合いやし、実際にツアーの雰囲気もちょうどいいぐらいになるなと感じて。それでいて、絶対にストイックに向き合いすぎるこのツアーは、メンバー間の雰囲気が良くないときが絶対にやってくるツアーでもあって。しんどくてシリアスで、ダメージや疲労も多いツアーだった。でも、それが“意味あるものだ”っていう確信と自信はあったんですよ。

──実際に緊張感が走る場面などもありました。

TAKUMA:真剣なシーンとかマジメなシーンは、無言やったり空気が重かったりするから、そんなにたくさん要らない気がするんです。ドキュメントの中でそれがずっとあったら観ていてもしんどいから。ライブのカッコいいところとか、メンバーがふざけあっていたり、ゲストバンドとのツアー中の関係とか、おっちょこちょいな事故とか(笑)。そういうものがあってこそ、ちょっとしたシリアスなところが活きてくる。だからシリアスで重いところはそれほど要らないんだけど、ツアー中の半分以上はそんな状態のほうが多かったんですよね。

▲<京都大作戦2019 -倍返しです!喰らいな祭->@京都府立山城総合運動公園 太陽が丘特設野外ステージ

──なるほど。

TAKUMA:ただ、重苦しいシリアスな部分には必ず、バンドをやる意味と意義、バンドや音楽に対する本物の情熱が映り込んでいるという確信もあったんです。バンドの中核にある宝石みたいな、美しくて熱い情熱。それがあるという自信も持っていたんで、人生で何年やるか分からんバンドっていうものを、一度は近くで映像や音にしっかり残しておいてほしいなって気持ちもあった。正直、ドキュメントがいい作品になるかは撮っているときは分からなかったけど、撮っているものは絶対に間違いない。たとえ作品にならなかったとしても、意味のあるものを撮り残せるはずやっていう自信はあったかな。

──ああいったドキュメントによって、10-FEETの人間味や泥臭い部分まで、ファンのみんなが知るところになりました。それによって曲の受け止め方もさらに変わっていった気がします。挫折も苦しみも知っているからこそ輝く言葉やメッセージ。それが突き刺さってきましたから。

TAKUMA:そういう作品や楽曲になっていたら嬉しいですね。本来、バンドマンの裏側のマジメな気持ちとか、バンドに対するシリアスな気持ちやストイックな部分は、あまり説明っぽくお客さんに伝えることなく、とぼけた部分とカッコいい部分だけが見えていたら一番いいと思うんですよ。ところがそれはミュージシャンとかロックンローラーの場合なんですよね。僕らは、つくづくバンドマンじゃないなというか。バンドとかロックでけへん人が、バンドやロックに憧れて、真似事やっているだけやんけって。撮ってみて、めっちゃ思ったんですよ。でもバンドマンやミュージシャンに追いついていない真似事している人って、すごくひたむきさはあるんだっていう。今、思えばですけどね。

──そうだったんですか。

TAKUMA:そこに向かっている人間やからこそ、赤裸々な真面目さやストイックさを、堂々と振舞ったり話したりすることができていた。年齢やキャリアが成熟していたり、成熟していたいと思っていたら、ああいうドキュメントにはならなかったと思うかな。あれでも僕らなりに十分カッコつけていると思うんですけどね(笑)。ほんまにカッコいい人はそこまで言わんだろうってことまで、ベラベラ言ってしまってる。でもそれが純粋でいい、と思いましたね、観ていて。

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