【インタビュー】The Super Ball、目指すは東京ドーム「ふたりで満員にできたら」

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身長180センチ超え。一見、ソフトな草食系男子だが、その経歴や夢に向かって全力投球してきたガッツにギャップ萌えのツインヴォーカルユニット、The Super Ballが7月20日にシングル「トモダチメートル」でメジャーデビューを飾る。同曲はテレビアニメ『不機嫌なモノノケ庵』のオープニングテーマとしてオンエア中。デビュー後初のワンマンライヴは赤坂BLITZと早くもサクセスストーリーへの道を歩みだしている。

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2013年に結成し、ひとりでも多くの人に知ってもらうべくTwitterやツイキャス、YouTubeなどを駆使し自身のパフォーマンスなどを公開しながら、ライブハウスや路上ライブを中心に活動してきた佐々木陽吾(G&Vo)と吉田理幹(Pf&Vo)。ふたりが出会った頃の思い出、笑える共同生活のエピソード、音楽観、恋愛観までたっぷり語ってもらったインタビューをお届けする。

  ◆  ◆  ◆

■ふと思いたって連絡したのがキッカケです

——まずThe Super Ballのふたりが出会ったのはレコード会社のオーディション会場だったとのことですが。

吉田理幹(以下吉田):そうですね。ふたりとも某レコード会社のオーディションの最終選考に残っていたので控え室が同じで、その時に連絡先を交換したんです。その1年後ぐらいに自分のソロ活動が思うようにいってなかったこともあって、「あの時のいい声の彼は今、何をしているんだろう?」とふと思いたって連絡したのがキッカケです。

佐々木陽吾(以下佐々木):電話がかかってきた時、僕は「半分、趣味でもいいかな」と思うぐらいにソロ活動がうまくいってなかったんです。ふたりで音楽談義をしている内に「じゃあ、1回、一緒にスタジオに入ってみようか」ってことになって、声を合わせてみたらすごく相性が良かったんです。それと彼が作った曲を聴いた時に「こんなメロディ、自分には思いつかないな」って思ったことも大きかった。今回のメジャーデビューシングルのカップリングに収録されている「ココロのブランケット」がいちばん最初にふたりで合わせた曲なんですよ。

——声の相性がピッタリですよね。そもそも、どんな話から連絡先を交換することになったんですか?

佐々木:僕、けっこうお調子者なのでオーディションの控え室の空気が張り詰めているのに耐えられなくて、「仲良くなろうぜ」みたいな感じでみんなに連絡先を聞いてたんですよ。「どこから来たの?」とか話しかけて。だから、最初は僕のこと苦手だったそうです(笑)。

吉田:僕はオーディションの時はイヤホンをして、ひとりの世界に入りたいタイプなんですけど、そんな中、「ウィッス、ウィッス」って入ってきてペラペラしゃべってるヤツがいて、内心うるさいなって(笑)。

佐々木:(笑)今は仲がいいんですけどね。

——でも、佐々木さんがそこでハイテンションで話しかけなければThe Super Ballは誕生しなかったわけですよね。

吉田:そうですね!

佐々木:ホントに交換しておいて良かったよ。僕のおかげ(笑)。電話が来た時はビックリしましたけどね。

吉田:出会ったオーディションから、一年ぶりぐらいに電話かけて。

佐々木:自分も落ち込んでたから「じゃあ、飲みに行こうぜ」って新宿の思い出横丁に行って。

——(笑)哀愁漂ってますね。

佐々木:そうなんですよ。その時の心境もあいまって。

吉田:黄色い提灯のお店でした。

佐々木:2階の誰もいない席でしっぽり飲んでました。で、ふたりでスタジオに入ったのをキッカケに試しにライヴをやってみようかっていうことになって、「じゃあ、ユニット名、決めなきゃ。覚えやすい名前がいいよね」って。その時、僕、ちょうどスーパーボールで遊んでいまして。(ポケットから取り出して)常に持ってるんですけどね。

——ホントに持ってるんですね。

佐々木:ハマってるんですよ。スーパーボールってちょっと回転つけると2バウンド目が予測できないところに飛んだりしてすごく面白いんですよ。この跳躍力や勢いで自分たちも上にのぼっていけたらいいなと思って。カラフルでポップなイメージもあるし(吉田)理幹も気に入って、すぐに決まりましたね。

吉田:覚えやすいし、“スパボ”って略してもらえるんじゃないかなって。キャッチーさに魅かれましたね。

——お試しだった初ライヴで、一緒にやっていこうと気持ちが固まるんですか?

佐々木:そうですね。スタジオで合わせたのが2013年の8月で1ヶ月後にライヴをして。

吉田:オリジナル2曲とカバー2曲。最初はミスだらけだったんですが、「また一緒にライヴしたいな」って思えたんです。

佐々木:そこからソロとして出演していたライヴハウスに「これからふたりで出ます」っていう話をして路上ライヴもやりつつ、だんだんお客さんが増えていって2014年の8月には下北沢の440というライヴハウスでワンマンができるようになったんです。自分たちだけを見てくれるお客さんの顔を見て“これだな!”って思いました。で、そのライヴの約1ヶ月後には一緒に住んで活動するようになったという。

——共同生活! でも、出会いのエピソードからしてふたりともかなり性格が違いそうですよね。

吉田:そうですね。真逆なような気がします。

佐々木:理幹はよくも悪くも純粋なんですよ。高校の時は強豪校で野球やってて、プロ野球選手になることしか考えてなかったんだよね?

吉田:そうなんです。

佐々木:野球めちゃめちゃうまいですよ。足も超速い。ここ(渋谷)から新宿まで走ったら20分ぐらいで着くんじゃない?(笑)。

——えーっ!?

吉田:余裕で行けますね。

佐々木:50メートル5秒台ですから。なのに高校を卒業してからは音楽一筋。夢のためならレッスンも曲作りも何でもする。逆に言うとそれしかしない(笑)。

——とにもかくにも一途なわけですね。

佐々木:僕はそういう人を初めて見たんですよ。自分は器用貧乏で勉強もスポーツもそこそこで。

——先生一家に育ち、佐々木さんも将来は教師になるつもりだったとか。

佐々木:はい。国立大学に進学してスポーツも人並みにはできたけど、これだけは負けないっていうのがないんですよ。だから、理幹のことは尊敬しています。ただ、それ以外のことは不器用なので、僕がサポートしていますね。

——ちなみに共同生活をする上で助けてあげていることは?

佐々木:電車の時間、調べてあげたり。

吉田:それは僕もやってるよ(笑)。

佐々木:でも、一応、「明日は何分の電車ね」って言っておく。あとはトイレとお風呂のスイッチが別々なんですけど、普通、トイレに入る時はトイレのスイッチをつけるじゃないですか。理幹は2つ押せばどっちかが付くだろうって。

——要するにどっちがトイレの電気なのか把握していないわけですね。

吉田:そうです。両方押せばつくだろうって(笑)。

佐々木:僕がそれを1つ消してあげる(笑)。

——電気代かかっちゃいますからね。

佐々木:はい。光熱費も管理していて、いったん自分が払って、「今月はこれだけかかったから半分ちょうだい」って。そういう役割も担ってます。路上ライヴでCDが売れた時のお金の管理も僕がしてました。その分、理幹がセットリストや曲のアレンジを考えてくれるので音楽面では頼ってますね。

吉田:陽吾さんはとにかく社交的ですね。誰とでも仲良くなれる。いつでもまわりを元気にさせて笑わせてくれる。

佐々木:(笑)それがうざい時もあるっていうね。今は別々の部屋があるんですけど、当初は僕がひとり暮らししていた六畳一間でふたりで住んでいたんですよ。ロフトが理幹のスペースだったので、あの頃はうざかっただろうな(笑)。

吉田:(笑)全然。

——対照的だからうまくいくのかもしれないですね。

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