【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第91回「竹田城(兵庫県)卓偉が行ったことある回数 1回?」

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とうとうこの城を紹介する時が来た。橋本真也さんの「時は来た!」「それだけだ…」で蝶野正洋さんが笑いを噛み殺すあの感じ。tvkの私の城番組コーナーでやっと来城出来た。が、ガキの頃に親父に連れてきてもらったような気がするのだが家に当時の写真が見当たらず、2回目だったような気もするのだが、嘘をついてもしょうがないので初めての来城ということにしたい。でもロケ中に見たことあるような場面が多々あり変なフラッシュバックの連続だった。竹田城を好きになり過ぎて、行ったことあるような気になってしまうってやつか。アビーロードの横断歩道を初めて渡る時に、あれ?なんだか前に歩いたことあるような気がすると思ってしまう痛い奴と同じレベルである。


築城は1431年頃、詳しい情報がなく特定は出来ないことが多い竹田城だ。まずこの「しっかりとした詳しいことはわからない」と宣言してくれること、これが正しいよ。言ったもん勝ちで適当なことを真実かのように伝えてしまう場合が多いのが日本の歴史。わかってることだけを伝えるで十分、後はそれぞれのイマジンでいいんだよね!卓偉もさ、言ってもねえことが言ったことになっているってこといっぱいあるからね!

最初にこの城を築いたのは太田氏。そこから秀吉の弟である羽柴秀長、最後は赤松広秀が城主となり、最初は土塁の城だったのを秀長の時代から改修を始め、石垣の城となった。このコラムでも「中世の山城を戦国時代に石垣の城に改修していたらどれだけ凄い城になっていただろうか」という書き方を何度もしてきたが、この城は見事それが叶った城と言える。


標高約350mの山に築かれ、プロペラのように羽を広げた三つの曲輪を縄張りにした見事な城である。天空の城、日本のマチュピチュなどとも言われている。卓偉は鬼才過ぎるだけに誰もその凄さを評価出来ないと言われている。喉の為にうがいばかりしているので日本のクチュクチュなどとも呼ばれている。


太田氏の時代は大手が花屋敷側にあったとされ、秀長の時代に大手を現在の北千畳曲輪に変えた。確かに花屋敷は北千畳曲輪と南千畳曲輪よりも低い位置にある曲輪であり、元来の大手と言えるだろう。秀長が改修していた頃、兄である秀吉が、天守を目立たせる為に、そして近隣を移動する武士達、敵に対する威嚇も含め、大手を逆にし、二層の天守を角度によって三層に見えるように隣に立つ小天守を上手くデザインさせたなどというエピソードが残っている。なんとも秀吉さんらしい発想だ。現在の天守台には石段がなく、当時は本丸御殿からの木の階段での連結と、隣の小天守との間にある石段が天守入り口の門であり、そこから中に入れるようになっていたとのこと。古写真も建物のデータが一切残っていない城なので復元は不可能だが、大手側からの本丸御殿への入り口と平殿へ周ってから本丸に入る連結が二つあることがわかる。CGの想像復元も紹介されているのでお勧めだ。



現在の大手門跡に話を移すが、料金所を超えて道なりに登って行くと急斜面に突如石垣が現れる。威嚇バッチリである。大手門付近は山城とはいえそこそこの道幅もあり、虎口の連続で行く手を阻む。最初に広がるスペースは北千畳曲輪、ここですでに十分な景色が堪能出来る。幾度も角度を付けた石垣、下をよく見ると犬走りも見て取れるので、城の石垣の下は家来の導線だったのだろう。木で見えないが、中世の山城よろしく竪堀の跡がそこらじゅうに残っているらしい。花屋敷の下にある駐車場から料金所まで歩く道の途中にマニアであれば4~5本の竪堀が確認出来るはずだ。考えてみたらその駐車場も何かしらの役目を果たす駐屯地のような曲輪だったと言えるだろう。

北千畳曲輪から本丸を目指すと次の曲輪は三の丸である。ここも虎口の連続で所謂食い違い虎口と言えるだろう。中世の山城によくある構造にそのまま石垣を敷き詰めたといった感じである。秀長や赤松氏の頃の竹田城は20基の櫓と門があったとされるので、コーナーというコーナーは全て櫓が立っていたはずであり、どう見ても多聞で繋がっていたとわかる構造だ。これは熱い。だとするとこの本丸までの導線は建物の影で薄暗かったのではないかとイマジン。三の丸から二の丸に行くにつれ、私の鍛え抜かれた腰のように幅が非常に細くシェイプされていく。この辺は岡城ともよく似ている。二の丸の手前で道が二つに分かれており、天守を正面に右は花屋敷へ、左は二の丸入り口へ、そしていずれ天守へ行く道となる。


天守台もそれほど大きさや幅はなく、備中松山城の天守くらいの大きさだろうか、十分眺めは良いわけなので大きな高さの天守はいらなかったとも言える。天守台の位置はとにかく遮るものがなく風が強いとズラとタテマエとワダカマリが吹き飛ばされそうになる。天守をど真ん中にして左右と後ろに広がった曲輪。最高の城だ。決してスペースが広い城ではないが、戦国時代にはこれくらいの大きさが戦いには向いていたはず。実にCOOLだ。

天守台を降りると順路は南二の丸へと進む。ここは家臣の住居だったようで、城内側の石垣が低く、導線に櫓台はあるが当時は全て屋根伝いの建物で埋め尽くされており、室内を移動するような状態だったらしい。ここの導線も道幅が狭くなり私の鍛え抜かれた腰と同じように見事なシェイプ!シェイプ!ブギーな胸騒ぎである。南二の丸に低い石段が二つ残っており、一つは本丸への導線、一つは住居の中への導線として使われていたことが伺える。

その先の南千畳曲輪が竹田城の中で一番大きなスペースとなっている。ここも家臣の住居だったようだ。南二の丸との段の場所に裏門?らしき出入り口もある。犬走りを使えば花屋敷に繋がる。興味深いのはこの南千畳曲輪の搦手門らしき場所の石垣がまだ完成していない状態にあるということだ。土塁のままになっており、石垣がどう見ても途中になっているのがわかる。戦国時代は度重なる戦により、城を留守にすることが多く、改修の指示を出せなかったこともあるだろうし、財源が足りない場合もあったはずだ。完成する前に廃城になってしまった竹田城。だが注目してほしいのは、先に述べたように太田氏の頃は土塁の城だったわけなので、この石垣が組まれていない部分だけは太田氏の頃の竹田城が感じられるということなのだ。現代にこの二つを垣間見られるというのは実に熱い。初期の初々しい前髪パッツンのビートルズと、後期の長髪で髭ボーボーのビートルズを同時に見られるような熱さだ。よくよく考えてみると南二ノ丸の裏門辺りも太田氏の頃の堀切を上手く改修して作られているのがわかる。花屋敷曲輪から平殿に移動する辺りも太田氏の頃はどう見ても掘切だったことがわかる。こういうのがとにかく熱い。現在は花屋敷には入れないようになっている。映画のロケに使われていたりTVのCMで紹介され年々観光客が増加し石垣の崩れが心配されているので止むを得ない。初めて来城した時は全部何処でも見られたのだが今は怪我人が出ると危ないので手すりやゴムシートも設置、混雑を考えて見学は大手から南千畳曲輪までを一方通行にされている。よって戻ることが出来ない。卓偉も音楽人生は、戻る、なぞる、振り返る、が大嫌いだが、竹田城に関してはおもくそGET BACKしたかった。初めて来た時は戻りまくったのだが。いや来城したのは今回が二度目じゃない、今回が初めてだった。まさに行った気になっている痛い奴やないか。


とにかく、素晴らしい城なのだ。何故ここまで綺麗に現存しているかと言えば、地元の人がずっと継承して整備してきたとのこと。涙ぐましい努力と人間愛なわけだ。継承していく文化、まさにロックンロールではないか!そんな素晴らしい話があっていいのか!廃城になったのは1600年付近。良い城だけに家康はこの城を誰にも継がせず廃城にした。大阪への入り口、京都への入り口、鳥取への入り口、中国地方への入り口の全ての県境にあった重要な城だけに、ここを守らせることがむしろ謀反を招くと判断したのだろう。建物は壊されても石垣は残った。朽ち果てた城であっても城下町から見上げると本当に美しかったらしく、町の人達でずっと、約400年に渡り整備してきたというのである。城内の木や草を切り続け整備してきたことで石垣が膨らむこともなく今日まで残った。もちろん何度か石垣の修復はしているにせよ、その話を想うだけで城マニアは涙が出る。私のファンクラブ発足時に入会し、どれだけ私が変化と進化を繰り返しても一度も脱会せず、一度も脱会せず!一度も脱会せず!今日までファンを続けてくれている神様のような、生きる人間国宝のような人達と同じである。

その涙ぐましい地元の方々の継承が実り年間50万人以上の観光客が訪れるようになったのだ。もっと高く入場料を取って良いと私は思う。こういう城にはお金を落としたいではないか。いつまでも最高な城であってほしいと願う。やっぱりファンに愛され、ファンに支えられ、ファンが継承していくことで才能や建造物や歴史が残っていくんだなと実感。

やっぱりファンが自分達の物だけにせず、自分達の物だけにせず!外に向けてアピールし、外に向けてアピールし!新しくやって来る人を受け入れ、新しくやって来る人を受け入れ!そこで上々軍団よろしく、「仲間」になることで、仲間になることで!バンドやアーティストや文化人は認められるんだなと実感。なんかすげえ実感。なんか妙に納得。わかってはいたけど改めて染みる。

そうするとどうなるか、アーティスト、バンド、文化人は長く続けられ、人に勇気を与えることが出来て、歴史や建造物は長く継承されていくのである。

この想い、伝わらんか!

あぁ 竹田城 また訪れたい…。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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