【連載】フルカワユタカはこう語った 第4回『スタジオ』
解散したバンドの楽曲を演奏するという、自分としては結構大きめな決心と決別をした2015年も終わり、晴れて2016年を迎えた。去年末から続く暖冬で何となく忘れていたが、ここ数週間の急激な冷え込みに、冬とは厳しくて寂しいものであることを思い出す。センチメンタルな楽曲を聴きながら寒い夜道を歩くと、孤独感や罪悪感といった類いのネガティブな感情に襲われる。学生の頃の試験しかり、人との別れなど他の季節に比べ重い記憶が多い。人に生活に、何かとズルい気持ちになりがちなのもこの季節独特のメンタリティーだ。
◆フルカワユタカ 画像
でも、だからこそ冬が好きだ。もしかしたら僕は軽くメンヘラなのか、単なるマゾヒストなのか、そういう空気の中で物をつくる行為や結果に程よいカタルシスを覚える。コミュニティーの中ではじかれる系の孤独はもちろん嫌いだが、この世界で一人きりになったような気になれる真冬の夜はむしろ心地よい。2月生まれであることを、何の根拠もなしに芸術家らしいと思いながら生きてきた節もある。「おいおい、“ごっこ”は結構だがそれだけのことをお前はしてるのか?」。冬の孤独感にほどよく酔っているうちはいいが、ひとたび量を間違えれば生産性のない後ろ向きな思考にどっぷりとはまってゆく。
2015年、僕は数曲の楽曲提供に加え、一枚のミニアルバムをリリースした。制作にはそれなりの充実感があったし、当然その対価も印税として支払われる。前述の通り、僕はドーパンの楽曲を解禁するというライブもした。ファンや自分にとって意味深かったことはもちろんだが、内容自体も素晴らしいライブが出来た。どちらもれっきとした“ミュージシャンの仕事”だ。だが、新曲といえる楽曲は結局1年で4曲しか発表していない。ライブだって単純に本数だけで言えばたった3本だ。どう考えたって仕事としては足りていない。よく、こんな緩慢な活動内容で個人スタジオを所有し音楽漬けの日々を過ごせてるものだ。僕の作曲能力は枯渇してしまったのか。そもそも活動するバイタリティーを失ってしまっているのか。ちがう。
発表した曲は確かに4曲かもしれないが、僕は日々作曲をしている。手元には20曲以上のデモがある。たった3本しかライブをしなかったかもしれないが、2015年は恐らく人生で最もギターを弾き、歌を歌った。ずっとこのスタジオに籠って音楽に浸かりまくっていた。では、なぜそれを発表しない? なぜ人前で演奏しない? そこに関してはなんとも歯がゆいのだが説明し辛い。とにかく今言えることは、僕は自分の中の矛盾に新年早々“ぐわんぐわん”となっている。働き盛りのはずの自分が、他人から見れば単なる趣味漬けともとれる日々を過ごしている事。世に言うニート達の生活とどう違うのか。一度現れたら、もう遠慮無しに良からぬ自分が大きくなる。頭が“ぐわんぐわん”する。
そこで僕は、次の様な“言い訳”を考えた。僕は研究者なのだ。研究者は自分の好奇心のみに従って研究がしたいのだ。食べるときや寝るとき以外は一日中、一年中、いや一生、それだけをしていたいのだ。だが、当然食べるのにはお金が必要だし、研究の為の費用だって必要だ。なのに、この研究至上主義者ときたら決して他の労働をしようとしない。なぜなら、一分一秒を惜しんで研究をしていたいからだ。
研究者は自らの将来性を武器に支援者を探した。ある支援者は彼の将来に賭けて、生活や研究の面倒をみることにした。ただし、これはあくまでもお互いの利益のための契約である。いつまでも研究が実を結ばなければ、契約は解消となる。その瞬間、それまでに費やされた膨大な時間や費用は、個人の好奇心に投じられた無駄なものと断じられる。逆にその努力が結実すれば、興味/趣味の犠牲となり得たその時間や費用は、“発見/発明”のための投資だったと評価される。そして、発明と発見がもたらした果実は支援者へと還ってゆく。きっと、僕は研究者なのだ。
僕のここのところの活動をファンや同業者の中で、もどかしく思っている人もいるだろう。実際、直接言われる事も少なくはなかった。僕はそう言われるのも当然だと思っていたので、黙ってうなずいていた。しかしながら、この場を借りて、そういう人達にしっかりと“言い訳”させてもらおう。
「最近、確かにまともな音楽活動はしていない。だが僕は今、人生で最も深く音楽に浸かっているのだ」
2015年、僕は働かなかった。そう全く働かなかっただけだ。不働ではあったが、信じられないくらいの時間、ギターを弾き、歌を歌い、これまでで最も多くの楽曲をつくったのだ! これ以上深くは出来ないと信じていた『yellow funk』(※2011年リリース/DOPING PANDA 4thアルバム/プライベートスタジオにて録音からMIXまで自身の手で行なったDIYアルバム)の時よりももっと深く音楽に浸かっているのだ!!!!!! …………お得意の“こじらせ”方で無理矢理着地してはいけない(笑)。まあ、言い訳というのは冗談だとして。もちろんこの先もこれでいいとは思っていない、が、ここまではこれで良かったんだと言わせておくれということだ。
私事で恐縮だが、3年所有した今のスタジオを出ることにした。ドーパンの頃から言えば6年、僕は自宅と別に大きな音を出せる作業場を持っていたが、この冬でその生活を卒業する。
解散したとき、もう無用だと自分に言い聞かせたが、悩んだ挙げ句、僕はスタジオを出る事が出来なかった。支援者不在の僕には家賃が高く、目に見える何かを生み出せないまま1年ほどでそこを出た。だが、タイミング良く(悪く?)、次の物件が出てきてしまう。所有する余裕は全くなかったが、音楽研究の世界から逃げ出す勇気がなかった僕は勢いで借りてしまう。ここでアルバムとミニアルバムを一枚ずつつくった。まだまだ、やり足りないといえばやり足りない。事務所にも戻り、スタジオを所有する余裕も以前よりは幾分ある。だけど、僕はここを出てゆく。
これからはライブのような実践の場で音楽を磨く。もっと本を読んだり映画を見たりもする。漫画だって読めばいいし、ゲームだってすればいい。苦手と片付けずに、もっと社交場にも赴こう。きちんとそういう所からも音楽に肉付けをしなければ。スタジオがあれば僕は籠りきってしまう。これ以上こんな所にいたら“ぐわんぐわん”が治らなくなってしまう。
全ての事が表現の肥やしになり得る。音楽を直接的に肥やしにすることも、それ以外も、どちらも間違ってはいない。僕の場合はそれが研究所を持つ事だったが、他の人は絵画や映画かもしれないし、はたまた“いけない恋”や”ふしだらな愛”かもしれない。もしかすると、間接的なインスピレーションで作品をつくってきた人は、一度は真剣に音楽に浸かりきる環境が欲しいと思ってるかもしれない。大事なのは肥やしの内容が強烈かどうか。その肥やしが個性的であればあるほど、産み出される物も独創的になるはず。そういった意味において他のミュージシャンが絶対に経験したことのない“研究至上主義者”としてのこの6年間は、間違いなく僕の大きな武器だ。
スタジオを出る事でそれまであった色々なリミッターが外れるような気がしている。もう弦が切れそうなほどに弓を引いているので。きっと信じられないくらい遠くまで届くに違いない。
■ミニアルバム『I don’t wanna dance』
NIW113 2,000円 + 税
1. I don’t wanna dance
2. deep sleeper
3. slow motion
4. 君は神様だったから
5. in my dreams
6. LIVE at 渋谷WWW 0517
◆【連載】フルカワユタカはこう語った
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