【インタビュー】新山詩織、「ゆれるユレル」は学校社会に溺れる子たちへの特効薬として鳴り響く

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2013年4月17日(水)にリリースとなった「ゆれるユレル」は、新山詩織のデビューシングルだ。いわゆる新人アーティストのデビューとあれば、新たな夢に向かうエネルギーと輝けるメジャーシーンの未来に胸躍らせる頼もしいアーティストの素顔がまぶしいものだが、新山詩織の場合は、ずいぶんと趣が異なる。デビューに際し、お膳立てされたキラキラとしたステージが用意されているわけでもなければ、ド派手な演出が仕込まれているわけでもない。

◆新山詩織画像

17歳のシンガーソングライター新山詩織は、本当の自分と学校での自分の二面性に苦しみ、音楽へその思いの丈を綴ることで自らのバランスをとってきた少女だ。思い募る気持ちを音楽に託し、繊細に吐き出すように歌い、感情を丁寧にほとばしらせる。そこには共感を求めるメッセージがあるわけでもなく、他人を寄せ付けぬような狂気性をはらんでいるわけでもない。自分自身ですら整理できていない葛藤を正面から吐露することで、絡み合った感情をひとつひとつほどいていく…その様子が歌に綴られているだけなのだ。そこには野心もなければ野望もない。外へ発散することのできないエネルギーを内に向け自問自答を叩きつける、現代社会に生きる少女の叫びである。

ほとばしる感情と言えども、そこに破壊衝動があるわけでもないのは、彼女がごく普通に幸せな家庭環境に育ち、これといった不自由を感じることもなく、現代を生きてきたいわゆる普通の高校生だからだ。しかしながら、だからこそネット社会に生きる中高校生を襲う所在なき悪意や、悪意無き集団心理がひとりの少女に与える目に見えぬプレッシャーの重みの大きさが思い知れるというもの。新山詩織というひとりのアーティストを通して、我々を襲うのは、子供たちを取り囲む社会から漏れ放たれる巨大な歪んだエネルギーの深刻さでもある。新山詩織の叫びは、現代の女子中高生の総意であるかのように響く。

現在社会の歪みを映し出した「ゆれるユレル」を歌う新山詩織は、中学3年の時に「だからさ」という曲を書きおろしている。誰にも打ち明けられない、どうしようもないやり場のない想いを、曲の形で吐き出したのは新山詩織自身のセラピー行為だったはずだが、同時にこの曲は、潜在的な女子中高生にさまよう心の影に、光を射す特効薬としても鳴り響く力を擁しているはずだ。

人目を気にし嫌われることを恐れ、中学時代には自分を押さえつけて中学という学校社会へ溶け込もうとした新山詩織は、溶け込むというよりも目立たぬよう、人を傷つけないよう、トラブルを生まないよう、存在を消してきたかの3年間を過ごした。争いを恐れ、平和でいたい、楽しくいたい、幸せでありたいと願うだけの少女の素朴な願いは、自らの衝動を押さえつけ、いつの間にか我慢だけが本人の美徳へとすれ違っていく。「今日も学校で頑張った」「明日も学校だ」「よし頑張った」と我慢し頑張るだけの学校生活は、皮肉なことにアーティスト新山詩織を育む強力な栄養素となっていった。

3月某日、夕方に新山詩織に直接話を聞く機会を得た。彼女は学校を終え、急いで現場に駆け付けたところだった。新山詩織はどんな女子高生なのか。

   ◆   ◆   ◆

──こんにちは、BARKSです。学校はまだ春休みではないんですね。

新山詩織:今日は学校の球技大会だったんです。久しぶりにバスケットやりました。負けました(笑)。

──(笑)、さて本日は音楽の話を中心に聞きたいのですが、最初の音楽との接点って覚えていますか?

新山詩織:父親が音楽大好きだったから、家の中で音楽が流れてない時はなかったです。でも小学校の頃は全く興味なかったし分からなかったから、ただ流れているだけだったと思います。

──どんな音楽がかかっていたんでしょう。

新山詩織:…ジミ・ヘンとか。洋楽も邦楽もかかっていました。でもジミ・ヘンが多かったかもしれない。

──家に楽器はあったんですよね?

新山詩織:(父親の)アコギ1本とエレキが2~3本ありました。中学になって軽音楽部に入ったんですけど、私、ベースもドラムもキーボードも何にも知らなかったので、家にあったギターという楽器しか頭の中になかったんです。それで軽音ではギターにしようと思いました。家に元々あったから、自然に興味を持てたのかもしれない。それが中学に入ってすぐのころです。

──それでギターを始めるんですね。

新山詩織:でもほんと最初は運動部に入ろうと思って、小学校の時にバスケをやってたからバスケ部に入ろうと思って見学に行ったんです。けど、絶対無理だと思って…入学前の部活見学を見て追いつけないと思った。バトミントンもずっとやっていたから次にバトミントン部に入ろうと思っていったんですけど、これも何か違ったので、文化部にしようと思いました。吹奏楽か美術部か軽音楽か。そこで軽音の先輩が勧誘がうまくて(笑)。

──軽音楽部ではどんなことを?

新山詩織:最初はピックをどう持つかとか。部活の最初は先輩たちがコードを教えてくれて、最初はみんな一斉に並んでGを押さえた。

──Gコード、いいですね。簡単だし響きが明るいし。

新山詩織:軽音は3年間ずっとやってました。中3の文化部発表会のための練習の頃が一番楽しかった。1~2年の時は先輩の教えで譜面を見ながらやっていたんですけど、私たちが3年になったときに、「譜面は見ずに、コードだけ覚えて自分たちでまとめよう」と思って、そのように変えたら凄い良かった。譜面を見ないでやることで、すごくまとまったんです。

──譜面を手放したのはよかったですね。

新山詩織:凄いよかった。それまでは譜面をちゃんとみてその弾き方を覚えるという感じだったから。私たちが3年になって、1年が部活に入ってくれた初日に、最初にみんなで何か合わせてみようっていって、みんなそれぞれ気になる楽器を持って童謡「チューリップ」をゆっくり合わせたんです。みんなで合わせる楽しさを知ってもらいたかったから。そしたらちゃんと曲になって楽しいって言ってくれた。

──サークルで音を合わせながらも、一方でストリートでの弾き語りを始めたのはいつからですか?

新山詩織:それは中学を卒業した後です。3年で部活を引退しても、ずっと家でギター弾いて歌っていたんだけど、家でひとりで弾いているだけでは、なんか物足りなかったのかもしれない。「だからさ」も歌っていました。「だからさ」を作ったのは中3の時ですけど、もう部活は引退していました。

──軽音でオリジナルをやろうとは思わなかった?

新山詩織:そのころは自分で曲を作るということは頭になかったです。自分の曲を作ってやってみたいなと一瞬思ったことはあったけど、“自分で曲を作ることなんて絶対できないから無理だ”って、いつも自分の中で勝手に押さえつけていました。だから軽音の時は自分の曲はやってないです。

──軽音部でオリジナルをやっている人は?

新山詩織:いなかったです。

──高校では部活は?

新山詩織:軽音に入りたかったけど音楽関係は吹奏楽しかなくて、そこに友達と一緒に入りました。楽器はトロンボーンで何日かやっていたんですけど、金管楽器なんか持ったことないし吹けないし、どんなに先輩に教えてもらって練習しても音出ないし…

──なんか違いますね。

新山詩織:これから先自分はやっていけるのか、と頭の中に浮かんできて。違和感…じゃないけど、なんか違うなという気がして。みんないい人ばっかりだったけど、家ではずっとギターを弾いていたから、一ヵ月経たないうちに退部をして。自分の中ではギターを弾いて歌うことの方が好きだったし、やりたいことだった。(吹奏楽を)続けていたらどうなっていたんだろうって思うけど。

──周りにギターを弾くような人や音楽オタクは?

新山詩織:高校入ってみたら誰ひとりそんな感じの人はいなかった。誰かしらバンドやってて音楽好きもいっぱいいるんだろうなって思っていたけど…でも期待外れだった。

──軽音学部もないし?

新山詩織:(笑)アニメ好きはたくさんいたけど。

──そのころ、好きだった音楽は?

新山詩織:BUMP OF CHICKENをひたすら聴いていました。で、高1の初めくらいにチバ(ユウスケ)さんを知って、(The Birthdayが)大好きになった。声もぐわーって感じだし、音もぐわーだけど…そこからだんだん音楽の幅が広がっていきました。ジャンルも広がったし、どんどん昔の方に向かって、最近は洋楽を聞くようになってきました。

──デビューシングル「ゆれるユレル」のカップリングでは、THE GROOVERSのメンバーと音を出して「現在地」をプレイしていますよね。

新山詩織:“藤くん(藤原基央/BUMP OF CHICKEN)が尊敬している人だよ”って、父親がTHE GROOVERSの「現在地」の動画を見せてくれて、それで知ったんです。

──お父さんの悪影響(笑)ですね。

新山詩織:いい影響です(笑)。そこで“こんなカッコいいバンドあったんだ”って、ひたすら聞き始めた。

──そんなディープな音楽好きは、周りにはいなかったでしょうね。

新山詩織:親友には“チバさん大好き”って言っていたけど、他の友達とは音楽の話はほとんどしなかった。それこそ“詩織ちゃんどんな音楽聞いているの?”って聞かれたときに、今まで絶対言わなかったんだけど、最近“チバユウスケさんって人が好きなんだ”って言ってみたら“…知らない”って。

──家にはCDもいっぱいあったんですか?

新山詩織:父親が好きなCDとかはリビングの壁にだーっとあって、レコードとかもあった。最初は洋楽も全然聞かないから邦楽だけずっと聞いていました。

──そんな音楽的志向を育みながら、新山詩織は、ギター1本抱えてストリートに出始めるんですよね? 初めていくときは勇気は要りました?

新山詩織:…勇気は必要なかった。どうなるんだろというのが第一。ストリート・ミュージシャンがいたりすると私は気になって見たりするから、私も全く知らない人たちが通っていく道で歌うことで、誰かしらこっちを気にして見てくれるんだろうと思っていた。でも実際そこで歌ってみたら、思っていた以上に見てくれる人もいなくて、みんな通り過ぎていく。走っていく人もいるし。“あ…、なんかこんな小さいんだ…”って。

──小さい?

新山詩織:道で歌うってことは目立つことなんだろうと思っていたけど、そこまで目立つわけでもないし、全く知らない人たちの中に入った時って、こんなに自分は小さいものなんだと思って。じゃあもう、自分も好きに歌ってみようと思った。

──ストリートをやることは友人には伝えたんですか?

新山詩織:いや、友達には絶対言いたくない。言わない。親には何でもいつも話すから話していたけど。友達だけには、その時には見られなくないというか…。

──友達が知らない自分の一面を見られなくないということ?恥ずかしい?

新山詩織:いや、友達からどう思われるのかが怖かった。「ギターやっているんだ」っていうだけで、えそうなの?ってすごい驚かれるから。そんなことをやっているようにも見られないし。

──本当の姿と学校での姿とはギャップが大きい?

新山詩織:みんなから最初に言われるのは、絶対「凄くおとなしい子」。

──キャーキャー騒いだりしない?

新山詩織:絶対言えない(笑)。したいと思ってもしないと思う。たまにワーワーと楽しそうだなと思ってみるときもあったんですけど、なんか違う類だった。

──でも、「私は音楽が大好き」っていいたいでしょ。

新山詩織:言いたい時もありました。中学の時は、私好きなんですって言ったり、そういう雰囲気を醸し出そうとしていた時もあったけど…。

──高校ではしなくなった?

新山詩織:なんだろ。同じ音楽を好きな人もいないし、言ってもわかんないって言われるし、音楽はとにかく家でがっつり音楽だらけで、学校は学校で普通にっていう感じだった。一回The Birthdayのバッジとかリュックにつけたり、くるりのバッグで学校に行ったりもしたことあるけど。

──分かってくれる人がほとんどいない、と。

新山詩織:でも、今のクラスにはふたりだけ音楽の話ができる子がいて、チバさんとかロック系は知らないんだけど、でも音楽を好きだっていう子がいただけでもすごく嬉しくて、高2の後半くらいからCDを貸しあったりもしたりして。

──“詩織ちゃんそんなロック好きなの?”って驚かれたり?

新山詩織:言われました。自分にとって音楽を聴いていることは当たり前のことだったんだけど、聞いているのを言うとびっくりされた。まだThe BirthdayのCDを貸したりはしていないけど、でもこの前一緒にくるりのライブに行った。

──そんな新山さんがデビューだなんて、学校ではまさかのサプライズですね。

新山詩織:学校で最初に(デビューに)気付いた子がクラスのその音楽好きな子だった。今でも気付いた子はみんな「これって…詩織ちゃんなの?…違ってたらごめんね」ってこっそり聞いてくる。自分から言うのも嫌だったから、気付いてくれたら気付いてくれたでありがとうって言おうと思っていた。でも身近な周りは、何も変わっていないです。どう思われるんだろうとも思ったけど。

──これまでオーディエンスだったけれど、これからは表現者、そこは大きく違いますよね?

新山詩織:はい。とにかくその時に自分が思ったことを、嘘なく書いて歌っていきたいというのがあります。

──どんな曲を歌うことになるんでしょうね。

新山詩織:本当に、その時その時だから、うん…わかんない。

──家の中の自分と学校での自分のギャップが歌になるんでしょうか。

新山詩織:みんな…、家のままの自分で学校に来ていることってないんじゃないかな、と思う。自分も家と外では全く違う。たまにほんとに別の人みたいな感じだけど、でもそれも親はちゃんとわかってくれている。中学の時は、学校に行くと、とにかくいつしか自分を小さくして声も抑えちゃって、いつもすごく小っちゃい声でしゃべってた。とにかく“周りにどう自分が見られるのか”ということを一番気にしていたから。誰かに嫌われることがすごく怖かったから、良い子でいようと思ってた。みんなにおとなしいって見られているから、大笑いしたい時や楽しみたい時もあったけど、いきなりそんなになったら、“詩織ちゃんってあんな子だったっけ”って絶対言われるだろうなって勝手に先のことを想像して、自分を抑えてた。とにかくなんとなく頑張って過ごしてた。でも、相手に気を使って頑張って何事もやっていた自分に凄く嫌気がさして、本当にいつまでそれが続くのか、高校に入ってもそのまま続くのか?ってすごく怖かったし。自分のことより相手のことをとにかくひたすら優先していたから、人のことで自分が疲れていた。あの子が嫌いとか、いじめがどうとか、どういうのはなかったんだけど、中学の時は自分の中ですべてを悪く見ていたから、誰かのせいでもないままに、毎日毎日学校でずっと頑張っていた。今日も一日頑張った。一日一日今日も頑張った。明日も学校だ。あー、今日も頑張った…って。

──でも、今、そのような話ができるということは、それを乗り越えた今があるということですね。

新山詩織:今と前とではホントに変わった。精神的にも、今は誰かのことよりも自分のことを考えるようになったし。そこだけでもずいぶん変わったと思います。

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新山詩織は、今思えば「中学時代の経験はまるで決まっていたことのように過ぎていった」と振り返る。高校3年生となり、彼女はひとつずつ大人への日々を刻んでいる。自分自身の葛藤を吐き出す一次元的なほとばしり「ゆれるユレル」は、中学時代の苦しみを乗り越え克服してきたことに示しをつける、けじめのメッセージソングなのかもしれない。だからこそ、苦しみにあえぐ同世代にダイレクトに刺さる、特効薬となるのだ。

音楽の申し子のように、音楽に全ての自分を投影する。…その覚悟が今、急速に新しい新山詩織を作り出している。過去、現在、「ゆれるユレル」、そして未来。シンガーソングライター新山詩織の足跡は、あらゆる世代を浄化させるセラピーの記録に他ならない。

text by BARKS編集長 烏丸



◆新山詩織オフィシャルサイト
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