【連載】櫻澤の本気 II 第7回『櫻澤の半分はDEAD ENDで出来ています』
▲DEAD END『HYPER d.』(1989年@日比谷野音)より。23歳の湊さんと19歳の櫻澤。
男子校に通っていた櫻澤の高校三年生当時は、最上級生ということもあり、校内で一番ドラムが上手い存在だった。校内はもとより、校外でもメンバーの平均年齢が40歳とか、櫻澤以外のメンバーが都外のバンドとか、掛け持ちで週3日以上はスタジオに入っていた。
◆櫻澤泰徳 画像
進学校ということもあり二学期にもなると、大学受験を控えた三年生は、毎週水曜日だけの登校だった。将来はプロドラマーになろうとしていたから、受験勉強に勤しむ同級生を尻目に、スティックを握りしめほぼ毎日登校していたと記憶している。在籍していた吹奏楽部の練習場に自身のPearl製ドラムセットが置いてあり、スタジオの時間までは練習場で叩いていた。一〜二年生の時には、帰りがけに同級生の自宅に寄り道して、一緒にいろいろなバンドのレコードを聴きまくっていた。この頃、日本のインディーズメタルシーンが熱かった。
インディーズバンドを取り上げていた月刊音楽雑誌『ロッキンf』は毎月熟読していた。ある号のモノクロページにDEAD ENDのライブ写真が掲載されていた。MORRIE(Vo)をはじめ、当時のメタルバンドとは異なるスタイリッシュなメンバーのライブ写真は衝撃だった。お会いしたことはない、湊さん(Dr)の前任ドラマーのTANOさんのドラムセットは、樋口宗孝さんのセッティングをそっくりそのまま左利き用にしているようだった。ドラム類の全てをゼブラ柄に配色していた。25年以上前から櫻澤のドラムセットのフロアタム2つにはSakura紋が描かれている。自発的に思いついたと記憶しているけど、影響受けているかもね。
都内に数店しかなかったインディーズバンドを扱っているレコード店に行き、DEAD ENDの1stアルバム『DEAD LINE』(勿論アナログ盤 / 1986年発表)を手に入れた。当時、メタルバンドのボーカルといえば、ハイトーンボイスのものが多かったと記憶しているのだけど、MORRIEの唄声はハイトーンではなく、中音域にまとまっている感じの唄声といったらいのかな。唄い方は、物凄く独特な歌詞をやや歪ませ気味のエッジ立たせた声色で攻撃的なものばかり、かと思えば、クリアな唄声もあったりと驚きの連続。ギターはメタルでお馴染みのパワーコードだけではなく、メタルではあまり聴きなれないテンション音が入っているリフと、当時主流だった速弾きではない口ずさめるようなメロディアなソロ(後にバッキングを含むほとんどの曲のリフは前任ギタリストの香川さんによるもので、YOUちゃん(G)はソロのみの曲が多かったことを知る)。ベースは当時主流のメタルベースの音色とは異なり、歪み気味で高中音域が強めな攻撃的な音色とアプローチ。ドラムは割りと王道メタルドラムに感じたけど、曲によっては電子ドラムを使っていたり、パラディドルという当時のメタルドラムではあまり使わないアプローチを入れていたりとか…。
兎に角、見た目から音からそのスタイルから、櫻澤にとってDEAD ENDは物凄い衝撃だった。余談になるけど、この頃にSABER TIGER(札幌)の「CRUSH & DUSH」を聴いて、湊さんのドラムが衝撃的で憧れを抱いた。後に湊さんがDEAD ENDに加入することで、その憧れは一層強くなった。
高校三年生のある水曜日、同級生が浦和ナルシスでライブをすることになった。「何か手伝うことあるかもな」と思い、終礼後は練習場に寄ることなく、制服姿のまま浦和を目指した。午後三時くらいかな? ナルシスに到着して店に入ると、金髪で長髪のメタルバンドの方々が機材の片付けをしていた。ドラマーの人のセットはPearl製で、櫻澤的にも取り扱いは理解していたので、片付けを手伝った。制服姿の高校生が手際よく片付けをすると、バンドメンバーから「君! ウチのバンドのローディーをやらないか!?」と。そのバンドは、インディーズメタルバンド“U”。Uはメンバーの1人がナルシスのスタッフだったこともあり、平日営業前のナルシスで機材持ち込みのRH(リハーサル)をやっていた。それからはUのRHやライブの度、ナルシスに行ってた。
Uのナルシスでのライブの日、長髪の人が櫻澤と同じようにUの機材回りの手伝いをしていた。メンバーから「泰徳、今日からこの子もローディーとして手伝ってくれるから仲良くしてね」と紹介されたのがRIKIJI (OBLIVION DUST)なんだ。RIKIJIとはU以外にも、他のバンドに出向的にお手伝いをしたり、イベンターのバイトもした。ほんの一時だけど、バンドをしたこともあったよ。
UにはH子さんという女性スタッフがいた。H子さんは大阪の人で、YOUちゃんとは仲良かったそう。よくYOUちゃんの話を聞かせてくれた。高校卒業後のある日、H子さんから「泰徳、あんたDEAD END好きよね? ローディーやらん?」と言われた。H子さんは、当時DEAD ENDでマネージャーをしていたK村さんと友達で、曰く「使える若い子がいたら紹介して」とK村さんからお願いされていたとのことだった。余談だけど、K村さんは後のDIE IN CRIESのマネージャー。K村さんは同じ事務所所属のL'Arc-en-Cielのtetsuyaに、櫻澤の連絡先を教えた。tetsuyaから連絡が来たのは、1992年12月だったかな?
櫻澤が初めてDEAD ENDの現場に行ったのは、4thアルバム『ZERO』(1989年発表)のプリプロをしているスタジオ。
「櫻澤といいます。よろしくお願いします」
「サクラちゃんね。よろしくね」と気さくに接してくれたYOUちゃん。
「歳はいくつ?」「18です」「若いね。頑張ってね」と優しく接してくれたMORRIE。
「よろしく」と物静かなJOE (B)。
「うん」と割りとそっけなさ気な湊さん。
この日の作業が終了してバラした機材の搬出時に、櫻澤が持ったクソ重たいシンバルケースを倒しそうになった。倒しはしなかったんだけど、それを見ていた湊さんは「倒してたら、ぶん殴るとこだったぞ」と。当時、YOUちゃんとJOEは冷蔵庫並み大きな機材を使っていた。コレもクソ重い。プリプロやリハーサルの度、それら機材を階段で運んでいた。クソしんどかった。
今まで湊さんからドラムを教わったことは無い。「お前が俺に憧れてるとしても、俺にはお前に教える義務はない。見て盗め」と、職人的な湊さんの考えだけど、その通りだと思う。櫻澤の記憶では、当時メンバーがスタジオで音を出し始めると、プリプロやライブのリハーサルとかに関係なく、長い時間ジャムっていた。音源やライブでは見ることが出来ない凄いものを見させてもらった。機材の搬入搬出は辛いけど、その辛さを忘れるくらいに凄いものを見させてもらった。手取り足取りで教えてもらうより、凄いものを見させてもらった。むしろ、教え伝えることが出来ないものだった。
ライブ初現場の日時は忘れてしまった。会場はインクスティック芝浦だったと思う。イベントで、出演はDEAD END、X (現 X JAPAN)、FAST DRAW(札幌)。今思うと凄いメンツ…。プリプロが続く中でのイベントとはいえ、久し振りのライブということもあって、この日のセットリストはアルバム『DEAD LINE』収録曲のみの構成。高校生時代に聴きまくった楽曲達が演奏されてる光景に櫻澤は感動した。ギターアンプの陰に隠れ、ドラムセットの近くでキッズになっていた。
『ZERO』がリリースされて、ツアーが始まった。ステージ上での櫻澤は下手(ステージ向かって左側)担当で、上手担当はヤリ手ローディーのB君。通常ローディーが二人の場合、上手下手に分かれて舞台袖からステージ上でのトラブルを見張りながら、メンバーのサポートをする。ローディーが三人以上の場合は、それぞれのパートに付くことになる。下手担当は、主にベーシストを中心に仕事をこなし、ステージ中央にいるドラマー、ボーカリストに起こったトラブルは上手下手と関係なく、気が付いた方が対処する。B君は櫻澤がドラマー志望なのを分かっているので、ベースとドラムの担当にしてくれた。
ライブハウスと違ってホールでの公演は、早朝に会場集合して照明、音響、楽器の搬入をスタッフ皆でやる。櫻澤がサウンドチェック前に済ませておかなくてはいけない仕事は、公演毎にドラムヘッドとベース弦の交換。当時、湊さんのドラムセットは点数が多く、スネアを入れて8台、二公演に一回の頻度でバスドラムのヘッドも交換していた。このツアーでJOEが使うベースは4本、そのうちの1本が8弦ベースで、これらベースの弦を公演毎に張り替えていた。結構な仕事量をなんとかこなしてからB君とメンバー楽屋に行くと、YOUちゃんがギターピックの先端をヤスリで削っていた。YOUちゃん曰く、新品のピックだと弦の引っ掛かりがイマイチだから、ヤスリで削って弾きやすくしているとのこと。
「Bかサクラで、これできる?」とYOUちゃん。
「あっ、ちょっとトイレに行ってきます」とB君退室。
「ちょっとやってみます。こんな感じでいいですか?」とピックをヤスリで削る櫻澤。
「おっ、サクラ上手いなぁ~! じゃあこの枚数のピックも削ってもらって。本当に上手いなぁ~! これからもお願いしたいなぁ」と褒めちぎるYOUちゃん。
あとから「サクラ、仕事増やしちゃったね。やらされるなぁと思ったから、俺はトイレを偽って逃げたんだよね」B君に言われた。30年間やっていないけど、今でもYOUちゃん仕様にピックを削ることが出来るよ。
櫻澤は今まで、前任ドラマーTANOさん以外のメンバー全員とDEAD ENDの曲を演奏したことがある。毎年櫻澤の誕生日に開催している主催イベント<暗黒秋櫻>で、DEAD ENDのカバーセッションをしたんだ。メンツはakiちゃん(Vo)、HIRO (G)、Shinobu (G)、人時君(B)、都啓一(key)。「観に行くよ」と言っていたMORRIEからは、「急用が入ってしまって観に行けなくなった」と言われた。ライブ当日、最後の曲は初期曲の「Replica [首]」。2コーラス目に入るところで、いないはずのMORRIEが突然現れ、目の前で唄い出した。MORRIEからのサプライズプレゼントは、とても嬉しかったなぁ。
JOE主催の<“CRAZY” Rock Night vol.1>に前任ギタリスト香川さんが出演した。JOEと香川さんとで、DEAD END初期曲をやった。このイベントには湊さんも出演していたんだけど、JOEからの指名で櫻澤がドラムを務めた。ボーカルはBAKIちゃん、もう一人のギタリストはHIROが務めた。あと、別のメンツでDEAD ENDカバーセッションもやって、そこでも櫻澤がドラムを務めた。ドラムのリズムパターンが印象的な「SERAFINE」の途中で、楽屋にいたはずの湊さんが飛び入りして、もう一台のドラムセットを叩き出した。突然のツインドラムにお客さんは盛り上がってたなぁ。
2013年12月、イケベ楽器の忘年会がSHIBUYA O-EASTで開催された。その時の模様がYOUちゃんのブログにあったのでリンク貼っておくね。一般のお客さんを入れた通常公演ではないけれど、そこでYOUちゃんとJOEと櫻澤とでDEAD ENDの曲を演奏した。「DANSE MACABRE」ともう一曲何かやったと思うんだけど、ちょっと思い出せないや。演奏が始まる直前、YOUちゃんから「サクラとは初めてだっけ?」と言われ、「いや、CREATURE CREATUREの時に一度やっています」と答えた。「じゃあ、大丈夫だね」と言ってくれた。
YOUちゃんの音は、ギターアンプの陰に隠れた場所でも、ベースの音が大きめな下手舞台袖でも、幕張メッセのステージからかなり離れたPAブースでも、真っ直ぐに届いてくる。ドラムの音ってね、叩いている本人にとっても大きな音なんだよ。時には、自分が叩く音が大き過ぎて、他パートの音がよく聴こえないこともあるんだ。でも、この日もいくら自分がドラムを大きく叩いても、YOUちゃんの音は真っ直ぐ届いてきた。YOUちゃんの奏でるメロディーを忘れることはない。
櫻澤がギターアンプの陰に隠れてローディーした現場は、先に掲げたインクスティック芝浦、日比谷野外音楽堂、そして最後の中野サンプラザでの各公演。ギターアンプの陰に隠れていても、湊さん以外のメンバーの姿は見えるし、その音も聴こえる。ローディーだけど、ファンでもあるので、憧れの湊さんの演奏をいつもより、さらに間近で見られるのだから、その演奏とワクワクしていた自分とが強く印象に残っている。だけど、中野サンプラザでの公演はそうではなかった。この4人でのDEAD ENDがもう見られないという喪失感で、ローディー失格なんだろうけど、ステージ上を凝視してしまっていた気がする。この時の櫻澤は、メンバーの一挙一動を、目に焼き付けたかったんだろうね。そんなこともあったから、この4人での再結成はとても嬉しかった。
自慢話なんだけど、再結成したDEAD ENDが出演した幕張メッセでの<JACK IN THE BOX 2009 SUMMER>では、「SERAFINE」も演奏された。この曲の終わりはドラムだけが残って、最後の最後にスネアに深いゲートリバーブというエフェクターをかけて終わる。だけど、ステージスタッフの誰もが、このゲートリバープをかけるタイミングを把握しきれていなかった。なぜなら、その時々でアプローチを変えてくる湊さんのドラムだから仕方がない。大石さん(MAVERICK D.C. GROUP代表/一般社団法人 日本音楽制作者連盟 特別顧問)と櫻澤はPAブースにいた。大石さんは「このタイミングはSakuraにしか分からないから、エフェクターのOn/OffをSakuraにやらせろ」とPAスタッフに指示を出した。2009年夏、幕張メッセにいらしてDEAD ENDのステージをご覧になった方々へ、あのゲートリバーブは櫻澤の仕業です。
後輩から「若い頃、ファンになったアーティスは好きが高じて呼び捨てだったんですよ。失礼は承知で、Sakuraさんのことを“sakura”と呼んでいました」と言われたことがある。櫻澤はメンバーのことを“MORRIE”、“YOUちゃん”、“JOE”、“湊さん”と呼んでいたし、今も本人に対してそう呼んでいる。それは櫻澤が携わる以前からスタッフをやっていたひとつ年上のN君が、そう呼んでいたし、周りのスタッフ全員が年齢の上下関係なくそう呼んでいた影響なんだ。呼び方がそうであっても、めちゃくちゃ気の張った敬語で接してきたよ。
この4人は櫻澤にとって、特別な存在、多大な影響を受けた方々、憧れ続ける対象、尊敬している人達…。DEAD ENDなくして、今の櫻澤は存在していなかっただろうと思う。櫻澤の半分以上はDEAD ENDで出来ています。
▲「櫻澤19歳から30年後。冒頭に掲載した湊さんとの2ショット写真を彷彿させるように腕まくりもしてみました。背中に開催日が書いてあります」。約11年前に開催された<JACK IN THE BOX 2009 SUMMER>時のDEAD END Tシャツ。
▲DEAD ENDがBMG VICTORに在籍していた1989年当時のノベルティTシャツ。「表にあるサインはテリーボジオ氏のもの。当時、湊さんとテリーさんとの対談があり、付き添わせてもらいました」。30年以上前の貴重なTシャツであることに加え、櫻澤泰徳の白Tシャツ姿はレア。今回のコラムのために、あえて着用した。
▲「少年櫻澤がリアルタイムで持っていたDEAD ENDの音源」
▲「DEAD END再結成後、初のアルバム『METAMORPHOSIS』。恥ずかし気もなくメンバーにサインを入れてもらった。けど、YOUちゃんのサインが無いんだ。JOEと湊さんのサインは、その筆跡から酔っていたと思われる…」
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